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作品名:時空のはざまより2 作者:光石七

第41回   『ばいせくる』の遺言【テーマ:自転車】
 美術室で一人、石膏の胸像をモデルにデッサンを繰り返す。美術部には十人ほど在籍しているが、半分は幽霊部員で残りの連中も気が向いた時しか来ない。真面目に活動しているのは僕くらいだ。顧問の美術教師は基本放任主義、でもこちらが助言を求めればちゃんと指導してくれる。今週は三者面談で忙しいらしく、まだ一度も描いた絵を見てもらっていない。
 かく言う僕も今日が三者面談だった。第一志望に書いたT大医学部は今の成績を維持できれば合格ラインだと担任に言われ、母さんは嬉しそうだった。受験まであと一年半、気を抜かずに頑張れという話で終わった。カリキュラムの充実した医学部で学び、父さんのような立派な医者になり、父さんの病院を継ぐ。両親が望むレールの上を僕は歩もうとしている。
「へー、うまいじゃん」
 急に背後から声を掛けられ、びっくりした。振り返ると、ジャージ姿の少年が立っていた。
「久しぶり、陸翔」
「えっと……ごめん、誰?」
 校内にいるということはうちの生徒だろうが、見覚えのない顔だ。
「俺だよ、『ばいせくる』」
「……は?」
「ありゃりゃ、忘れちゃったかー……って、俺もこんな姿だしな。わからないのも無理ないか」
 『ばいせくる』を名乗る少年は両手を広げ、点検するように自分の体を見回す。
「……君は誰? 僕に何か用?」
「俺は『ばいせくる』、自転車だよ。用件は……陸翔にお別れを言いに来た」
「……ちょっと待って、意味わかんない」
「昔、俺に乗ってあちこちスケッチに行ってただろ?」
「え……え、ええっ!?」
 思わず立ち上がった。思い出した。小二の時、買ってもらった自転車に『ばいせくる』と名前を付けた。カタカナ発音もいいところだったが、こんな難しい英単語を知っている自分がカッコいいと思い、「ばいせくる、待ってろよ」とか「ばいせくる、ゴー!」とか話しかけていた。高学年になるとさすがにそういう恥ずかしい真似はやめたが、それでも『ばいせくる』は小学生時代の僕の相棒だった。中学からはバス・電車通学で自転車自体に乗らなくなり、いつしか『ばいせくる』の存在を忘れてしまっていた。
「……本当に『ばいせくる』?」
「そう言ってるだろ」
「なんで人間の姿? お別れって何?」
「俺、この前廃品回収に出されてさー。どうやらスクラップ行きらしいんだわ。話せば長いんだけどさ、一言で説明すんなら、俺に同情したどっかの神様が、少しの間陸翔と話せるように魔法をかけてくれたってトコ」
 驚きやら切なさやら突っ込んで質問したい気持ちやら、心の中がごちゃ混ぜだ。そういえば、母さんが物置を整理してた気がする。
「あんま長くはここにいられないから、伝えたいこと言っとくな。――俺、陸翔に乗ってもらってすごく幸せだった。めっちゃ楽しかった。ありがとな」
「こちらこそ……ありがとう」
 『ばいせくる』との思い出が次々と浮かんでくる。
「元気そうで安心した。絵も続けてるみたいだし。いい絵描きになれよ」
「えっ……」
 『ばいせくる』は僕が昔語った将来の夢を覚えていたらしい。
「いや……画家にはならないよ。医者になって父さんの後を継がなきゃ」
「へ? 夢、変わっちゃったわけ?」
「変わったっていうか……親がそれを期待してるから……」
「何だよ、それ? 陸翔自身はどうしたいんだ? 医者になりたいって本心から願ってんのか?」
「それは……」
 答えに詰まった。
「……こんなに何枚も同じ絵描いてる。本当は今も絵描きに憧れてて、絵の勉強をしたいとか?」
 誰にも話していない胸の奥にくすぶる思いを言い当てられた。
「絵の道に進みたいなら、進めばいいじゃん」
「でも……僕は一人息子で跡取りだし……」
「わっかんねーな。せっかく自分の意志で、自分の足で、行きたいところに行けるっつーのに。なんで行きたい道を行かない? なんで自分の一番の夢を諦めるんだよ?」
 『ばいせくる』はまっすぐ僕の目を見てくる。
「誰かに操縦されて進むんなら、自転車にもできんだよ。陸翔は人間だろ? 自転車よりずっと自由じゃん。やりたいことをやらなきゃ、もったいなくね?」
「そ、そんなこと言ったって……人間だって色々と……」
 言い返そうとしたら、『ばいせくる』の周りが光り始めた。『ばいせくる』の体が透けていく。
「あちゃー、時間だ。陸翔、元気でいろよ。幸せになれ。後悔しないよう、自分の望む道を――」
 尻切れの別れの台詞を残し、『ばいせくる』は光と共に消えた。
「……自転車のくせに。好き勝手言いやがって……」
 描きかけのデッサンの前に座り直す。――自転車よりずっと自由、か。
「おー、奥野。相変わらず一人だけ熱心だな」
 顧問が美術室に入ってきた。

 家族揃っての夕食の席で、僕は思い切って口を開いた。
「父さん、母さん。実は僕……」




※2017年2月に執筆。


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