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作品名:水面(みなも)に落ちた小石 作者:此道一歩

第15回   見え始めた和也の全容
玄関に入って長い通路を歩き始めると、奥から母親の玲子が足早にやってきた。

「和也、やっと帰ってきたのね…… 」
彼女は目頭を熱くして彼に向って一言いうと、理穂に目を向けて静かに微笑んだ。
「黙っていてごめんなさいね」
優しく語りかける彼女を見て、理穂は、瞬時に全てが理解できた。

( なるほど…… 和也さんのお母さんだったのか、そういうことか…… でもお母さんにしては若すぎるなあー…… いくつなの? えっ、だいたい母の形見だって言ってたあの婚約指輪は何だったの? )

目を見開いて驚いている理穂に向って
「この子の母親なの、黙っていてごめんなさいね」重ねて謝る玲子に、はっと我にかえった理穂は
「あっ、あのすみませんでした。私、全然知らなくて……」
「いいのよ、知らなくて当然よ。どうせこの子のことだから『天涯孤独だ』とか、『一人ぼっちなんだ』とか、適当なこと言ってたのわかってるから、だから私だって母親だって言えなくて……」
「……」
「綾ちゃん、こんにちは」玲子はしゃがみ込むと笑顔で綾に語りかけた。
「バーバ、まんま……」綾はおやつが食べたかった。
幼い綾はいつものバーバに会えてとてもうれしそうだった。
「綾ちゃん、バーバはね、綾ちゃんのお婆ちゃんなの、綾ちゃんのパパのお母さんなの」
「バーバ おやち」
「おやつ食べようねー」
玲子は綾の手を引いて奥へ向かって進み始めたが、ふと立ち止まると振り返って
「甘いもの食べさせてもいいかしら?」理穂に向かって尋ねた。
「あっ、はい、大丈夫です。でもそんなに気を使わないでください……」
「気を使っているわけじゃないのよ、可愛い孫に美味しいものを食べさせたいだけなの、この子がおいしそうに食べて喜ぶところを見たいのよ」
そう言うと綾の手を引いて再びリビングへと向かった。
「綾ちゃんはケーキやプリンは好きかしら?」
ソファに座って綾を膝の上に乗せた玲子は幼い孫を覗き込むように尋ねた。

「バーバ、好き、チェーキ好き」
振り向いて彼女に微笑む幼い孫の笑顔に触れて、彼女はまぶたにほんのりと涙が浮かぶのをどうすることもできなかった。
朝方、エリカから和也一家がやってくることを聞いた玲子は二0種類以上のショートケーキやプリンを取り寄せて三人を待っていた。
リビングのテーブルに並べられたその種類に驚いた綾は目を輝かせながらどれにしようか悩み始めていた。

傍らでその様子を見ていた理穂は、娘をこんなにも大事に思ってくれる人がいて、その人は夫の母親だった、こんなにありがたいことはないと思っていた。

「もうここに住んでもらうわよ、もう私はこの子と離れるのは嫌ですからね」
顔を上げた玲子が語気を強くして和也に話すと
「 母さん、そういうわけにはいかないよ」
「父さんの事だったら気にしなくていいわ、文句言ったらあの人を追い出すから」
かつて聞いたことのないような母親の強い言葉に和也の心は揺れ始めていた。
「理穂と相談してから……」そう言いかけた彼を遮って
「理穂さん、いいわよね、ここに住んでくれるわよね、お店だったらここから通えばいいじゃない、綾ちゃんは私が面倒みるわ」
和也はこんな強引な母を見たことがなかった。
「はい、でも……」俯いて答える理穂を見て
「母さん、少し時間をくれないか」困った和也が頼んだが
「だめ、何年持たせたの? もう離れて暮らすのは嫌よ、今日からここに住んでちょうだい」
「母さん……」
「ねえー、綾ちゃん、綾ちゃんはここのお家に住んでもいいわよね」
「バーバ好き……」
「そうなの綾ちゃんはいい子ね、これからは毎日おばあちゃんと遊ぼうね」
「いいよ、あしょぼ」
 
傍でそのやり取りを聞いていたエリカは
(兄さんが幸せならあの店で生きて行ってもいいって言ってたのに…… まあいいわ、そうなれば私も出て行ける )
そう思って静観していた。

その時であった、 二階に部屋のある和也の父親を世話しているメイドが降りて来て、
「旦那様が、早くお孫さんの顔を見たいとおっしゃっていますが……」
「見せないわよ、あなたには見せませんって言っといて!」
「奥様……」
しばらくして
「会いたければ降りてきなさいって言って!」
「奥様、お願いします」
「母さん、そう言うなよ、困っているじゃないか、勘当されていても、理穂や綾を紹介しないわけにはいかないだろう」
「あなたは優しいわね、あの人のせいで私は四年以上も理穂さんたちに名乗れなかったのよ、こんな思いは二度としたくない、何か言ったら蹴飛ばしてやるっ」
「母さんどうしたの? すごく凶暴になったね」

「兄さん…… 兄さんが出て行ってからは大変だったのよ、以前にも話したけど、理穂さんにも聞いて欲しいの…… 特に兄さんの居場所が分かるまでは、パパと口も聞かなかったんだから、パパが何か言っても、『ふんっ』って言って、食事だってパパとは別にしていたんだから……」

「…… 」理穂は目を見開いて恵梨香に聞き入っていた。

「 パパは一週間もしたら勘当は取り消すって、ママに謝ったのよ、でも、ママはそれだけじゃ兄さんは帰ってこないから、頭を下げて迎えに行けって言ったのよ。でもさすがにそれはできない、って、そのうちに困ったら帰ってくるよってパパも言うし、もう私もあきれ果てて関わらないことにしたの」

「すまなかったなー」和也が詫びるが

「兄さんの居場所がわかってからは少し落ち着いたんだけどね、綾ちゃんができてからは、また大変、そわそわ、イライラ、『いつあの孫を抱けるのよっ』って、綾ちゃんと遊べている時は良かったけど、保育園に行き出したら、また大変、その内に寝込んでしまって……」

エリカは、この実情を理穂に知って欲しかった。

「私の主人だって、気の毒なのよ、研究者なのに社長にさせられて、助けてあげたいのよ……」

「申し訳ない、ただねー……」

「いいわよ、社長はなりたくなければ、誰かにしてもらえばいいわよ。だけど家には帰ってきてほしいの、お願い。そうすれば私たち二人はマンションで暮らすことができる。毎日パパやママに気を使っているうちの人が気の毒なの。理穂さんには申し訳ないけど……」

「いえ、私は……」理穂は静かに頭を振りながらエリカを見つめていた。
「和也さん、どうか二階へお願いします」
「母さん、二階へ行こうよ、奈津さんが困っているよ……」
「ほんとにわがままな男ね、綾ちゃんがケーキを食べ終わってからね」

「兄と母は血がつながっていないの……」エリカが静かに理穂に話し始めた。
「えっ、そうなんですか、あまりにお若いから不思議には思いましたけど……」
「母は、大学一年の時から兄の世話をしていたらしいの、兄の実母は産後体調がすぐれずに寝込んでいたらしくて、この母が手助けをしていたらしいの、兄が二歳の時、実の母親が亡くなって、その時、彼が心を開いていたのは実母を除くと、当時、世話をしていたこの母だけだったから、父も困り果てて、全ての面倒を見て欲しいってお願いしたらしいの。
その日から母はこの家に住んで母親代わりをしたらしい…… 」
「それからずっーとになってしまったんですか?」
「そう……」
「じゃあ、お母さんの形見としていただいた婚約指輪は、亡くなったお母様のものなんですか?」
「そう……」
傍でエリカの話を聞いていた和也も静かに時を遡っていた。

「母は大学の卒業時点で就職を考えたらしいけど、まだ三歳の兄をとても一人にできなくて、卒業後もそんな生活を続けたらしい…… 一回りも歳の違う父と結婚したのも、兄のためだと思うの……」
「お母様の人生って……」理穂はそこまでで言葉を留めた。

「母は施設で育ったの、中学生の頃から天才って言われるほど勉強ができて、高校はここのお祖父ちゃんのお世話になったみたい。あまりに勉強ができるものだからおじいちゃんが大学へ行かせたの、アパートも用意して、生活費や学費は全て面倒見てくれたの…… 
母は恩返しのつもりで兄の面倒をみていたのね」

「そうなんですか、お義母さんにも辛い過去があるんですね」
理穂は少し涙ぐんでいた。

「父さんから結婚を申し込まれた時は大学を卒業して二年目で、まだ二四歳前だったらしいの、お祖父ちゃんからは『もう出て行った方がいい、君の人生を縛るつもりはない、君の幸せを見つけなさい、和也はどうにかなる』って言われて…… でもその頃はお祖父ちゃんも体調がよくなくて、母もいろんなことを悩んだと思うの、結果、結婚してしまったらしいけど、何故かそこは私もよくわかんないの…… やっぱり兄を一人にできないって思ったのか、お祖父ちゃんを放っておけないって思ったのか、お世話になったっていう思いもあったのかなー」

「お義母さんもお義父さんに魅かれていたんじゃないんですか?」
「えっー、それはないと思うけどなー、 私の知る限り、父さんは昔から母にやられっぱなしだからね……」
「そうですか……」

「ちょうど兄が小学校へ上がる前、風邪をひいて寝込んだ母が、朝、目覚めると兄が母のベッドに寄りかかって寝ていたらしいの、実母の死を目の当たりにしていた兄は、母が死ぬんじゃないかって、心配で、そこを離れなかったらしいの……」

「……」

「その日まで何となく流されてきた母が、この子はわたしじゃないとだめなんだ、病気なんてしていられないって思って、その時、心がぱっと目覚めたんだって……」
「実の親子以上ですね……」
「そうなの、二人の絆は血を超えている…… 実の娘の私でもあの二人の中へは入って行けない!」
「和也さんとはいくつ違うんですか?」
「六歳です。だけど母は、幼い私を周りの人達に任せて、兄のことばかりしていましたよ」
「そうなんですか……」
( 私は、この家でやって行けるだろうか? )
「心配でしょ、母が割り込んできそうで……」
「……」理穂はエリカを見つめると苦笑いをした。

「大丈夫ですよ、母もそこはよくわかっていますから、それに綾ちゃんに夢中よ、もちろん、綾ちゃんが兄の子どもだからってこともあるけど、この二年間、孫を想うように抱けなかったという募りに募った思いで、兄のことなんか眼中にないですよ」

「あんなにかわいがっていただいて、ありがたいです」
理穂はケーキを食べている綾を楽しそうに世話する義母を見つめて微笑んでいた。
「でも、綾ちゃんは独占されるかもしれないですよ……」

しばらくして皆が二階へ上がり父親の部屋へ入ると
「ひさしぶり……」和也は何もなかったかのように父を見つめた。
「元気そうじゃないか」
嬉しそうに彼も息子に一瞬目を向けたが、直ぐに隣にいる初孫と、息子の嫁に気を取られた。
「初めまして、理穂と申します。知らなかったこととはいえ、今まで申し訳ございませんでした」
彼女が静かに頭を下げる。
「とんでもないですよ、この難しい息子と一緒になってくれて、こんなかわいい孫を見せてもらって…… ありがたいことです」

ソファから立ち上がった父は、綾の前へいくと、
「お祖父ちゃんですよ、おいで……」微笑んで両手を広げたが、
「綾ちゃん、いらっしゃい」後ろから玲子が綾を抱き上げた。
「おいっ……」情けない顔で妻を見上げると
「簡単に孫を抱けるなんて思わないでよ!」
「どういうことだよ」
「勘当した息子の子どもよ、孫だって勘当しているのと同じでしょ」
「勘当って何のことだ」
「父さん……」和也がどうしたのと言わんばかりであった。
「勘当なんてした覚えはないぞ」
「何言っているの、とぼけて済ますつもりなの」
「母さん、いいよ、綾が全てを丸めてしまったんだよ……」
「だめ、今後どうするの?」
「どうするって言ったって…… 長男なんだから、この家に住んで社長に就任してってことじゃないのか……」
「あなたはそれを望んでいるのねっ」
「そりゃ、そうだよ、こんなかわいい初孫と離れて暮らすなんてできないだろう」
「いいわ、じゃあ、抱かせてあげる、綾ちゃん、ジージですよ」
玲子は綾を丁寧に夫に預けた。
「綾ちゃん、ジージですよ」そう言って祖父が抱き上げると
「ジージ、バーバ怖い?」
大きな笑いが一瞬でわだかまりを吹き飛ばしてしまった。

「今さらなんだけど、だいたい四年前、二人は何が原因で喧嘩したのよ、よく考えたら私その場にいなかったから知らないのよ……」
「信じられない人ね」玲子が笑いながら言うと
「それはだなー……」父親は話しにくそうであった。
「父さんはね、早く楽になりたくて、和也に取締役企画部長の職を用意して、色々画策していたのよ」
「いやそんなことは……」

「だけど和也はお祖父ちゃんから『人の上に立つ者はそれを支えてくれる者達の境遇や苦悩を知らなければその責任が果たせない』って教えられていたから、下請け企業にお世話になりたいって言っていたのよ」

「へえー、そりゃ大変だったね」
「最後に和也が『わかってもらえないのなら出て行く』って言ったら、父さんも『わかった、出ていくのなら二度と帰ってこないつもりで出て行け』ってことになったのよ」
「なるほど、それが勘当ということになったのね」
「だから父さんが勘当なんて言っていないって言うのもまんざら嘘じゃないのよ」
「ばからしい、どこにでもあるような親子げんかでしょ、売り言葉に買い言葉で、馬鹿じゃないの、それで四年も家を留守にする?」
エリカは呆れて和也に言葉を向けたが、

「申し訳ない、でもそのおかげでたくさんいいものを見ることができたよ、それにこんなことがなければ理穂にも巡り会えていなかったし……」
「父さんも父さんでしょ、いつまでも引きずって仕事までおろそかにして、ばか会長って言われているわよ」
「えっー、そうなのか? もう駄目だな俺は…… 和也、帰って来て、社長に就任してくれ、もういいだろう」
「ちょっと待ってくれよ…… 」
「待てと言えば待つけど、私のためじゃなくて、母さんのために帰ってくるべきだろう」
「……」
「母さんは一八の時からお前の面倒を見てくれて、自分の人生を犠牲にしてお前に尽くしてくれた人だよ、父さんと結婚したんだってお前のためだよ、その母さんにこれ以上辛い思いをさせるのはお前の本意ではないだろう」
「たまにはいいこと言うじゃないの、少し違うけど、まあいいわ」

「ちょっとだけ待ってくれ」
和也は理穂の背を押すようにして、部屋を出てかつての自分の部屋に入った。
「理穂、ごめん、こんなことになってしまって…… いつかはこんな日が来るんじゃないかって心配していたんだ。その時、理穂が解ってくれるかどうか、とても心配だった」
「いいわよ、これからはお母様に恩返ししないと罰が当たるわよ、お母様あってのあなたでしょ、夫婦なんだから…… 一緒に親孝行していきましょう」
「ありがとう、ただ綾は取られてしまうと思うよ…… 」
「いいわよ、人生かけてあなたのために生きて来てくれたお母様なんだから、あんなにかわいがってもらって、綾がお母様を幸せにしてくれるんだったら、それでいいわよ。それに二人目もいるし……」
「えっ!」
「子どもが二人になると大変よ、お金だっているわよ」
「そうだね」
「ところで、社長さんになったらお給料はどのくらいなの?」
実のところ、彼女は斎藤グループという会社をよく知らなかった。
「えっ、よくわかんないけど…… 四〜五百万かな」
「えっ、お店だって六百万くらいあったのに…… この家の維持管理だって大変そうだし……」
「そんなのはおやじにまかせておけばいい」
「そうなの? でも四〜五百万か…… 今、中小企業はどこも厳しいものね、仕方ないわよね」
「ごめん、勘違いしていると思うんだけど、月に四〜五百万だと思う……」
「えっー!」
 


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