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作品名:時空のはざまより2 作者:光石七

第29回   What a beautiful world,but...【テーマ:色彩】
 フウの目を治したい――。それは僕が願ったことで、何よりフウ自身が望んでいたことだった。手術は成功した、はずだった。目の包帯が取れた日、フウは初めての光の刺激に戸惑いつつも、もうじきこの世界のあらゆるものの色形をはっきり捉えることができるんだと、期待に胸を膨らませていた。だが、その三日後……。僕にはわからない。何故フウがあんなことになってしまったのか。

 僕がフウと初めて出会ったのは二年前、父の代理で町はずれの小さな孤児院を訪問した時だった。フウはその孤児院で育ち、十六歳になってからはスタッフとして孤児院を支える側に回っていた。目が不自由な中、優しい笑顔で子供たちの世話をするフウに僕は惹かれた。心の清らかさがそのまま外見に滲み出たような美しさ。一目惚れに近かった。
「き、君。見えないといろいろ不便だろう? 手術を受けてみたらどうかな? ワトーにいい医者がいるんだって。費用なら僕が出すから」
 いくら話しかけるきっかけが欲しかったとはいえ、緊張していたとはいえ、ひどい切り出し方だったと思う。フウは見えていない瞳をまっすぐ僕に向け、冷めた口調で言った。
「お気持ちはありがたいのですが、初対面の方にそこまで甘えるわけにはいきません。ですが、その分のお金を孤児院の援助に回してくださるならうれしいです」
 金持ちのボンボンの高飛車な申し出だと感じ不快だったと、後からフウに聞いた。その後、僕は何度も孤児院に足を運び、スタッフに交じって仕事を手伝った。彼女との距離を少しでも縮めたかった。一緒に働くうちにフウの僕に対する不信感も薄らいだようで、打ち解けて話すようになった。僕はフウに自分の想いを伝え、フウもそれを受け入れてくれた。二人でいろんな場所に出かけた。でも、フウの一番のお気に入りの場所は、孤児院からほど近い、山と海が見渡せる丘だった。
「土の匂いでしょ、草の香りでしょ。潮の香が混じった少し冷たい風でしょ。いろんな自然を感じられるここが、子供の頃から好きだったの」
「わかる気がする。僕もここが好きだ。景色もきれいだし。……君にも見せてあげたい。ここの景色だけじゃなく、美しいこの世界のいろんなものを」
 フウはハッとしたような顔をした。
「僕が見ているものを、君にも見て感じてほしい。ボンボンの上から目線の押し付けじゃなく、君を愛する男として言う。手術を受けてほしいんだ。君さえ嫌じゃなければ」
「嫌なわけ……ないじゃない。オト……」
 フウの目から涙が零れた。
「ずっと……見える人が羨ましかった。ここも本当はどんな場所なのか、景色を想像しようとするんだけど、いつも全然わからなくて……。オトが見てるもの、私も知りたい。見てみたい……」
 僕はフウを抱きしめた。
 半月後、フウの目の手術が行われた。手術は無事に終わり、二日後には包帯が取れた。最初は全てぼんやりとした影のようにしか見えないだろうが、三、四日のうちに物の色と輪郭がはっきり見えるようになると、医者は言った。僕はフウのために、窓から山と海が見える最上階の病室を確保した。
「オ、ト……?」
 包帯が外れて三日目の朝、フウの視覚が初めて認識するのは自分であってほしいという僕の目論見は成功した。僕は一足先に起きて、フウの目覚めを待っていたのだ。
「そうだよ、僕だ。見えるんだね、フウ」
 僕は喜びと興奮でいっぱいだった。だが、フウの顔は強張っている。――おかしいな、みんな僕をハンサムだと褒めそやすんだけど。天狗になってるつもりはなかったけれど、なんだか傷付いた。まあ、フウはずっと見えない世界にいたわけだし、基準がわからないのかもしれない。人の顔を見るのも初めてなんだし、驚いてるだけかもしれない。
「……外、見てみるかい?」
 僕は気を取り直して笑顔を作り、フウの体をベッドから起こしてやった。フウは硬い表情のままは窓の外を見遣った。そして――狂ったように叫び、ベッドから飛び降りて窓ガラスを叩き割った。ガラスの破片を掴む。僕は慌てて止めようとしたが、僕の手が届く前に、フウは破片で自分の目を突き刺し、窓から飛び降りてしまった。

 フウに何が起きたのか、僕にはわからない。今日も僕は彼女のお気に入りだった丘に登り、一人佇む。
「こんなに世界は美しいのに、どうして……」
 いつも通り、どす黒い茶色の空には濃い鼠色がかった青い太陽がジクジクと鈍い輝きを放っていて、海では赤黒い波がネトネトとうねり、山はぬめるように艶めく紫紺と真っ黄色の木々のコントラストがギトギトと映える。
「こんなに世界は美しいのに……」
 涙で視界がぼやけていく。僕の茶紫と黄緑のまだら模様の肌を、冷たい風がそっと撫でていった。




※2016年5月に執筆。


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