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作品名:水面(みなも)に落ちた小石 作者:此道一歩

第12回   人事課長の横暴
 栗山との長い付き合いを思いだしながら……
十一時半に十人分を配達した彼は、総務課のある七階のエレベーターを降りたところで、四十過ぎの男性から声をかけられた。

「君はどこに行くのかね?」
「はい、総務課長の栗山さんから頼まれてお昼を配達にきました」
「いい匂いがしているけど、お好み焼かね?」
「はい」
「配達の後、総務課の向かいに人事課があるので寄ってくれないか? 私は課長の小橋だ」
「はい、わかりました」

配達を終えた彼が人事課を覗くと、一番奥から
「おい、お好み焼屋! ここだ」
「すいません、何か?」
「何かじゃないよ、会社内へ配達するんだったら内の許可を取ってもらわないと困るよ、内は社員の福利厚生を所管しているんだよ」
「あっ、そうでしたか…… 誠に申し訳ありませんでした」
流れを見たかった彼は今日の配達が特別なものだということを説明はしなかった。
「この紙に必要事項を書いて、せめて十人分ぐらいは『試食です』って持って来て、
『食べていただけませんか』って言うのが礼儀だろ、いくらお好み焼屋でも、そのくらいは知っておけよ」この横柄な発言に
「すいません、内は小さな店でちょっとそこまでは……」和也は懸命に平静を装って答えた。
「そうなの、じゃあ仕方ないな、もう配達はできないよ…… いいんだな」機嫌を損ねたのか、ぶっきらぼうに話す人事課長に
「仕方ないです。失礼します」和也が頭を下げて帰ろうとした時、
「それから、念のために言っておくけど、このトラブルは今日中には社員の全員が知ることになるから、明日から人事課長に逆らった君の店に行く者はいないと思うよ」
「そうですか…… 」驚いた和也は、
( こんな奴が人事課長しているのか、この会社はどうなっているんだ! )
そう思ったが静かにその場を立ち去った。

しかしエレベーターの前で
「すいません……」後ろから追いかけてきた男性に声をかけられ、和也が振り向くと

「私は人事課課長補佐の岡野と申します。ほんとにお恥ずかしい話で申し訳ありません」
彼は俯きがちに詫びてきた。
「いえ……」
「申し訳ないですが、私がお金を払うので、明日、十人分持って来て、『試食だ』と言ってもらえないですかね?」
「えっ」驚いた和也が目を見開くと
「このままだと、ほんとに君の店に行く者がいなくなってしまう……」
「それはそれで仕方ないです」
「でも……」
「お気遣いいただいてありがとうございます。あなたのようなりっぱな方もいらっしゃるんですね、安心しました」

「とんでもない、お恥ずかしい限りです。本当なら、課長補佐である私が止めるべきなのですが、私にも家族がいます。生活を守らなければならないので何も言えません。せめて罪滅ぼしに、こうしてできることはカバーしようと思っているのですが…… ほんとにお恥ずかしいところをお見せしました」

その翌日は、支払いにやって来た栗山課長を除いては、本当に斎藤グループの社員は誰一人として顔を見せなかった。
店がすいていれば、他の客が入るので、売り上げに大きく影響することはなかったが、それでも和也はさすがにこれは放置できないと考えていた。

さらにその翌日、昼過ぎにこの話を知った栗山は、人事課へ出向くと社員の前で人事課長にかみついた。
「彼の店には何の関係もないでしょ、皆が店に行けないように意識的な発言をして、あなたは恥ずかしくないのっ!」
「私は人事課長ですよ、職員の福利厚生を所管しているんですよ、おかしな店だと思えば配達の許可は出せないし、社員が店に行かなくなっても仕方ないと思いますよ」
「どこがおかしな店なのよ! それに社内で販売したわけじゃないでしょ、配達に許可がいるなんて話、聞いたこともないわよ、何なのよ、どこにそんなルールがあるのよ!」
「決まりがない部分は私の判断がルールですよ……」
「ほんとにあなたは人間の屑ね、あなたがいなくなれば、その方がよほど社員の福利厚生に繋がるわよ、いつまでもこんなでたらめが通るなんて思わないでよっ!」
「屑はあなたですよ、通ればでたらめではないですよ、屑には海外を経験して欲しいので、来月から東南アジアへ行っていただくことになっていますのでよろしく」

「地獄に落ちなさいっ!」
人事課の社員はみんな心で栗山にエールを送っていた。それでも東南アジアへの転勤を聞いて、最後の砦までいなくなるのか…… そう思って落胆する者ばかりだった。


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