「虎次郎、ご飯だよー」 マキの声を聞いてオレは駆け出した。お、マグロの刺身なんて珍しい。気が利くじゃねえか。 「たまには贅沢もいいでしょ?」 そうそう、安いキャットフードばっかじゃ飽きるっつーの。腹が減るから仕方なく食べてやるけどさ。 「虎次郎、なんでそんなにちまちま食べるかなー。時間かけ過ぎ」 余計なお世話だ。オレの勝手だろ。 オレは虎次郎というマキに飼われている猫だ。もとい、飼われてやってる、だな。マキは結構いい年のはずだが、縁結びの神様に見放されているらしい。一人暮らしの寂しさを紛らわせたかったのか、三年前マキはオレを自分のアパートに連れてきた。親兄弟と引き離されたのだと思うが、オレも小さかったからその時の記憶は曖昧だ。気が付けば、オレはマキと暮らしていた。たまにオレを風呂に入れようとするのだけは閉口してしまうが、おもちゃで遊んでくれたり、膝に抱きあげて喉を撫でてくれたり、マッサージをしてくれたり、何かと世話を焼いてくれる。トイレも寝床もちゃんとしつらえてくれた。オレが放っておいてほしい時は、鈍いなりに察して自由にさせてくれる。飼い主としては一応合格だと思う。オレは今の生活がまあまあ気に入っている。 マグロを堪能し、オレは毛づくろいを始めた。 「虎次郎、美味しかった?」 ああ、やっぱり魚は生が一番うまい。マキ、これからも頼むぜ。 翌日、オレが昼寝から目覚めるとマキはいなかった。買い物だろう。オレは寝床から出て、思いきり伸びをした。エサ皿にキャットフードが三粒入っているのをみつけ、食べた。それから、お気に入りのネズミのおもちゃを転がしたり咥えたり、前足で弄んだりして遊んだ。飽きと疲れで欠伸が出てくる。そこへマキが帰ってきた。……ん? 買い物袋の他にも何か抱えてる? なんだよ、その黒い物体は。 「にー」 ……げっ、黒猫のガキだ。 「チビちゃん、お腹空いてるよね? ちょっと待ってね」 マキはチビを抱いたまま台所に向かった。ミルクを鍋に入れ、火にかける。 「熱すぎてもダメだよね」 ミルクを皿に移し、指につけてチビになめさせる。おい、マキ。オレの飯は? オレも腹減ってんだけど。 「よかったー、食欲はありそうだね」 だから、オレの分は? 刺身じゃなくてもいいから、何かよこせって。 「目もきれいだし、病気はないかな。一応注射は打っといてもらった方がいいかもね」 マキはオレを完全に無視してる。何メロメロになってんだよ。オレの飯も準備しろよ。 「虎次郎、うるさいよ。今チビちゃんの食事中。この子、捨てられてたんだよ。毎日ご飯食べてるアンタと違って、久しぶりの食事なんだから」 オレだってひもじいっつーの。 オレがしつこく鳴いたからか、ようやくマキはエサ皿にキャットフードを入れてくれた。くそっ、これで勘弁してやる。オレがいつものようにゆっくり食べていると、チビが寄ってきた。まあ、興味はあるかもな。でも、てめえにはまだ早いって……ええっ? 「すごーい! 固形物、大丈夫なんだ。あはは、慌てなくてもいいのに」 マキ、笑いごとじゃねえぞ! こいつ、オレを押しのけてがっついてやがる。さっきミルク飲んだだろーが! 「これならずっとついてる必要ないね。なんて名前にしようかなあ?」 おい、まさかこいつを居候させるつもりか? オレは認めねえぞ。 「黒いから……。あ、黒丸ってどう?」 「にー」 ……すごいタイミングで鳴きやがる。あ、全部食いやがった。 「かわいー。よろしくね、黒丸。――虎次郎、いじめちゃダメだよ」 マキ、オレの飯……。 こうして黒丸も同居することになった。黒丸はまだしゃべることもままならないガキのくせに、マキの心をがっしり掴んでしまった。マキはオレより黒丸の世話に力を入れている。オレのより立派な寝床を作りやがって。エサも黒丸の分を先に用意する。黒丸はその後オレの分まで食うんだけどな。マキの膝に自分から乗って、「かわいいねー」なんて言われて喉をゴロゴロ鳴らしている。オレのおもちゃも取られた。時にはオレまでおもちゃにしてしまう。後ろから急に飛びついて爪を立てたり。てめえ、加減しろ! 「にー……」 「虎次郎、黒丸に何するの!」 叩かれた。ちょっと脅かしただけなのに。 ある日、マキは酔っぱらって帰ってきた。 「なんでみんな新人ってだけで贔屓するのよ? たかがコピーで大げさに褒めて……。私の仕事は全然評価してくれないくせに」 会社の愚痴だ。新人の女の子がちやほやされるのが気に食わないらしい。……マキ。お前、同じことしてるの気付いてないのか? オレも新人になればかわいがられるんだろうか? そんな馬鹿なことを考えたりもしたが、オレはこの生活も悪くないと思い始めている。なぜなら―― 「虎次郎さん、遊びましょ?」 か、かわいい……。黒丸は美猫だった。
※2013年4月に執筆。
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