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作品名:時空のはざまより2 作者:光石七

第31回   エア【テーマ:弁当】
 洗面を済ませ着替えてリビングに行くと、今朝も千沙は対面式のキッチンでいそいそと動き回っていた。
「おはよう。朝から張り切ってるね」
 声をかけると、千沙は手を動かしたまま微笑んで答える。
「玲音がアンパンジャーのお弁当がいいって言うから」
 カウンターの奥を覗く。青い小さな弁当箱の中央に戦隊物のキャラクターの顔が鎮座している。鮭フレークを混ぜたおにぎりに各パーツ形に切ったチーズや海苔を載せたものだ。周りには唐揚げに卵焼き、ミートボール、プチトマトが詰められている。キャラ弁の隣には、青い弁当箱の倍近い大きさの黒い長四角の容器が二つ。僕の二段弁当箱だ。片方にはキャラ弁と同じおかずプラス野菜炒めが、もう片方にはジャコと梅干を載せた白飯が入っている。あの皿の一口サンドは朝食用か。『まみや れおん』と書かれた飛行機柄の巾着も弁当箱の蓋と共に片隅に置かれている。
「これでOKね」
 おかずの隙間にブロッコリーを詰め、千沙は満足げに頷く。僕は胸の痛みを隠し、戸棚を開ける。朝はあまり食欲が無い僕は、いつもカップ半分ほどのシリアルに牛乳をかけて食べている。
「もうこんな時間? 玲音を起こさなきゃ。ただでさえのんびり屋さんなのに、バスに乗り遅れたら大変」
 千沙はパタパタと誰もいない寝室へ向かった。

 あの時の決断が間違っていたとは思わない。子宮を摘出しなければ千沙の命が危なかったのだから。事故で意識不明の重体に陥っている千沙を前に、迷う余地など無かった。
 子宮を失ったと知ればショックだろうとは思った。実際、千沙の嘆き様は凄まじかった。退院しても千沙は塞ぎ込んだままで家に引きこもっていた。千沙は子供を産みたかったのだ。それでも僕は夫婦の絆で乗り越えられると信じていたし、千沙が望むなら養子をもらってもいいと考えていた。千沙が満面の笑みで妊娠したと告げてくるまでは。
 腹はぺたんこなのに千沙は妊婦として振る舞い、三か月後には自宅出産の真似事までした。取り寄せたベビーベッドに見えない赤ん坊を嬉しそうに寝かせる。千沙曰く男の子で名前は『玲音』。千沙は『玲音』を抱き、授乳し、おむつを替え、あやした。本当に赤ん坊がそこに存在するかのように。
 僕は何度も千沙を現実に引き戻そうとした。だが千沙は「何の冗談?」と笑うばかりで聞き入れない。千沙の『玲音』はぐんぐん成長し、ひと月で寝返りをする段階になった。
 ほどなく千沙は『玲音』に離乳食を作り始めた。離乳食は日に日に固さや形のあるものにランクアップしていき、同時に『玲音』の行動もお座り、ハイハイ、つかまり立ちとレベルアップしていった。『玲音』の成長を喜び、甲斐甲斐しく世話をする千沙の顔は幸福感に満ちていた。
(これは最後まで付き合うしかないな)
 僕は腹を決めた。今の千沙は『玲音』が生きがいなのだ。もし『玲音』との生活を奪われれば死んでしまうかもしれない。
 「二人」を見守り続けて一年、『玲音』は現在四歳だ。千沙は『玲音』を幼稚園に通わせているつもりでいる。毎朝弁当を作り、朝食を食べさせ、近所のバス停まで連れていく。千沙に曜日の感覚は無く、停車する路線バスを幼稚園の送迎バスだと思い込んでいる。午後には『玲音』をバス停まで迎えに行き、連れ帰って昼寝をさせる。『玲音』が起きたらおやつを与え、遊ばせ、夕食、入浴、歯磨き、寝かしつけと一日が過ぎていく。休日は僕もこれらのスケジュールを共にする。

 シリアルを食べ終え自分の分の弁当を包んでいると、千沙が『玲音』をリビングに連れてきた。僕は『玲音』に朝の挨拶と抱っこをして家を出た。
 会社では仕事モードに切り替え、業務に集中する。しかし、昼休みに席で一人弁当を食べていると、思いは千沙へと飛ぶ。千沙が笑っているならそれでいいと割り切ったつもりでも、日々実在しない我が子を全力で慈しみ世話を焼く姿にはやはり胸が疼く。この弁当だって『玲音』の分のついでで……いや、僕への愛情も込められているはずだ。
「間宮君、これでも食べないか?」
 戻ってきた課長に寿司折りを差し出された。外で早めの昼食を済ませてきたらしい。
「もう二か月もエア弁当だそうじゃないか。ダイエットのつもりなのか? 昼抜きでは午後フラフラだろう」
 課長までそんなことを言うとは。……そうか、ずっと僕の弁当に怪訝な顔をしていた同僚たちが上司に訴えたのか。
「顔色も良くないぞ。家でもろくに食べてないんじゃないか?」
「いえ、妻がちゃんと作ってくれますので」
「何を言ってるんだ、君は独身で一人暮らしだろう?」
 弁当のみならず千沙との結婚のことまで皆の認識がおかしい。
「課長、この愛妻弁当が見えないんですか?」
「器と箸だけで空っぽじゃないか。……一度病院で診てもらったほうがいいかもな」
 何故そんな話になるのか、全く理解できなかった。




※2016年7月に執筆。


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