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作品名:時空のはざまより 作者:光石七

最終回   Trauer(トラオアー)【テーマ:喪失】
 少年が最初に失ったのは故郷だった。平和な村に突然現れた異国の軍隊は、少年の遊び場だった水車小屋も、少年の家も、村人たちの家も、何もかも打ち壊して火をつけた。男は殺し、女子供は捕まえて連れ去る。二十人ほどの村人は兵にみつからぬよう村を抜け出した。少年も両親と共に逃げた。
 次に少年は家族を失った。他の村々も襲われており、父は他の村の男たちと義勇軍を結成して侵略者に反旗を翻した。しかし、敵の軍隊にはかなわず、父たちは命を落とした。隠れ家も突き止められ、美しかった少年の母は兵たちに辱められて自害した。
 次に少年が失ったのは自由だった。隠れ家の子供たちは異国の収容所に連れて行かれた。皆髪を剃られ、首輪と足輪をつけられる。少年は牢獄のような部屋に入れられた。同じ部屋には見知らぬ子供が十人。足の鎖は重く、鉄格子の扉には鍵を掛けられている。収容者同士の会話は禁じられており、挨拶しただけでも容赦なく鞭で打たれた。
 同時に少年は名前を失った。看守たちは少年を呼ぶとき、首輪と足輪に刻まれた『J-51』という番号を使う。父がつけてくれた名で少年を呼ぶ者は、もう誰もいない。

 少年は夢を見る。清水が流れる小川、規則的な音を奏でる水車、草花の絨毯。少年は父に手を引かれて歩いていた。父の手はごつごつしているが、大きくてなんだか安心する。父は長身で、父の腰のあたりに少年の肩がある。少年が父を見上げると、父は穏やかな笑みを返した。
「ユーベル」
 自分を呼ぶ優しい声に少年が振り返ると、母が立っていた。少年は母に駆け寄り、思いきり抱きついた。母も少年を抱きしめる。柔らかく温かな母の胸。少年は存分にその温もりに甘える――

 まだ薄暗いうちに、収容所に起床の鐘の音が響く。看守たちは鍵を開け、少年たちに廊下に整列するよう急き立てる。十分以内に並ばない者には折檻が待っている。十五分後、少年たちの行進が始まる。行き先は近くの銀山。歩くたびに少年たちの足の鎖がジャラジャラと音を立てる。列を乱す者は鞭をふるわれる。
 銀山で少年たちは夕暮れまで働かされる。休憩は途中に一度だけ、それ以外休むことは許されない。怠けているとみなされれば、鞭や拳が飛んでくる。
 あまりの過酷な労働に、途中で倒れる者もいる。しかし、看守は殴りつけて仕事を続けさせようとする。倒れた者を庇おうとする者も殴られる。死人も出る。看守は死んだ者を蹴飛ばして脇に押しやり、後で首輪と足輪を外して汚物用の穴に放り込む。弔いなど一切しない。
 日没、少年たちはフラフラになりながら帰路を行進する。収容所に帰り着けば、一日でただ一度の食事の時間だ。握り拳半分ほどのパンに、野菜の切れ端が二、三枚浮いているだけのスープ。たったこれだけだが、その日銀山で働かなかった者にはこれさえ支給されない。食べ終わると、皆死んだように眠ってしまう。

 収容所の子供たちは次々と死んでいくが、新たな子供たちも次々と入ってくる。会話が無いため、お互いのことは知らないままだ。看守への返事以外誰とも話さない、重労働とわずかな食事の日々。いつしか少年は食べることしか考えなくなった。少年はいつも空腹だった。逆らわずに働けば、夜にパンとスープにありつける。誰が鞭で打たれようが、誰が殴られようが、誰が死のうが、少年は関心を持たなくなった。

 久しぶりに少年は夢を見た。だが、ひどくあやふやな夢だった。水と緑のぼんやりした風景、傍らには顔のわからない背の高い男。無骨な手を少年に差し出している。
「    」
女の声がした。自分を呼んだようだが、何と言ったのかわからない。振り返ると、やはり顔がわからない女が立っていた。女は少年に近寄って抱きしめようとする。少年は逆らわなかった。しかし、女の腕も体も少年を通り抜けて消えた。いつのまにか男の姿も消えている。少年は一人、ぼやけた色彩の中にいた。

 収容所での日々は更に続き、少年は病気になった。激しい悪寒に震え、節々が腫れて痛み、呼吸が苦しい。だが、休んでは食事をもらえない。少年は廊下の列に加わった。しかし、行進について行けず、何度も鞭で打たれる。なんとか銀山に到着したが、思うように体が動かず作業がはかどらない。看守は少年を鞭打ち、殴る。誰も少年を助けない。少年が誰も助けなかったように。
 とうとう少年は倒れて動けなくなった。看守は少年に平手を喰らわせる。少年は起き上がれない。痛みが、いや全ての感覚が麻痺しつつあった。
「そいつはもうダメだ、使えない」
 他の看守に言われ、看守は少年を蹴飛ばした。少年はもはや、自分が転がっていることもわからない。
 ほどなく少年は命を失った。夕刻、『J-51』と刻まれた首輪と足輪が外される。もう少年は『J-51』ではない。しかし、少年をかつての名で呼ぶ者も悼む者もいなかった。




※2014年12月に執筆。


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