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作品名:時空のはざまより2 作者:光石七

第27回   彼と共に棲んだもの【テーマ:同棲】
 普段温和で優しい主任の険しい表情。僕のミスのせいで、顧客の自宅で二時間も怒号を浴びる羽目になったのだ。最後は先方もこちらの謝罪を受け入れ笑顔を見せて下さったが……。
「直帰の許可が出た。晩飯食って帰るか」
 顧客宅を出て部長に電話報告した後そう言ったきり、主任は黙って僕の前を歩く。バスの中でも無言。駅前の定食屋に入ってビールと定食を頼んだものの、主任はしかめっ面で宙を睨んでいる。この状態のまま電車や新幹線も一緒なのは気が重い。僕は再度頭を下げた。
「本当にすみませんでした。僕が注文を聞き間違えたばかりに……」
「君は赤べこか? 昨日からペコペコしっ放しだな」
 温かい声に顔を上げると、主任は穏やかに微笑んでいた。
「楠様にもお許し頂けた。今後気を付ければいい」
「ですが」
「反省は大事だが、気にしすぎるのも困るな」
 店員がビールを持ってきた。
「飲んで食べて、元気出せ」
 いつもの主任だ。ほどなく定食も運ばれてきた。
「……厳しいお顔だったので、僕に怒っておられるのかと」
「そんなに怖い顔してたか、俺? まあ、クレーム対応は楽しくはないからな」
 箸を動かしながら主任は苦笑した。
「やはり僕のせいでは」
「そうじゃない。その……ちょっと後味の悪い思い出がある場所だったんだ」
 主任は語り始めた。

 ――二十年も前の話だ。俺は大学卒業後、この地方で健康食品の訪問販売員をやってた。俺に営業のノウハウを一から教えてくれたのが岸さんという六つ上の男性で、仕事以外のことも相談に乗ってくれたり、俺を可愛がってくれた。岸さんは今日伺った楠様のお宅の隣のアパートに住んでたんだ。あのアパートが今も残ってるとは驚いたよ。
 ある日、いつも陽気な岸さんが暗い顔で社に戻って来た。顧客の若い女性が自殺したという。マンションに一人住まいの女性で、ガスが充満する部屋で倒れているのを岸さんが発見したそうだ。訪問営業は何度も足を運んで信頼関係を築いたり、アフターケアに努めるのも大事だからな。岸さんもその女性をしばしば訪ねては話をしてたらしい。女性は数回前の訪問の頃から恋人の心変わりで情緒不安定気味だったそうで、こんなことになる前に何かできたんじゃないかと、岸さんはひどく気に病んでいた。女性の葬儀は実家のほうで行われたらしいが、岸さんは毎日現場のマンション近くで手を合わせてた。俺が遊びや飲みに誘っても「そんな気になれない」と断るし、かなり落ち込んでた。
 事件から十日ほど経った休み明け、久しぶりの岸さんの明るい笑顔に俺は安堵した。ちょうど相談したいこともあったし――いや、女の口説き方さ。当時モノにしたい子がいてな。「岸さん、今夜飲みませんか?」と誘ってみた。そしたら「悪いが、アパートで舞が待ってるから」と断られた。……舞って誰だ? 岸さんは一人暮らしで兄弟は男だけだし、今付き合ってる女はいなかったはず。俺は素直に疑問をぶつけた。すると岸さんは「俺の彼女。昨日から一緒に暮らしてる」と。驚きつつも不思議に思った。顧客の自殺にショックを受けてた岸さんが急に彼女を作り、同棲まで? だが、せっかく元気になった岸さんを問い詰めるのも気が引けて、「近いうち紹介してください」とだけ言った。
 三日後、岸さんが無断欠勤した。その次の日もだ。俺は心配になって岸さんのアパートを訪ねた。表札が『岸・押井』と書き変えられてた。ドアを叩いたけど岸さんは出てこず、ドア越しに話すだけだった。岸さんの声は妙に覇気が無く、会話もどこか噛み合わない。「舞のためにここにいなきゃ」と繰り返したり……。話した内容はもう詳細には覚えてないが、俺が何かの拍子で自殺した顧客のことを言った時の「何のことだ?」という返答は覚えてる。帰る時、窓の隙間から髪の長い女性の後ろ姿がチラッと見えた。同棲相手だと思った。
 翌日から俺は三泊四日の研修で、一応上司に岸さんの様子を報告しておいたんだが……。研修から戻った俺は、岸さんの死を知らされた。部屋で一人衰弱死。女性がいた痕跡はなかったという。
 葬儀の後、岸さんが残した顧客リストを整理してたら、『押井舞』という顧客がいた。二十代、岸さんが言ってた彼女と同姓同名だ。住所のマンションを訪問してみると、空き部屋だった。マンションの住人に聞くと、その女性は自殺したと……。

「その後お袋が倒れたのを機に俺は地元に戻り、今に至るんだが……。まさかもう一度あそこに行くことになるとは思わなかった」
 主任はため息を吐いた。
「本当に岸さんは自殺した押井舞と同棲してたのか? 今でも謎だよ」
「怖い話ですね……。実は僕、彼女との同棲を考えてるんですけど……」
 なんだか気持ちが萎えてきた。
「幽霊じゃないんだろ? まあ、生きてる女も怖いけどな」
 主任が曖昧に笑う。――確かに。僕も曖昧に頷いた。




※2016年3月に執筆。


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