掃除を一通り終え、私はパソコンの電源を入れた。起動を待つ。顔の無いぼやけたマネキンもどき、ぐにゃぐにゃしたシャボン玉もどきが次々と現れ、自室の中を漂い始める。Wordを開く。 (テーマ【弁当】……。愛妻弁当ならぬ「愛夫弁当」の話は?) マネキンもどきの一つが男性の姿に変わる。まだ顔ははっきりしない。自室の一角でシャボン玉もどきが変形して台所を構成する。 (年配の男性かな。男子厨房に入らず、昔気質の男が入院した妻のために好物尽くしの弁当を作るとか) 男性の顔が見えた。慣れぬ手つきで台所に立つ。向かいの角で、別のマネキンもどきが彼の妻を、シャボン玉もどきが病室を形作る。ベッドの上の妻の顔は青白い。 (これで物語になるかな。でも、こっちの案も……) 部屋の真ん中に浮いていたマネキンもどき二つが若い女性へと変化する。二人は姉妹だ。そしてもう一人…… 「今日もまたパソコンか」 父の声に、台所も病室も姉妹もマネキンもどきも一瞬消えた。
実家に戻って八年。一向に社会復帰しない娘に、父は苛立っている。母は家事全般を引き受ける私に謝意を示しつつ、見守ってくれている。 自分でも経済的自立の必要性は感じている。いつまでも両親が健在というわけではない。社会参加への一歩、家族以外の人と接する機会も持たねばと、去年から地域の手話講習会に参加し始めた。時々新聞やネットの求人情報に目を通し、求人雑誌も買ったりする。しかし……ダメなのだ。求人に応募しようとすると、履歴書を書こうとすると、途端に体調が悪くなる。長いブランクへの不安、過去の仕事での失敗のフラッシュバック。息が詰まって何もできなくなる。 「お前は不要」 鬱で退職・帰郷せざるを得なかったあの時、私は社会から烙印を押された。そして自分でも深く納得してしまった。焼き付いた烙印は簡単には消えない。 (不要な私が今更社会に……) 考えすぎると鬱状態に戻ってしまう。だから一旦就活も思考も止める。読書やテレビなどで気晴らしをしたり、家事に没頭したりして日々を過ごす。心身の調子が良くなってくると就職のことを考え始めるが、実行に移そうとすると体調を崩す。その繰り返しだ。 (ふわふわふわふわ……) 社会からはじき出されたまま一人宙をたゆたう。時折そんな感覚に陥ることがある。
三年前から気晴らしの一つに小説の執筆とサイトへの投稿が加わった。初めのうちは好きなように書いていたが、コンテスト形式の掌編サイトをみつけ、テーマに沿った話を考えるようになった。ぼんやり漂う漠然としたイメージが、徐々にはっきりした形になっていく。生みの苦しみが大きいほど、物語がふさわしい場所へ帰結した時の喜びは大きい。 (三人の関係の変化まで書くか、あえて曖昧に終わらせるか……) 妹の彼氏のための弁当作り、彼からのお礼の手紙、さざめく女心――。かつてのマネキンもどきとシャボン玉もどきは、今や明確な輪郭と色彩を持って物語の人物・世界として私の前に存在している。二日悩んだ末、彼氏を一切登場させず余韻を残すことに決めた。私の筆力でどこまで伝わるかは心許ないが。 (物語を着地させることはなんとかできても……) 私が再び社会に降り立つ日は来るのか。不安が胸を刺す。
受講二年目といっても学習内容は去年と同じだ。今日は仕事に関する手話表現だった。 「堀さん、新作読んだよ」 講習会終了後、乾さんに声をかけられた。乾さんも去年からの受講者で、私が趣味で執筆していることを知るとペンネームを聞いてきた。以来、私の投稿作品に目を通してくれている。 「姉妹の性格の対比と後半の手紙がいいね。ドキドキしちゃった」 「……ありがとうございます」 「元気ないね。大丈夫?」 講習会では毎回その日の学習に沿って全員手話で発表しなければならない。 「以前は東京で事務をしていましたが、今は家事手伝いです」 去年と同じ発表をした私に、講師は手話で言った。 「まだ仕事決まらないの?」 講師に悪気が無いことはわかっている。だが、不調の時には何気ない一言が大きなダメージになることもある。私は未だ社会からはみ出したまま、一人ふわふわしている半端者だ。 「薬ちゃんと飲んでる? 無理してない?」 乾さんも鬱病経験者だと知ったのは、去年の閉講式の時だった。 「……乾さんはどうやって再就職したんですか?」 「ハローワークに相談したの。鬱病からの復職支援があるって聞いて」 そんな制度があるとは初耳だった。 「堀さん、もしかして一人で頑張ろうとしてた? それで調子悪くなったんじゃ……」 頷く私に乾さんは優しく微笑んだ。 「助けてもらえることは助けてもらえばいいよ。私でよければ愚痴も聞くよ?」 涙が出てきた。社会からの着地許可は、とっくに出ていたのかもしれない。
※2018年5月に執筆。
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