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作品名:時空のはざまより2 作者:光石七

第47回   あるニャン事訴訟【テーマ:猫】
 右手の甲に痛みと赤い筋が走った。――このバカ猫! 鬱憤が爆発し、私は即座にニャン事訴訟を起こした。K島ニャン裁M出張所はその場で受理してくれ、夕方からの審理が決まった。

「平成二十九年(ニャ)第22号。原告 七石ヒカリ、被告 七石ちー」
 私は静かに原告席に座った。ちーはニャン護士に抱きかかえられ被告席へ。訴えられているのに呑気に欠伸、毛繕い。私が睨んでもどこ吹く風だ。ほどなく開廷が告げられた。
 私は訴えた。
「午前中被告に右手をひっかかれました。この傷です。今までも私は被告から数々の肉体的・精神的苦痛を受けてきました。物的損害も被っています。もう被告の横暴には我慢できません。百万ニャン円の損害賠償を請求します」
「どのような苦痛を被告から受けましたか?」
 裁判官が私に尋ねた。
「しばしばひっかかれたり爪を立てられたりしています」
「他には?」
「就寝中、毎晩のように被告に起こされ寝不足です。腕や足を噛んだり、寝ている体の上に乗ったりして無理矢理私を起こします。ひどい時は一時間とか三十分おきです。主に食事の要求なのですが、まだ皿の中にエサが残っていてもそれを確認しないのか、私を起こして激しく鳴いて催促するんです。眠いし疲れてるのに迷惑です。寝不足と疲労は仕事にも差し支えます」
 最近は連日の暑さで更にバテ気味だ。……あのアホ猫、被告席で熟睡とは。
「物的損害とはどのようなものですか?」
「被告のせいでわが家はボロボロです。障子とか柱とか……」
 予め私が提出していた証拠写真が法廷内のモニターに映し出された。
「見て下さい。障子は被告が日常的に爪をとぐせいで木枠に幾筋も溝ができ、ささくれだらけになっています。手に棘が刺さることもあり非常に危険です。障子紙も被告が爪を立てて飛びついたり破ったりでズタズタです。張り替えても数日中に被告が穴を開けてしまいます。柱もこのように傷だらけですし、最近ではこの写真のように畳で爪をとぐこともあります。ひどい有様です」
「爪とぎ板を用意すれば済む話では?」
 裁判官の言葉に私はムッとした。
「何度も買い与えました! でも使ってくれなかったんです! 高い爪とぎ板を買ってやっても見向きもせず、いっつも障子や柱で……!」
「原告、落ち着いて下さい。冷静に説明して下さい」
 感情的にさせたのは裁判官だ。だが、心証を悪くしないためにひとまず抑える。
「……無駄になった爪とぎ板の費用も賠償額に含んでいます。首輪代の累計も。黒猫なので暗闇でも居場所がわかるよう鈴付きの反射する首輪が必須なのですが、七年間で二十個近く失くされました。ひと月で四個失くされた時は痛い出費でした」
 私の主張は一通り終わった。続いて被告側の主張だ。ちーの代理人であるニャン護士が立ち上がった。
「原告が訴えた被害は全て事実であり、被告自身も否定はしないでしょう。ですが、賠償請求するほどのことでしょうか? 被告は猫です。原告の訴えは全て被告が猫の本能・習性にのっとった行動をした結果であり、基本的ニャン権の観点からも被告に非は無いと考えます」
 さすがはニャン護士、知識が豊富で弁も立つ。
「そもそも本日被告が原告をひっかいたのは、被告が大嫌いなお風呂に入れられ、被告にとって最大級の恐怖であるドライヤー攻撃をされたからです。これは正当防衛です。原告が被告の爪で度々傷つけられたのは、被告が何らかの恐怖や不快を感じたためと考えられます。被告の心情を考慮せず一方的に責めるのは間違っています」
「被告だって私の気持ちを無視してますが」
「原告、今は発言を慎んで下さい」
 口を挟んだら裁判官に注意された。……ちーが起きたようだ。
「今回の賠償請求が不当である理由はもう一つあります。日常の中で、原告は被告から苦痛以上に癒しを得ているからです」
 いやいや、あの黒猫は暑苦しいし、不愛想だし、うるさいし。心の中で反論する。ちーが一伸びして法廷内を歩き出す。注意されないのは猫だからか。
「肉球に猫耳、毛並みの手触り、温もり。何より被告の存在自体に原告は慰められているはずです」
 ハッとすると同時に、ふくらはぎにふわっとしたものが触れた。
「ちー……」
 ちーは何度も顔を私の足に擦り付ける。……そうだ、私はちーに救われてた。普段は気まぐれで我儘だけど、私が本当に辛い時、どん底の時、ちーは必ず傍にいてくれた。なんで忘れてたんだろう。私、暑さと疲れでどうかしてた……。
「すみません! もう裁判はいいです! 訴訟を取り下げます!」
 私はちーを抱き上げ、裁判官とニャン護士に頭を下げた。

 後で知ったことだが、ほとんどのニャン事訴訟は円満和解か訴訟取り下げで終わるらしい。
「やっぱり人間は猫には勝てないのかもね」
 ちーを撫でようとしたが、するりと逃げられた。




※2017年7月に執筆


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