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作品名:愛していたのかどうかわからない 作者:此道一歩

第6回   動き始めた青山義信
 しかし、3月になると、青山グループの社長、青山義信から亜紀に電話が入った。
『亜紀さん、近いうちに市長にお会いしたいのだが、調整をお願いしてもいいかな』

『えっ、お義父さんが来られるのですか?』

『大事な孫とその母親を育てて守ってくれた街に、何か恩返しをしないとね』

『はっ、はい…… でも……』

『亜紀さん、君は何も心配しなくてもいいよ、市長と日程調整さえしてくれれば、後は全てこちらで動くから…… 確認できたら、君を駅まで送って行った長崎に連絡してくれるかな……』

『わかりました。お義父さん、それは市長を応援して下さると受け取っていいのでしょうか?』

『もちろんだよ、君達二人を守ってくれた大切な人だ。街にはいくらでも投資するよ』

『あっ、ありがとうございます。助かります。本当にありがとうございます』

『そんなにお礼を言わないでくださいよ、こちらがお礼をしたいのだから……』


 彼女は、その日の市長の予約を全てキャンセルし、副市長と最も信頼できる企画財政部長に連絡を取り、状況の説明を始めた。
「みなさん、お忙しいのに申し訳ありません。大至急、ご報告したいことがございまして」

「どうしたんだね、君がそんなに慌てて……」市長が不思議そうに言葉にする。

「実は、先日、息子の受験に付き添った時に、あの子の亡くなった父親の両親に会って来たのです。あの子の祖父は、青山グループ社長の青山義信なんです」

「ええっ!」皆の驚きは尋常ではなかった。

「正直言って、今後どんなことになるのかはわかりません。でも、息子は実の孫として受け入れてもらって、そのまま、東京で暮らし始めました」

「それで、君も行くのかね?」市長がポツリ尋ねた。

「それは、まだ何とも言えませんが、先ほど、青山義信から電話があって、近日中に市長にお会いしたいと……」

「ええっ、本人がそう言っているの?」副市長が尋ねた。

「はい」

「ちょっ、ちょっと待ってよ、何をしに来るの?」市長が不思議そうに重ねる。

「この街に恩返しがしたいって……」

「ええっ! 市長選のことは知っているの?」企画財政部長が再び低い声で尋ねた。

「はい、東京で話しました……」

「どっ、どうすればいいの?」副市長も慌てていた。

「私もよくわからないのですが、市長の応援に来てくれることだけは間違いないです。それに……」

「それに……?」

「この街にはいくらでも投資するって言っていました」

「市長、行けますよ、これで一気に逆転ですよ」企画財政部長が目を輝かせた。

「正直言って、どうなっているのかよくわからないが、青山の社長が来られるというのであれば会わないわけにはいかないよな」

「市長、もちろんですよ、何言っているんですかっ」


 そして、1週間後の金曜日、午後1時に青山義信が、本社の政策部長とともに市役所庁舎を訪れた。3人のSPに囲まれた二人の紳士が秘書に迎えられ建物に入ってくると、何も知らされていない職員たちは、その異様な光景に誰もが唖然として彼らを見つめた。

「申し訳ないです。職員には実情を話していないもので…… 」

「とんでもないよ。信也君も誘ったのだが、堅苦しいところは嫌みたいでね、逃げられてしまったよ。今日はお祖母ちゃんと二人で歌舞伎を見に行くらしいよ」

「歌舞伎ですか……」

「実物を見たかったらしいよ」

「全然知りませんでした」

「これから色々なものを経験すればいいよ」

「ありがとうございます」

「とんでもないよ、毎日が楽しくて夢のようだよ」


 そして、市長室に隣接する会議室で挨拶を交わした青山グループの社長が口を開いた。
「市長選に向けて状況が厳しいことは存じております。微力ながらお力になりたいと思いまして…… 」

「ありがとうございます。社長直々にお越しいただけるなんて夢のようです」

「とんでもないです。亜紀さんと孫がお世話になった街です。できることはなんでもさせていただきたい」

「ありがとうございます。でも、もし、この街にお力添えをいただけるのであれば、私は市長を降りてもいいと考えております。若い世代にバトンタッチする時期が来ているようにも思っています」

「市長!」副市長と企画財政部長が口をそろえて市長を制止しようとした。

「あなたは本当に街の将来を考えていらっしゃるのですね。よくわかります。私は、亜紀さんに、二人を育んでくれた街に恩返しがしたいと言いましたが、それはあたがあってこその街を考えています。具体的に言えば、あなたに恩返しがしたい」

「社長、私はそんなことをしていただくようなことは何もしていません」

「そんなことはないです。亜紀さんの採用に際して、シングルマザーであることが問題になった時、あなたの一声で採用が決まったことを聞いています。その後も市長を初め、心ある方々に守られて、亜紀さんがここに至ったことはよくわかっています。もしあなたがいなければ、亜紀さんと信也はどうなっていたかわかりません。19年前、一人息子を失って、私の人生は終わったと思っていました。悲しみを隠すように懸命に仕事に取り組んで、青山グループはここまで大きくなりましたが、それでも継いでくれる者は誰もいない。家内と二人、いつ、息子の所へ行くことができるのだろうって、そのことばかり考えていました。でも、その19年の間に、何物にも代えられない宝物がすくすくと育っていた。私達には何もできなかったこの19年の間、亜紀さんたちを守って下さったのはあなた方です」

「恐縮です……」

「そのあなた方が、街の将来を考え、市長に継続していただいて何とか、実権を滝宮には渡したくない、と考えていることはよくわかります。内の者が全て調べましたが、信也が市長の子どもだという噂を流したのは滝宮です」

「やはり……」

「彼もその内には報いを受けることになるでしょう」

「社長……」

「あす、テレビ局で、あなたが市長になった場合は、現在の街づくり計画を全面的に支援する準備があることを公開します」

「しゃ、社長!」

「あなた方から受けた恩は、決してこんなものでお返しできるとは思っていません。青山グループは今後、とことん、この街にお付き合いさせていただきます」

「ありがとうございます」

「市長、ですからあと1期だけ、頑張っていただけませんか、いえ、途中でもいいです。あなたが自信をもって引き継ぐことができる人にバトンタッチするまで……」

「ありがとうございます。死ぬ覚悟で頑張ります」

「それから…… 申し訳ないのですが、亜紀さんが東京で暮らすことになってもご容赦いただけますか?」

 隣の部屋で耳を傾けていた亜紀は驚いた。

「えっ」

「実は、彼女にはまだ話していないのですが、できれば養女にしたいと考えています。少なくとも、息子が生きていれば、義娘になった人です。まっ、彼女が納得してくれなければどうしようもないのですが……」

「大丈夫です。私もそれが一番いいと思います」

「市長さんにそう言っていただくと心強いです」

「いいえ、そんな……」

 そして、翌日、ローカル局から発信されたこのニュースは、全国ネットで放送され、その午後は、いずれの局でも、この話題が取り上げられ、小さな街を支援する青山グループの企業としての在り方が絶賛され、市長の誠実な人柄が青山グループの社長を動かしたと話題になり、滝宮は市長選を断念し、急きょ市議選に出馬し、無投票で5期目の当選を果たした。


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