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作品名:水面(みなも)に落ちた小石 作者:此道一歩

第3回   かみ合わない思い
 この頃になると、ここまで一人で懸命にがんばってきた理穂に安堵の思いが募り、和也はその心のわずかな隙間に入り込もうとしていた。
店でのトラブルは全て彼が仕切っていたし、売り上げは順調に伸びて、わずかの間に彼はこの店に欠かせない存在となっていた。

( この人とだったら、幸せに暮らしていくことができるかもしれない…… )

決して胸が高鳴るような思いではなかったが、心に安らぎを感じるようになっていた理穂は誠実な和也にかすかな思いを寄せるようになっていた。

一方和也は、学生時代につきあった女性達とは全く異なる理穂に異次元の女性を見ているような錯覚におちいることがあった。
時間をかけて丁寧に髪を整え、濃い化粧をして美しく着飾り、ブランドもののバッグを手に外見を最も大事にする過去の女性達は一見華やかで『鮮明な赤』をイメージさせる人達であったことに加え、彼は友人達から「いい女だね」、「美人だね」等と称賛されることに喜びを感じ、彼女達の不可解な行動や感情には目をつぶっていた。
それに比べ、ほとんど化粧もしないで、汗をかきながらお好みを焼いている理穂は内面から整っている女性のようで、不思議と清潔感だけが際立っていて『淡い水色』を思わすような女性であった。

( やはり結婚するのなら、こんな女性が良いよな )
彼の思いは理穂を称賛しながらもまだ漠然としていた。

理穂は毎晩、閉店してから夕食の準備に取り掛かっていた。昼間の空き時間に下準備を済ませていたことに加え、手際の良い彼女は和也が後片付けをしている間に素早く夕食を作りあげていった。
時には外で食事をすることもあったが、恋人でも友人でもない二人が開かれた空間で向き合って食事をするのはどことなくぎこちなさが否めず、まるで共通の友人に紹介された二人が初めて食事をしているかのような、そんな雰囲気を醸し出していた。
ただ和也にとっては、理穂が彼の過去には絶対に触れてこないことがとてもありがたかった。
お互いに好感をもっていて、お互いに人として認め合っていて、さらにかすかではあるがお互いに心を寄せている。そんな二人が眠る時を除いては全ての時間を共有している。
まして、男と女である。
時間と共にそんな二人の思いが濃くなっていくのは当然のことであった。

理穂は時間と共に見え始めた彼の人としてのやさしさや思いやり、加えてその品格、知識、そして胸の奥に閉じ込めているのだろう彼の見えない過去に胸が押しつぶされそうになっていた。
( この人はこんなところで働くような人ではない筈、何があったのだろう、誰かから逃げているのだろうか?
何故逃げているの? でも人から逃げなければならないようなことをする人じゃない…… 人生に疲れたの? 
まさか結婚していて、奥さんから隠れているなんてことはないよね。
解らない…… )

彼女は一人で空想を重ね、行き止まってはため息をつき、彼を雇うと決めた時には気にならなかった彼の過去であり、境遇であったのに、時の流れとともに今はそれらに惑わされるようになっていた。
それでも、そこに足を踏み入れることは、和也が去っていくことに繋がりそうで、彼女はその手前で留まってじっと耐えて待つことしかできなかった。

和也も同様であった。時の流れと共に穏やかで、細やかな気遣いができる理穂に心惹かれ始めていた。
( ここで一生暮らすことができたら、穏やかな時間が流れて行くんだろうな…… 人の煩わしさや会社の業績を気にすることもなく、静かな生活を維持できるんだろうなー。
こんな生活があるなんて考えたことなかったけど…… 
すごく平和だなー…… 彼女はどう思っているんだろう!
一緒になってもいいって思っているかなー…… 
でも、いつか呼び戻されるかもしれない、会社の状況によっては帰らざるを得ないかもしれない。そんなことになったら、彼女はどうするんだろう? ついて来てくれるのか、そんな生活は嫌だって言うかもしれない! )

彼は理穂の気持ちに気付き始めていた。
時折見せる切なそうな表情や、ふっと遠くを見つめてため息をつく彼女に気付いて、笑顔の少なくなった彼女に心苦しい思いを抱いていた。
( いつまでも彼女にこの思いを引きずらせてしまうのは、男として最低だ! でも実家のこともあるし、どうすればいいんだ!)

彼も理穂への思いと、斎藤グループの跡取りとして生まれた自らの責任との間(はざま)で身動きが取れなくなっていた。

二ヶ月が過ぎた頃、季節は紫陽花の時期に入ろうとしていた。
朝から晴れ渡った晴天の日、土曜日の午後、久しぶりに一人で店にやって来た理穂の義姉は彼女の異変に気が付いたが、事をシリアスにしたくないと思った彼女は
「理穂ちゃん、好きになってしまったの?」軽い感じで尋ねてみた。

「えっ、お義姉さん! そんな……」俯いてしまった彼女は返事をすることができなかった。
「気持ちはわかるわよ!」
「えっ」
「だってイケメンだし、誠実そうだし、優しい人なんでしょ」彼女は優しい目をしていた。
「……」理穂は静かに頷いた。
「寝ている時以外は、いつも一緒なんだもの、二か月も一緒にいたら私だって好きになるわよ!」
「お義姉さん……」理穂は悲しそうに微笑んだ。
「彼のことは何かわかったの?」
「……」理穂は無言で軽く頭を振った。
「そう、何も話してくれないの?」
「でもいいです。いつかは出て行く人だと思っているし、仕方ないし……」
そう言いながら目頭を熱くする義理の妹を見て、義姉も胸が苦しくなっていた。
 しばらく沈黙があったが
「週に一〜二度しか会わない人だったら、そんな思いにはならなかったかもしれないのにね……」義姉がため息をつくように言うと
「そうかもしれないですね」理穂も俯きがちに答えた。
「こんな人と結婚して、店を続けていくことができたら、幸せな家庭が創れるかもしれないのに…… こんな漠然とした思いなんでしょ」
「えっ、どうしてわかるんですか?」

「そりゃ解るわよ、状況からして死にたいほど愛しているなんてことにはならないだろうし、そんなに深い話だってしたわけじゃないでしょ、ただ漠然といい人だなーって思う中で、この人と一緒になったらって考え始めたんだろうから……」

「私もよくわからないんです。愛しているなんて言えないし、ただこのまま結婚して一緒に暮らすことができたら幸せになれるんだろうなって思って…… だけどそんな思いしかないのに、結婚を考えていいのかって……  死ぬほど愛しているっていう自信があったらちゃんと前向きに考えられるんだろうけど……」切なそうに話す理穂に

「だけどね、死にたいほど愛することができる人なんて、そんな簡単には巡り会えないわよ、ドラマやマンガじゃないんだから! 」義姉は言い切った。
「えっ、姉さんたちは違うんですか?」驚いた理穂が尋ね返すと
「えっー、そんな恥ずかしいこと言わないでよ、そんな訳ないじゃない!」
呆れたように彼女が否定した。
「えっ、お互いに死ぬほど愛しているのかって思ってました」
「おもしろいわねー、でも残念だけどそんないいものじゃないわよ」
「……」

「二五歳になっても彼氏がいなくてね、そろそろ結婚を考えたいのに…… なんて思っていた時、英一さんに誘われたの! お互いに教師だから経済的には楽に暮らせるかなって思ったし、彼は誠実で優しい人だし、私の周囲で考えればまあまあ良い方だった。最初はそんなものよ」
 義姉はあっさりと言ってのけた。

「えっー、でもその後はどうだったんですか、絶対に結婚したいとか思わなかったんですか?」

「確かに付き合っていくうちにこの人とだったら幸せに暮らしていけるだろうなって思ったけど、絶対に……とは思わなかったわね、もし振られていたとしたら、『あっ、そう』って言って次の恋を探したと思うわよ」

「えっー、ショック!」
「結婚なんてそんなものよ、だって許される環境の中で、理想に描いたような人に出会える訳ないでしょ」

 しばらく考えた理穂は
「そりゃそうですよね、私なんか、許される環境の中には和也さんしかいないし……」
 そう言いながら、確かにその通りだと思って、少しがっかりした。
「だから皆、妥協しているとは言わないけど、許される環境の中で、そこそこの人に出会うと、その人が一番になってしまうのよ」
「へえー、何か恋愛って難しいですね」

「絶対にないとは言わないけれど、付き合っている男性との結婚を考えた時に、百点じゃなくても幸せになれそうって思ったらほとんどの人は前に向って進んで行くんじゃないのかしら…… 」

「なるほどねー」義姉の話は淡白であったが、恋愛経験のない理穂は感心して聞き入っていた。

「夢のないこと言ってごめんなさいね、でもね、何か考え違いをしてしまうと夢だけ見て一生終わってしまうことだってあると思うのよ。私が大学卒業して今の学校に初めて赴任した時、三四歳の女性教諭がいたの! その彼氏は同じ学校の三六歳でとてもいい先生だった。でもね、二人は別れたのよ、その女性が言うには『何か足りないのよ、もっといい人探すの!』って言ってた。
その人はもうすぐ四十歳、未だにいい人に巡り会えないって嘆いているの……」

義姉が呆れたように話すと

「へえー、悲惨ですね」理穂は目を見開いて驚いた。
「そりゃほんとに大変よ、四十女のお眼鏡にかなう男がいると思う? そりゃ、新採用の教師なら、生気がよくて、イケメンで、スタイルも良くてさわやかなのがいるかもしれないわよ、でも養子をもらうんじゃないんだから! 結婚相手探しているんだから……」

「お姉さん、おもしろい、確かにそうですよね」理穂が微笑むと
「ついむきになって話してしまったけど……」義姉はふと我にかえると照れくさそうに笑った。
「いいえ、楽しかったし、勉強になりました」

「だからさ、燃えるような思いじゃなくても、この人とだったら幸せな家庭が創れるかもしれないっていう理穂ちゃんの思い、大事にした方がいいと思うよ、無理して諦めようなんて考えない方がいい。縁があれば自然に流れて行くわよ。、だから苦しい思いして、止めよう、止めようなんて考えないで! そりゃひょっとしたら悲しい結末になることだってあるかもしれない、でもその時はやけ酒飲んで『馬鹿野郎』って叫ぶのよ、私もつきあってあげるからさ……」
明るく話す義姉に
「ありがとう」理穂は救われたような思いがしていた。


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