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作品名:時空のはざまより2 作者:光石七

第6回   赤い雫に溶けたもの【テーマ:嫉妬
 一一〇番の声は弱々しかった。
「夫を殺してしまいました……」
 現場のマンションで警官を迎えたのは美しい女だった。乱れた髪、血で赤く染まった服。青白い頬にも血が付着している。
 奥の部屋に男が倒れていた。目を開けたまま苦悶の表情を浮かべているが、本来は美男子だろう。腹部からの出血がひどく、床に大きな血だまりができている。傍らにボイスレコーダーと血のついた包丁が転がっていた。
 被害者は曽根亨、三十歳、IT会社役員。被疑者は妻の美鈴、二十五歳、専業主婦。夫婦に子供はいない。
 美鈴は取り調べに素直に応じた。

 ――はい、私が……刺しました。でも、殺すつもりじゃ……。亨さんが「殺してやる」って包丁持って迫ってきて、逃げようとしたけど捕まって、私、必死に抵抗して、揉み合ううちに……。慌てて包丁を抜いたんですけど、亨さんは倒れて動かなくなって……。それまでの恐怖もあったし、私、どうしたらいいのか混乱して……。
 ……夫は嫉妬深い人でした。付き合ってる時から「そういう肌が見える服は着るな」とか、「俺以外の男と口きくなよ」とか。でも、私はそれだけ愛されてるんだと思ってました。それに私、父の再婚相手と折り合いが悪くて、早く実家を出たかったんです。母は他界してますし。プロポーズを二つ返事でOKして、夫の望みどおり仕事を辞めて家庭に入りました。
 「経済的に不自由はさせない」という夫の言葉に嘘はありませんでした。でも、夫の嫉妬深さはエスカレートして。家に来た業者さんに挨拶しただけで「色目を使うな」って罵るんです。私が外出する時は、誰と一緒でどこに行くのか細かく聞いて、相手が女性じゃないと行かせてくれない。許可しても「何時までに帰って来い」って命令して。出先にも連絡してくるし、私の帰りが一分でも遅れたら怒鳴り散らして。さすがに一緒に暮らすのが辛くなりました。
 けれど、素直に離婚を認めてくれるような夫じゃないし、実家にも帰れない。思い余って、こっそり法律事務所を訪ねました。弁護士さんは「モラハラに相当するけれど、証拠があったほうがいい」と、日記や暴言の録音などをアドバイスしてくれました。証拠を確保したら家を出て、あとの対応や交渉は弁護士さんを通す形にするつもりでした。
 でも、隠してたボイスレコーダーをみつけられて、問い詰められて……。恐る恐る「別れたい」と言ったら引っ叩かれて、包丁まで持ち出されて、「別れるくらいなら殺してやる」って……。私、怖くて、夢中で――

 美鈴の供述に矛盾は無かった。現場には確かに争った形跡があったし、美鈴の友人は亨からの頻繁の連絡に美鈴が困っていたと証言した。美鈴が弁護士に相談していたのも事実だった。ボイスレコーダーには亨の罵声が録音されており、美鈴の日記も確認された。
「優しい亨がモラハラなんて信じられない」
 そんな声もあったが、外面と家庭での顔が異なる人間は少なくない。
「美鈴は気が強いし、夫の束縛に黙ってるようなタイプじゃない」
 そう話す者もいたが、社会的な人物評価がそのまま夫婦関係に当てはまるとも限らない。亨のモラハラの証拠は揃っている。
 美鈴の行為は正当防衛とみなされ、不起訴処分となった。

 新しい住居で美鈴は一人ワインを開ける。
「モラハラ逆ギレ夫。なかなかのネーミングだわ」
 ワインをグラスに注ぐ。
「事実無根だって、あの世で怒ってるかしら?」
 美鈴はグラスを持った。
「亨さんが悪いのよ。あんな写真を……」
 美鈴は幼い頃から自分の容姿に自信を持っていた。自分より美しい女など周りにはいなかった。美貌ゆえにハンサムで経済力のある亨とも結婚できた。ところが、一枚の写真に美鈴は衝撃を覚えた。
(私より美人……)
 亨が大学祭で女装した時の写真だった。亨は風貌も体型も学生時代と変わりはない。
(私より美しい人間が隣にいる)
 美鈴は亨を憎み始めた。亨の存在が許せなかった。別れたところでこの劣等感は消えない。だから殺したのだ。亨に汚名を着せ、自分は無罪放免となる方法で。
 外出中の電話やメールは美鈴が予め亨に頼んでいたものだ。「話の長い友人だから切り上げる口実が欲しい」と言って。友人や弁護士の前では夫の束縛に悩む妻を演じ、亨の言動で傷ついた旨の嘘の日記を綴り、演劇ごっこを装って亨に暴言台詞を喋らせ……。周到に準備したうえで美鈴は凶行に及んだ。何も知らない亨に「プレゼントがある」と目を瞑らせ、正面から刺したのだ。更に刺そうとする美鈴に、抵抗する亨。共に着衣や髪が乱れる。ほどなく亨は失血で死亡した。美鈴は後の警察での供述を考え、注意深く現場の状況を整えた。ボイスレコーダーには亨も演劇ごっこの際に触れている。そして美鈴はか細い声で警察に通報したのだ。
「私が一番美しいの……」
 美鈴はゆっくりとワインを喉に流し込んだ。




※2015年3月に執筆。


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