ナディは侯爵家の一人娘として生まれ、大切に育てられた。 「何て綺麗なお嬢さんでしょう」 ナディを見た者は皆、口を揃える。 「きっとこの美しさに嫉妬した女神が、ナディ様の目から光を奪ってしまったのですわ」 ナディは生まれてすぐの高熱が原因で失明した。しかし、屋敷の者たちは彼女を心から慈しんで育てた。 十五歳になったナディは社交界にデビューした。目の見えないナディの傍らには常に侍女が付き添う。噂以上のナディの美しさに、貴族たちは感嘆のため息を漏らした。 「こんなに美しい方がいらっしゃったとは」 「あの方の前では花も萎んでしまいますわね」 ダンスを申し込む者や彼女に愛の言葉を囁こうとする者、「後で読んでやってほしい」と侍女に恋文を託す者などが続出する。だが、ナディはそれらの求愛を全て断っていた。 「宮廷中の殿方がナディ様に恋焦がれているようですね。そのお美しさですから」 侍女がナディに話しかける。 「どなたか気になる殿方はいらっしゃらないのですか? 言い寄る方が多すぎて、お一人お一人の印象が薄いのかもしれませんが」 「……私は本当に美しいのかしら?」 ナディが呟いた。 「何を仰います。ナディ様ほどの美人はいらっしゃいませんよ」 「確かにみんな私を綺麗だと言うわ。花や星より美しいとか。でも、本当にそうなの? 私は自分の顔も花も星も見たことが無いもの。綺麗だとか美しいとか、私にはわからない。そんな言葉で褒められても、私には虚しく響くだけよ」 「ナディ様……」 侍女は胸を痛めた。ナディは自分の美貌を知らない。褒めそやす人々を信じきれない。もちろん社交辞令の美辞麗句も多い貴族社会だが、ナディへの賛辞は本物だ。 (このままでは然るべき殿方が現れてもお断りになってしまうのでは?) 侍女はこのことを侯爵夫妻に報告した。 「目を治せる医者があれば……」 そんな中、異国で新たな医術を学んだ医者が帰国した。侯爵はナディをこの医者に診せた。医者はナディの目を手術し、見事光を取り戻させた。 「これが私……?」 鏡の中の自分の姿をナディは不思議そうにみつめる。 「どうです、お美しいでしょう?」 侍女は微笑むが、ナディは浮かない顔だ。 「美しい?」 「そうお思いになりませんか?」 「……わからないわ。みんな一人一人顔かたちは違うのはわかるけど……」 赤ん坊の頃からずっと見えない世界で生きてきたナディは、見た目の美醜の区別が理解できなかった。 「無理もないかもしれません。ですが、この国で一番の美女がナディ様であることは事実です。ご自分を基準に考えられてはいかがですか?」 「私が一番の美女……」 見えるようになったナディに多くの貴族が祝いの言葉を述べた。ナディは出会う一人一人の顔を鏡に映る自分の顔と見比べる。 (この方々より私のほうが美しいのね?) やはり多くの青年貴族から求愛される。ナディは彼らの言葉を以前よりも素直に受け止めている自分に気付いた。彼女は徐々に自分の美貌に自信を持ち始めた。 「これほどの女性はわが国にもおりません」 異国からの客人もナディの美しさを絶賛する。某国の王弟が彼女に真剣に求婚したこともあった。しかし彼は既に決まっていた他国の王女との結婚を覆すことができず、ナディ自身も気乗りしなかったため丁重に断った。だが、この経験は彼女に大きな確信を与えた。 (私は美しいのだわ。誰よりも……) やがてナディはイルという青年貴族に好意を抱いた。きっかけは彼から贈られた詩だった。長い暗闇から光の世界に移ったナディの戸惑いを花に準えて的確に言い表しており、傍らで花を見守ることができれば幸せだと結ばれていた。 (他の方とは違う) 二人は愛し合うようになり、家柄も釣り合っていたため、結婚が認められた。 「あんな十人並の男にナディ様を奪われるとは」 「国随一の美女を妻にできるなんて、幸せな方ですね」 嫉妬交じりの祝福の声はナディの耳にも届いた。 なかなか子宝に恵まれなかったが、ナディは幸せだった。夫は優しく、いつも自分の美しさを称えてくれる。しかし、ある日イルの浮気が発覚した。 (私という美しい妻がありながら何故?) イルは弁明した。 「魔が差しただけだ。その、君とはまた違う美しさが新鮮で、つい吸い寄せられて……」 ナディは愕然とした。自分が一番美しいのではないのか? その女は自分より劣っているのではないのか? (美しさって変わるものなのね……) ナディの心中をよそに、イルは彼女に謝る。 「すまなかった。もう二度としない」 ――本当だろうか? また別の美しさを持つ女が現れたら? ナディの中で何かが壊れた。 「……絶対に私だけ? 他の女性に目を向けたりしない?」 「ああ」 「私の美しさだけをその瞳に映してくれる?」 「ああ」 その夜、イルは両眼を失った。
※2015年7月に執筆。
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