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作品名:時空のはざまより2 作者:光石七

第44回   『乙姫』と『儀式』【テーマ:浦島太郎】
 部屋に響く赤子の泣き声の三重奏。八度目の『儀式』も実を結び、私は安堵した。いきみ続けた体はもう指一本動かすのも億劫だ。
「乙姫様、お疲れ様でございました。当分ゆっくりなさって下さいませ」
 二名の世話係のみを残し、侍女たちが退出していく。生まれたばかりの三つ子もそれぞれ乳母に抱かれて出ていく。私は子供の養育には関与しない。それは『乙姫』の役目ではないからだ。
 海中に暮らすわが一族に男はおらず、生殖能力を有するのは一握りの限られた娘だけだ。その娘は『乙姫』と呼ばれ、『竜宮城』という宮に住まい、子孫を得るための『儀式』を任される。配下の亀が連れてきた地上の男をもてなし、子種をもらうのだ。私の美貌は歴代の『乙姫』の中でも指折りらしく、褥に誘うと男は喜んでついてくる。誘う前に迫られることもある。いずれにせよ身籠ったら、男には『玉手箱』を渡し帰ってもらう。『玉手箱』には記憶を消し去る薬が入っており、男が地上に着くと煙が噴き出し作用する。地上で噂が広まり『竜宮城』に大勢押し寄せて来られても困るからだ。『乙姫』が一人の男の子種で子をなせるのは一度きりのため、毎回新たな男が連れて来られる。
 次の『乙姫』が現れるまで、私は『儀式』と出産を繰り返す。全ては一族のためであり、男には何の感情も抱かない。ただ『乙姫』の務めを果たすだけだ。

 小さな村の漁師で名は太郎、人が良いだけの平凡な男。九度目の『儀式』も順調にいくものと思っていた。ところが、太郎は私と褥を共にすることを拒んだ。
「そったらこと、夫婦(めおと)でもねえのにいけねえって!」
 私から離れ、首と両手をぶんぶん振る。
「私がお嫌いですか? 女として魅力が無いでしょうか?」
 上目遣いで太郎に訴えた。
「そんなことねえ。乙姫様ほど綺麗なお人、おら見たことねえだ。だども……」
「どなたか心に決めた方でも?」
「まだいねえ。だけんど、おら、契るのは夫婦になるおなごだけって決めてんだ。おっ父が女癖悪くておっ母が苦労したから……」
 とんだ堅物だ。だが、肌を見せてしまえば理性も崩れる。私は帯に手を掛けた。
「やめてくれ! 乙姫様、もっと自分を大事にするがええで!」
 結び目が解ける前に手が止まった。
「ちっと亀を助けたくれえで、ここまでせんでええで。……こんな綺麗な姫様だ、ふさわしい男と所帯持って、幸せにお暮しくだせえ。おらへの礼なら、さっきの酒と飯と舞で十分だ。おらのほうが礼をせにゃならんくれえだ」
 ……こんな男は初めてだ。
「おら……帰るだ。今日はありがとうごぜえました」
 太郎は私に一礼し、扉へと歩き出した。
「待って!」
 私は無意識に叫んでいた。
「……私のお礼にお礼がしたいのでしたら……地上のお話、聞かせて下さいません?」
 咄嗟に言葉を紡ぎ、私は帯を結び直した。

「乙姫様、あまりお気になさらぬよう。『儀式』がうまくいかないことも稀にございます」
「初めてのことでしたから、落ち込まれるのも無理はございませんが……」
「あれは亀の人選が悪かったのです。乙姫様のせいではございません」
 周りの言葉など何も耳に入らない。何も手に着かない。
 私の思いつきの要望を聞き入れ、太郎は一晩中話をしてくれた。村の様子、母との暮らしのこと、地上の美しい草花や様々な生き物のこと――。聞きながら、私は太郎をみつめていた。それだけで不思議と満たされた。ずっとこうしていたいと思った。だが翌朝、太郎は母を一人にしておけないから帰ると言い出した。引き留めたかったが、太郎の意志は固かった。
「乙姫様、仕方ございません。太郎様に『玉手箱』を差し上げて地上にお帰し致しましょう」
 侍女の言うことはもっともだった。『儀式』の進展が望めぬ以上、太郎を足止めしても意味が無い。私は促されるまま『玉手箱』を太郎に手渡した。だが、妙に胸が苦しかった。
「乙姫様、お元気で。幸せになってくだせえ」
 太郎の背中が小さくなっていく。
(地上に着いたら太郎は私を忘れる……)
 いたたまれなくなり、私は一人部屋に籠った。涙が勝手に零れた。
 何故太郎のことばかり考えてしまうのだろう。何がこんなに悲しいのだろう。私は毎日塞ぎ込んでいた。
「乙姫様、しっかりなさって下さい。そろそろ次の『儀式』を始めなくては」
 侍女長に叱咤された。
「……あの男に懸想されましたか。その憂いを消すにはこれしかございません」
 侍女長は私に小箱を差し出し、蓋を開けた。次の瞬間、私は真っ白な煙に包まれ気を失った。


 男を地上に帰し、九度目の『儀式』を終えた。後は出産に備えるだけだ。だが……
「今回も恙無く済みましたね」
「何人授かられたか、楽しみですわね」
 恙無く……? 確かにそうだが……。私は何か大切なことを忘れているような気がしてならなかった。




※2017年4月に執筆。


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