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作品名:時空のはざまより2 作者:光石七

第5回   夢の渋谷ジャック【テーマ:渋谷】
 『緑茶カフェ園畑』オープン一週間前。カフェとしても利益を出し、わが『園畑製茶』の知名度を上げて全体の売上を向上させる。九州の片田舎の零細企業の小さな挑戦、不安と緊張の日々が続く。
「お疲れ様」
 夜遅く帰宅した俺に、お袋が煎茶を淹れてくれた。親父の介護で疲れてるだろうに。ありがたく頂戴した。
「……うん。うちのお茶は最高だ」
 お袋が笑顔で頷く。先祖代々の茶畑と製茶工場。一度は逃げ出した場所が、今では俺の誇りだ。
「もう休みなよ」
「ありがとう。茂も早めにね」
 お袋は部屋に下がった。テレビをつけてすぐに音量を落とす。画面中央には巨大クレーン、手前にはバスターミナル。建物の合間に重機が散在している。よく見るとかつての馴染みの場所だった。
(渋谷駅か)
 ナレーションで大規模な改良工事中だとわかった。完成は二〇二七年らしい。そういえば去年、東横線が地下に移ったというニュースがあった気もする。渋谷ヒカリエができたのは三年前だったか。東京を離れて八年、渋谷は俺の記憶の中の渋谷とはどんどん違う姿になっているようだ。
(あの店はどうなったんだ?)
 ふと気になった。駅東口、東横のれん街の一角にあった洋菓子チェーン店。あそこの店舗限定でかご盛りチーズケーキが売られていた。
(うまかったなあ、口の中でふわっと溶けて。よく梓と食べて……)
 久しぶりに東京で付き合っていた彼女の顔が浮かんだ。帰郷当初は忘れようと必死だったが、仕事に追われる中で思い出すことが減っていった。今、胸が疼くような感じは無い。
(過去になったってことか……)
 妙な安堵感と共に、残りの茶を飲み干した。

 役者に憧れて上京した俺は、ある劇団に入った。梓も同じ劇団員で、新人同士話すうちに親しくなった。二人ともバイトの通勤が渋谷乗り換えなので、よく帰りにモヤイ像で落ち合ってささやかなデートをした。
「ここのロータリー借り切って舞台にしてさ、劇やったら面白そう。俺の演技に通行人が立ち止まって大喝采とか、最高」
「相当お金かかるよ。それに、そういう大口はまずメインキャストに選ばれるような実力が無いとね」
「わかってるって。でも、夢はデカいほうがいいだろ。俺たちの芝居で渋谷ジャック、どうよ?」
「うん、やってみたい。それまでに演技を磨かなきゃね。クラさんにしごかれますか」
 演劇への情熱と夢、恋。毎日が楽しかった。お互い金は無かったが、よく笑った。自然と一緒に暮らし始めた。
 ある日梓が買って来たのが、あのかご盛りチーズケーキだった。
「友達がね、超オススメの絶品だって」
 千円は高いと思ったが、食べてみると確かに絶品だった。一かご四人前らしいが、二人でぺろりと平らげた。以来折につけ渋谷で買ってきては二人で食べた。人気商品らしく、売り切れの時もあった。母の日に実家に送ろうと思ったが、生菓子なので発送は無理とのことだった。
 やがて梓が主人公の愛人役に抜擢された。
「やったな。頑張れよ」
 先を越された悔しさも少しはあったが、梓がチャンスを得たのは嬉しかった。公演は好評で、梓は重要な役を任されるようになった。俺は相変わらず名前も無いような役ばかり。同じ部屋に住み同じ稽古場に通っているのに、会話が減っていく。すれ違いを感じながらも、それでも俺は梓が好きだった。
 そんな中、親父が倒れたという連絡が来た。実家には何年も帰っていなかった。役者は親の死に目に会えないというが、立ち稽古に入る前だったし、俺は帰省を決めた。
 一命は取り留めたものの半身の麻痺と言語障害が残り、親父が仕事を続けるのは困難だった。
「こっちは大丈夫よ。茂は茂の人生を歩みなさい」
 上京の時もそう言ってくれたお袋だが、さすがに胸が痛んだ。正直、役者としての自分の才能と前途に疑問も芽生えていた。一旦東京に戻ったが、バイトでも稽古でも集中しきれずミスを繰り返した。梓はそんな俺に気付きながらも、自分の役作りで精一杯のようだった。
「俺、実家に帰るわ」
 ひと月考えた末、梓に告げた。
「……向こうでも演劇続けるの?」
「家業を継ぐから……それどころじゃない」
「そっか。……お別れだね」
「……だな」
 こうして俺たちは終わった。

 ネットで調べてみると、東横のれん街は井の頭線直結の渋谷マークシティ内に移っていた。だが、今あの店はのれん街の中には無いらしい。かご盛りチーズケーキは東京・神奈川の各店舗で買えるようになっていた。やはり発送はできないようだが。
(売り込みついでに買いに行くか)
 八年間九州から出ていないくせに、そんなことを思う。『園畑製茶』東京進出、か。
(うちのお茶で渋谷ジャックとか?)
 一人苦笑する。夢にのぼせていたあの頃とは違い、俺も現実という足枷が見えている。でも……。
(緑茶カフェ、絶対成功させてやる)
 なんだか吹っ切れた。




※2015年3月に執筆。


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