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作品名:愛していたのかどうかわからない 作者:此道一歩

第3回   忍び寄る影
 亜紀は新幹線の中で信也を授かって以来、この19年を思いだしていた。

 中田亜紀は、大学三年の夏、体調を崩して静岡の実家に帰っていた。
 その一週間後、親友から恋人の青山信一が交通事故で亡くなったという連絡を受けた彼女は、何とか最期のお別れをしたいと思ったが、とても起き上がることができず、ベッドの上で彼の冥福を祈った。
 悲しさはあったが、決して死ぬほど愛していた訳ではなかった。強引な彼に根負けして付き合い始めたものの、お金があれば何でもできると思っていたような人だったから、彼女が彼を叱りつけるような場面が何度もあった。
 拝むように身体を求めて来る彼だったが、亜紀は決してそれを許さなかった。
 ただ、あることを機に、一度だけベッドを共にした彼女は、『念のためコンビニへ行ってくる』と言う彼に、
「今日は大丈夫よ」そう言って彼を受け入れた。

 世の中を知らない彼に、色々なことを教えることに疲れ始めていた亜紀は、身体を許した結果、彼が去って行っても、それはそれでいいと思っていた。
 しかし、彼はますます亜紀に寄り添うようになり、一度両親に会って欲しいとまで言うようになっていた。

「こいつ、本気なのか……」亜紀は驚いたが、それでもうれしかった。

 しかし、その彼は亡くなってしまった。
( 元気になったら、せめてお参りだけは行って上げよう…… )
 彼女はそう思っていたのだが、一ヶ月後、妊娠していることを知って愕然とした。

 病院からの帰り道、
「ごめんなさい、あなたを迷惑と思ったわけじゃないのよ、ただ、驚いただけ、だから元気に育ってね」
 お腹に手をあてて、我が子に囁いた彼女は、理屈抜きで産もうと決心していた。
 話を聞いた母親と、医師になって3年目の兄は、亜紀の思いが動かないことを知って、納得はしてくれたが、兄は将来のためにとりあえずは、短大の卒業資格を取っておく方がいいと冷静に今後のことを考えてくれた。
 後期でいくつかの科目を取得した亜紀は、併設する短期大学の卒業資格を取得して、実家に引き上げてきた。
 小さな町のため、噂はあっという間に広がったが、
「結婚予定の相手が交通事故で亡くなってしまって……」と母も兄も口をそろえ、詳しいことは語らなかった。

 母は、日々、お腹が大きくなっていく亜紀には何も言わなかった。ただ、無言で彼女の世話をしてくれた。
 無事に出産を終えた亜紀は、生まれた男の子に信也と名付けた。

 彼女は、その年、市役所の採用試験に臨み、筆記試験の第一次試験は見事に合格し、一般的な面接の二次試験もトップで合格したが、市長が参加する三次試験を終えて、合否を決定する内部会議では、彼女が未婚の母であることが問題視された。
 しかし
「人の環境にはそれぞれの事情がある。人として問題がなければ、何も気にすることはない。シングルマザーが平等な位置に立てないのであれば、そのことの方が問題だ」という市長の一言で採用が決定した。

 信也を保育園に預けながらも、母親の援助は不可欠であった。
 小さな旅館を経営していた五十代半ばの母親は、その年で旅館を閉鎖し、孫の守に専念してくれた。

「子連れでも、その内にいい人が見つかるかもしれない…… 」そんな期待をもって母親は日々成長していく孫を見つめていた。

 三年後、亜紀の親友、好子が兄と結婚し、今までは好子しか知らなかった信也の父親、信一のことが母と兄にも知られることになってしまった。
「あちら側にも、ご両親がいるのなら、信也のことは知らせた方がいいんじゃないの……」
 一人息子を失ったその両親を思い、母が亜紀に話すが

「だめよ、私は青山の跡取りを産んだつもりはないの、この子は私の子なんだから……」
 亜紀は頑として受け入れなかった。
 彼女の心には、信也を取られてしまうかもしれないし、あるいは財産目当てなのかと罵倒されるかもしれない、そんな不安があって、とても信一の両親を訪ねるような気持ちにはなれなかった。


 彼女が25歳、信也が3歳になったころ、高校時代から亜紀に思いを寄せていた同級生の
滝宮和則が、懸命に彼女にアプローチしてきた。
 彼は、父親が経営する地元最大手の建設会社で、営業部長を務めていて、30歳を過ぎた頃には、次期社長になることが約束されている人間で、金遣いが荒く、女癖の悪い男であった。
 大学を卒業前に、学生結婚をした彼は、亜紀が地元に帰っていることを知って、妻が疎(うと)ましくなってしまい、毎晩酒におぼれ、妻に暴力を振るうようになってしまった。
 そのため、2ヶ月ほど前にその妻は1歳の息子を連れて実家に帰ってしまい、彼は独身生活を楽しんでいた。

 その彼は、市役所の土木部に営業に来ては、亜紀が所属する住民課に顔を出し、窓口で仕事をしている彼女に懸命に話しかけた。
「ねえ、今夜、めしに行こうよ」

「だめよ、今、仕事中なんだから…… 用事がないのなら、カウンターの前に立たないで……!」

「大丈夫だよ、客もいないし、上司だって、親父の知合いばかりだよ」

「お願いだから、職場では話しかけないで……」

 こんな状況が日々続き、亜紀は疲れ果てていた。

「中田さん、大丈夫?」
 彼女を会議室に呼んだ女性の課長補佐が心配して声をかけてくれた。

「ご迷惑をかけてすいません」

「とんでもないわよ、あなたのせいじゃないわよ。ただ、シングルマザーでも、スタイルがよくて、美人なのはあなたのせいかもしれないわね」課長補佐が微笑む。

「課長補佐……」
 亜紀は、いつもこの人に救われるような思いだった。

「でもね、一度、はっきりと言った方がいいかもしれないわね」

「そうですね、私もこれ以上は耐えられないです」

「ただね、太刀が悪いのは見えているから、どんな嫌がらせを始めるか…… そこも気になるところなのよね」

「以前にも何かあったらしいですね、高校時代はあんなことはなかったんですけどね」

「酒の席では、あなたをものにするって、豪語しているらしいわよ」

「えっ、でも結婚しているんでしょ」

「先日、離婚届が出てきたわよ」

「ええっー、そうなんですか……」

「かなりのDVがあったみたいよ、奥さんはかなり前に子供を連れて家を出ていたらしい」

「そうなんですか……」

「馬鹿だし、お金は持っているし、何をするかわからないから困るのよね」

 その夜のことであった。どこで調べたのか、滝宮和則が亜紀の携帯に電話を入れてきた。
『なあ、俺の気持ち、わかってくれないか』

『酔っているの?』

『少しだけだよ……』

『酔っている人とは話したくない。ごめんなさい』

 そして、その翌日の夜
『昨日はごめん。俺の話を聞いて欲しいんだ』

『滝宮君、あなたの気持ちはうれしいわよ、でもね、今は誰ともお付き合いするつもりはないの、だからわかって欲しいの。住民課の窓口に来るのだって、あなたの評判を悪くするだけ、これ以上、あんなあなたを見たくないの…… 高校時代は、もっと周りの人達に気を使っていたじゃないの…… 自分を取り戻して……!』

『そっ、そうか、すまなかった、もう諦めるよ』
 あまりにも切なく語る亜紀の言葉に、彼は我を取り戻し、
(これ以上は嫌われるだけだ……)
 そう思って一度は気持ちを収めた。 

 その後、しばらくの間は静かに時間が流れたが、ある日、住民課の前を通りかかった時、亜紀が市議会議員に低姿勢で微笑んでいるのを見た彼は

( へえー、議員になればあんな風に愛想をしてくれるんだ!)
思いを断ち切れない愚かな男が微笑んだ。

 その夜、彼は父親を前に
「親父、俺、議員になるよ」

「ええっ、どうしたんだ……!」

「これからは公共事業も減ってきて、町の土建業も最悪じゃないか」

「ああ、確かにその通りだ」

「大手にやられたり、市外の業者に持っていかれたんじゃ大変だよ」

「それで議員になって、地元優先を訴えるのか?」

「今の議員なんて、自治会の役員と同じじゃないか、建設業界でまとまれば、上手く行くんじゃないのか?」

「お前、自分でそう考えたのか?」

「当り前だよ、誰が教えてくれるんだよ」

 彼は、役に立たない60を過ぎた議員が、市の職員を相手に偉そうな対応をしている場面を何度も目にして腹立たしくてならなかった。
 それも、自分は大学を出ているのに、16人の議員の内、大学を出ているのは3人だけ、その内の一人はアメリカの伐々カレッジ卒となっているが、疑わしい。
 残りの13人の内には、高校中退の者までいて、地元の農業高校卒の者が7人、その内の5人が農業従事者である。
 一般質問を聞きに行ってみても、地元の水路を直して欲しいの、バスをもっと走らせて欲しいだの、境界線のトラブルを何とかしろだの、市民の日常的な困りごとを代弁するだけで、市の将来を語る者などは一人もいない。
 ただ、政党の指示を受けている議員の質問は、いくぶんまともには聞こえるが、政党が用意した原稿を読み上げているだけなのか、国を取り巻く大きな話ばかりで、全くピントがあっていない。
こうした日頃のうっぷんが、彼に一つの理論を産みださせていた。

「だけど、本気で考えるのだったら、夜遊びは控えないとだめだぞ」

「それはわかっている。3年後だろ、自重するよ」


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