ある日の午後、丸跋交番に一人の青年が訪れた。 「落とし物を届けに来ました」 「どうぞ、こちらにお掛けください」 新米警官の沢津はにこやかに椅子を勧めた。先輩の矢内は午前中の物損事故の書類を仕上げている。 「さっき、バイト帰りに拾ったんです」 背中からリュックを下ろし、青年が話し出す。沢津は拾得物件預り書を用意し、机を挟んで青年と対座した。 「星印書店の脇の路地に入って五十メートルくらい進んだとこで、道端に転がってて」 言いながら青年がリュックから取り出したのは、手のひらサイズの紫の球体だった。 「ガチャガチャのカプセルですかね?」 「いえ、台詞です」 「……は?」 「もっと言えば捨て台詞ですかね。言葉の内容的にも、落ちてたって意味でも」 青年の返答に沢津は困惑した。 「中を見ればわかります」 青年に促され、沢津はカプセルを手に取り開けてみた。小さなカードが入っている。 「……『幸せになりやがれ、バーカ』?」 沢津が印字された言葉を読み上げると、青年は嬉しそうに語り始めた。 「最高の捨て台詞ですよね? 僕、作家志望で、中坊の頃から小説書いてるんです。でも最近スランプで。アイデアも湧かないし、全然書けなくて、いっそ筆を折ろうかって思い詰めてて。それが、さっきそれを拾って読んだ瞬間、スパーンってインスピレーションが降りてきて。どういう状況での誰の台詞で、そこに至るまでに何があったのか、ストーリーもキャラクターもどんどん膨らんで、一気に構想が固まったんです。これなら湖崙文学賞も狙える、プロへの道が開ける。早く家に帰ってパソコン開こうと思ったんですけど」 「はあ……」 「だけど、僕の小説が広く読まれるようになった時、この捨て台詞の落とし主が名乗り出てこないとも限らない。後から盗作だの著作権だの騒がれたり、印税をよこせと脅されたりしたらかなわない。そこが不安になって。だから、警察に届けることにしました。三か月経っても落とし主が現れなければ、僕のものですよね? 正式に僕の台詞と認められれば、堂々と書いて発表できる」 何かがずれている自己中心的な言い分だ。どう返すべきか沢津が困っていると、矢内が来てくれた。沢津の隣に座り、青年に言う。 「確かに、三か月以内に落とし主が判明しない場合は、拾い主の所有権が認められます。こちらにお名前と住所、連絡先をお願いできますか?」 矢内は青年にペンを渡し、拾得物件預り書に記入させた。そして拾った場所やカプセルの特徴などを書き込み、拾い主の権利を放棄しない旨を青年に確認した。判を押し、控えを青年に渡す。 「落とし主から届け出があった場合、もしくは落とし主が不明のまま三か月過ぎた場合、ご連絡しますので」 「受け取りにこの控えが必要なんですよね?」 「はい」 喜々として帰る青年を見送った後、沢津は矢内に頭を下げた。 「ありがとうございました。ああいう手合いは不慣れで……」 「拾った人間がどんな奴だろうが、動機が何だろうが、拾得物の届け出にはさして関係ない。どんなにちゃちな拾い物だろうが、こっちはやるべきことをやるだけだ」 矢内の言葉に沢津は頷いた。 「そうですね。しかし、三か月後に受け取る気満々でしたね」 「三か月きっかりに向こうから連絡してきそうだな。ま、それまでこいつには本署の保管庫で眠っててもらおう」 矢内はカプセルを手のひらに載せた。 「拾われて、大事に保管されて……。『捨て台詞』って言葉、合わなくないですか?」 「お前、全然うまくないぞ」 矢内に小突かれ、沢津は頭を掻いた。
「なんで消えたんですかねえ……」 沢津が力なく呟く。 「保管庫の管理は会計課の責任だろ。なんで俺らが叩かれるんだ」 矢内は仏頂面だ。 「向こうにしてみりゃ担当者は俺たちで、警察全体が一括りなんじゃないですか」 『捨て台詞』の落とし主は結局現れなかった。ところが、拾い主の青年に連絡を入れようという段階になって、当のカプセルが無くなっていることが明らかになった。青年は激怒し、「小説は書き上がってるのに、台詞の所有権をどうしてくれるんだ!」と、やはりどこかずれた主張を喚いた。 「お前ら、絶対許さねえ!」 そう言い放った青年は、「市民の善意をないがしろにしている」だの「警察の怠慢」だの、矢内たちを名指しにしてSNSに書き込んだ。その反響は大きく、マスコミまで動き始めている。 「保管庫への出入りは制限されてるはずだし、盗んだところで金にはならなそうだし……。やっぱり『捨て台詞』じゃなくなったから、『捨て台詞』としての存在を保てなくなって消えたんですかね?」 「呑気に馬鹿言ってる場合かよ。捨て台詞の一つでも言いたいのはこっちだ」 「すみません」 沢津は縮こまった。矢内は顔をしかめたまま、深いため息を吐いた。
※2016年11月に執筆。
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