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作品名:時空のはざまより 作者:光石七

第9回   恋はラーメンの味【テーマ:ラーメン】
 夫が夕食は外で食べようと言うので、娘を呼びに二階へ上がった。声をかけようとしたが、中から何やら音がする。ガタッ、ドン、チャッ――。
「あーん、どれにしよ? 全然決まんないよお……」
 娘の困ったような声が聞こえてきた。私は思わず微笑んでしまった。明日、娘はボーイフレンドと初デートに行くらしい。行先は水族館。きっとどの服を着ていくか、迷っているのだろう。時代は変わっても、好きな人のためにかわいく装いたいという女心は変わらないようだ。背伸びし過ぎなければいいけれど。
 「自分は遅れてる」と高校一年生の娘は言う。今は小学生でも彼氏がいるらしい。私にはとても理解できない。娘の年齢でも早いと思うくらいだ。私の場合、初恋は高校生の時だったが、実際に男性とお付き合いをしたのは高校を卒業して社会に出てからだった。

 私はある商社で事務をしていた。そして、営業部にいる二年先輩の白井さんに密かに憧れを抱いていた。今で言うイケメンではないけれども笑顔が爽やかで、誠実で優しい男性という印象を持っていた。ちょっとした気遣いも素敵で、資料を配る時でも、白井さんだけは「ありがとう」とか「ご苦労様」とか私に声をかけてくれた。奥手だった私は、彼をみつめるだけの日々だった。自分から声をかける勇気などなかった。
 だから、白井さんが映画に誘ってくれた時は夢ではないかと思った。初めてのデートだ。前日の夜は眠れなかった。当日も一緒に歩くだけで緊張して、映画どころではなかった。白井さんが私の隣に座っている、この事実がうれしい反面、どうしたらいいのか戸惑っていた。映画の内容も覚えていない。洋画だったのは確かだが。
 映画を観終わって一緒に食事をすることになったが、白井さんが連れて行ってくれたのはラーメン屋だった。できたばかりの店で気になっていたという。白井さんはオリジナルラーメンを二つ注文した。いろいろな店を食べ比べるのが好きだと話してくれたが、私は正直困ってしまった。初めて二人きりで食事をするのに、ラーメンなんて……。ラーメンが嫌いというわけではないけれど、憧れの異性の前で麺をズルズルすするのはみっともない。スープが服に飛ばないかも気になる。私はなるべく行儀よく食べようとした。しかし、ラーメンが相手ではなかなか難しい。
「宮原さん、ラーメンのびちゃいますよ。美味しいうちに食べましょう」
 白井さんが優しく気遣ってくれる。その笑顔に促され、私は思い切って麺をすすった。
「……美味しい」
「遠慮しないで普通に食べてください。そのほうが美味しいから。ここは細麺でスープは醤油ベースですね。何か隠し味を入れてるのかな? あっさりした中にも深い味わいがある」
 にこにこしながら解説をしてくれる白井さん。本当にラーメンが好きなんだなと思った。ようやく緊張が解け、私は心からラーメンを堪能することができた。
 二人とも食べ終わった後、白井さんが言った。
「なかなかいい店ですね。お気に入りの店がまた一つ増えました。宮原さんもなかなかいい食べっぷりだったし」
「そんなこと言わないでください。恥ずかしい……」
 私は赤くなってしまった。やはりラーメンはデートには向かない、そう思った。しかし、白井さんは笑って続ける。
「美味しそうに食べる女性、僕は好きだな。宮原さんがそばにいると余計に美味しく感じる。また一緒にラーメン食べましょう。今度はどの店に行きましょうか?」
「え……?」
 次のデートの誘いだと理解するまで、しばらく時間がかかった。

「百合香はまだか?」
 夫の声が一階から聞こえた。私は慌ててドア越しに娘に声をかけた。
「百合香、お父さんが晩ごはん食べに行こうって。すぐ出られる?」
「またラーメンでしょ? お父さんもお母さんもよく飽きないねえ……」
「今夜は亀宝軒だって。嫌なら留守番でもいいけど。残り物で何か作って」
「行かないとは言ってないじゃん」
 百合香がドアを開けて出てきた。
「早く行こ? お母さんの愛しの誠さんが待ちくたびれちゃうんじゃない?」
「親をからかわないの」
 苦笑しながら百合香と階段を下りた。夫はいつもの穏やかな笑顔で迎えてくれる。
 三人で車に乗り込み、「白井」と表札が掲げられた家を後にした。




※2013年5月に執筆。


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