20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:時空のはざまより2 作者:光石七

第25回   しょっぱい玉露【テーマ:お茶】
 どうやら明日、世界は滅ぶらしい。昼休みとなり、ディスカウントストアで買った安いおにぎりにかぶりつこうとしたら、休憩室の片隅のテレビに速報のテロップが流れた。くだらない昼のバラエティ番組を映し出していた画面が切り替わり、某国の科学者のコメントが同時通訳で生中継される。それだけではよくわからなかったが、その後の日本のスタジオでの解説で大まかな状況が呑み込めてきた。何でも、新たな宇宙の泡が生まれようとしているという。その泡が膨張しながら宇宙を光速で駆け抜けることで、物理法則がすべて崩壊し、地球どころかこの宇宙そのものが一瞬で消滅するらしい。研究者たちが計算して導き出した宇宙消滅の日時は、日本時間でいうと明日の十一時二十七分四十四秒。プラスマイナス〇.五秒程度の誤差はあるかもしれないが、この現象は間違いなく起こり、防ぐことも逃げることも不可能らしい。研究者たちが兆候に気付いたのが一昨日で、二日がかりで調べてみたら超緊急事態がすぐそこに差し迫っていた、ということのようだ。
 午後の就業開始時刻が過ぎているが、誰も仕事に戻ろうとしない。テレビに釘付けの奴、スマホで情報を検索する奴、ウロウロ歩き回る奴、放心状態になっている奴……。
「ど、どうすりゃいいんだ?」
「……どうしようもないってことだろ」
 不毛な会話を繰り返すばかりの奴らもいる。そんな連中を横目に、俺はおにぎりを頬張った。――ジタバタしても呆けてもしょうがないだろ。俺は冷静だった。いや、むしろ安堵していた。――これで終われる……。
 何人かが帰り支度を始めた。仕事といっても工場の日雇いバイトだ。ましてや明日死ぬって時に、責任持ってこの職務を全うしようなんて思わないのは当たり前だろう。
 おにぎりを胃袋に収めた俺は、ペットボトルの緑茶を喉に流し込んだ。――安物はやっぱり不味い。そうだ、死ぬ前に最高級の美味い緑茶を淹れて飲んでやろう。買って帰るか。俺の人生のささやかな有終の美だ。
 明日の今頃、俺はもう存在しない。存在しなくていいのだ。もう過去の夢の残像に苦しむこともない。……大多数の死にたくない奴らや未来が断ち切られるガキどもには気の毒だが、明日の滅亡は俺にとっては福音だ。五年前に声を失って以来、死にきれない屍のような日々を過ぎしてきた。ようやく終止符が打てる、解放される……。
 俺は一人、黙って立ち上がった。もっとも俺は喋りたくても喋れないが。おにぎりの包みと空のペットボトルをゴミ箱に放り込み、ロッカーへ向かった。

 歌が俺の唯一の才能で生きがいだった。早くに死んだ両親も、育ててくれたばあちゃんも、よく俺の歌を褒めてくれた。高校の同級生と組んだバンドで、本気でメジャーデビューを目指した。地道に活動を続けること四年、俺たちは幸運にもある音楽プロデューサーに見出された。プロデューサーは俺の声を高く評価してくれ、俺たちのために最高のデビューの舞台を用意してくれた。
 だが、俺たちのデビューは流れた。俺が歌えなくなったからだ。度々喉に違和感を覚えていたが、風邪か疲れだと思い込んでいた。しかし、俺の声は掠れて小さくなっていく一方で、病院の検査で判明したのは……声帯が壊死していく原因不明の病だった。否応なしに声帯を摘出され、俺は声を失った。
 仲間たちは俺を責めたりしなかったが、俺はアパートを引き払い、彼らとの連絡を一切断った。
 メジャーデビューという夢だけが砕けたのなら、また頑張ることはできただろう。だが、歌うこと自体できなくなった俺は、どうにも生きる意味を見いだせなかった。
「どんなに辛くても、自分で死んだらアカンよ」
 ばあちゃんの遺言は俺を現世に繋ぎ留めるありがたい重石であると同時に、邪魔臭い足枷でもあり続けた。声を失くしてから、俺は生きたいと思ったことはない。

 この宇宙規模の非常事態に果たして店が営業してるのか、という心配もあったが、無事目当ての高級茶葉を手に入れることができた。帰宅すると、さっそく急須と大きめの湯呑を棚から出した。やかんで湯を沸かし、急須に注ぐ。さらにその湯を湯呑に移す。空にした急須に多めの茶葉を淹れ、湯呑の湯を注ぎ、蒸らすこと一分。玉露の場合は更にもう一分。――ばあちゃんから教わった茶の淹れ方だ。湯呑に最後の一滴まで注ぎ切り、まず香りを楽しむ。それから一口口に含み、じっくり味わって飲み込む。――美味い。声にならない声が漏れた。
 俺はゆっくり、ゆっくり、一杯の緑茶を味わった。……何故か徐々にしょっぱさが加わっていく。――何を泣いてるんだ? 生きてるのが嫌で仕方なかったくせに。今になってやっぱり怖いのか? そんな馬鹿な。それとも、この世に未練があるっていうのか?
 拭っても拭っても溢れてくる涙。俺は残りの茶を一気に呷った。




※2016年2月に執筆。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 789