和也が初めて栗山に出会ったのは、彼がこの店にやって来た四年前の年のゴールデンウイークであった。 ゴールデンウイークの三日目、少なかったお昼の客がはけて間もなく、スーツ姿の女性が一人で入って来た。
四十歳は過ぎているだろうこの女性は、テレビなどで企画書を持ってさっそうと歩いている『できる女』というイメージが強くて、相当に細い身体をスーツで隠しているのだろうが、今にも折れそうな指と細い顎がそれを物語っている。 やや吊り上がった瞳がどことなく冷たさと言うか厳しさをイメージさせ、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。
彼女は座るなり、メニューに目をやると 「タコで焼きそばができる? 肉はいらない!」 そういって和也に尋ねた。 「お客さん、タコで焼きそばはちょっと……」 「えっ、できないの?」 「できないことはないですが、おいしくないです」 「そんなの私の勝手でしょ!」かなり勝気な人のようである。 「そうなんですが、肉がおいやでしたら、イカの方が……」 「いいじゃないの、客が言っているんだから、まずくても私の責任よ、二玉でお願い」 彼女はそう言い切るとスマホに目を向けたのだが 「いやー、生意気言って申し訳ないのですが、上手くなかったら、この店が上手くなかったという印象が舌に残りますので、できればご勘弁いただきたいのですが……」 かなり困ったように和也が言うと 「なるほどね、でもあなた、タコ焼きそばを食べたことあるの?」 再びスマホから目を上げた彼女が彼を見つめながら尋ねてきたが、その目はきりっと彼を見つめ瞬きもしないで一瞬たりともそらすことなく彼に突き刺さってくるようであった。 「いいえ、ありません。でもそばと合わないといいますか、直接かけられたソースと合わないのはわかります。タコを炒めて、ソースをかけて食べることを想像してみて下さい」 彼は彼女の厳しい目を直視することができずに、俯きがちに反論した。 「わかったわ、でもそれだったらタコそばとイカそば一玉ずつで作ってちょうだい」 彼女はこれ以上譲るつもりはなかった。
「わかりました、そこまでおっしゃるのなら作りますが、タコ焼きそばを先に食べて下さいますか?」やっと着地点が見つかったことに彼も安堵した。
「いいわよ、そうするわ」 彼女の前でタコ焼きそばを焼いた彼は、彼女がそれを食べ始めると、隣の鉄板でイカ焼きそばを作り始めた。
その様子を見たその女性は、 「ずるはしないでよ!」
「もちろんです、そんなことはしませんよ」 彼は楽しそうにイカ焼きそばを作り続けた。
一方、彼女はタコ焼きそばを口にしながら、 (ほんとだ、お好み焼の中のタコとはちょっと違う…… 固くてソースの味しかしない、タコだと思えばタコだけど…… 別のもの入れられてもわからないかも……)そう思っていた。
「どうですか?」 「私の負けみたいね」 「お客さん、勝ち負けじゃないですよ、私はおいしいものを食べて欲しいだけです」 タコ焼きそばを食べ終えた彼女の前に、イカ焼きそばが運ばれてきた。 一口食べた彼女は 「おいしい、いかの出汁がでているわね」と和也に目を向けた。 「良かった!」ほっとした彼は胸をなでおろした。
負けたことを気にしているような彼女を気遣って彼は話を変えた。 「ゴールデンウイークなのにお仕事ですか?」 「ええ、ちょっと気になることがあって、確認だけしていたの……」 「サラリーマンの方は大変ですよねー」 「あなただって、私みたいな客が来たら大変でしょ」 「そんなことはないです。むしろ楽しいです。特にお客さんは簡単に引き下がらないので楽しかったです」 「おもしろい人ね……」 ( お好み焼屋の亭主には見えない、何か理由があるのだろうか…… ) そんなことを思った時、
「お客さんは肉が嫌いですか?」 「えっ、どうしてわかったの?」 「私もだめなんです」 「そうなの?」 「肉の嫌いな人って、けっこう味にこだわるんですよ、どうせ食べる食事なら、少しでもおいしく食べたい…… そう思っていませんか?」 「思っているわよ、何かうれしくなってきたわ」 「なかなか肉の嫌いな人には巡り会えませんからね」 「そうねー、私の周りにはいないわ」 「周囲の人が気を使ってくれることに、けっこう疲れるでしょ」 「そうなのよ、みんな宴会の料理に悩んでいるわ」 「そうですか…… 斎藤グループの方ですよね」 「よくわかったわねー」 「結構来てくださっていますから、そのバッジで……」 「なるほどね」 「所属を充てて見ましょうか?」 「えっ、あててみてよ、難しいわよ…… もし当てたらまた来るわよ!」
切れ者の総務課長が女性であることを知っていた彼は、 (恐らくこの人だな)そう思って 「総務課長ですか?」
「えっ、どうして…… 知っていたの?」 「いや、知らないですよ、雰囲気ですよ」 「何よそれ、あなた霊感があるの?」 「おもしろいこと言わないで下さいよ」 「でも驚いた!」 「ぜひまたお越しくださいよ……」 「来ますよ、楽しいから外れても来るつもりだったわよ」 「ごちそう様、おいくらかしら?」 「いえ、今日は肉の嫌いな二人が出会った記念日ということで……」 「あなた上手ねー、こうやって常連客を増やしていくのね……」 「正解です……」
これが和也と斎藤グループ、総務部総務課長 栗山奈美との出会いであった。 この後、彼女は店の常連となり、総務課の部下たちを連れて再々訪れるもので、総務課の部下達もいつの間にか常連になっていた。
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