『ラ・フィーグ』で働き始めて六度目の春が来た。男を誘うための服と化粧もとうに当たり前で、いろんな客に抱かれることにも全く抵抗を感じない。すっかりこの仕事に馴染んでしまった自分がうら悲しい。どこかの貴族様があたしを見初めて迎えてくださるんじゃないか、初めの頃抱いていたそんな淡い期待は下町の安っぽい娼館では無謀なものだった。 「今日も大入り、結構結構。エマ、奥の一見さんを頼むよ」 「はい、マダム」 あたしは客の待つ部屋に向かった。 ベッドに腰掛けていたのは若い男だった。あたしのほうを見たけど、緊張してるふうでもそわそわしてる感じでもない。こういう場所には慣れているらしい。 「エマです」 挨拶して男の隣に座った。近くで見るとなかなかハンサムだ。だけどさっきから妙な顔であたしをみつめている。そして呟いた。 「……もしかして、エマ・デュラン?」 どうしてあたしの名前を知っているのだろう? 「僕だよ、ニコル・パラゼ」 聞き覚えのある名前だ。ふと、ひょろっとした少年の姿が目の前の男に重なった。 「……え、泣き虫ニコル?」 「やっぱりエマだ、意地っ張りエマ」 村長の息子のニコルだ。二つ上でよく一緒に遊んでいた。会うのは十年ぶりだろうか。 「なんでニコルがこんなところに? 神学校に行ったはずじゃ……」 「あんな窮屈なとこ、とっくに辞めたよ。エマは……やっぱり親父さんが?」 あたしは頷いた。昔から酒浸りだった父さんは酒代欲しさに娘の身売りをあっさり決めた。 「そうか。……こんな形でエマと再会するとは思わなかった」 そうだ、今は娼婦と客だ。 「ニコル、お金払ったんでしょ? どうする? 昔話だけして帰るの?」 「このままだとそうなりかねないな。払った分は楽しみたい」 ニコルがあたしの肩に手を置いた。 「知ってた? 僕の初恋はエマだったんだよ」 あたしはベッドに押し倒された。
「ねえ、今何をしてるの?」 体のほてりが少し冷めた頃、あたしはニコルに尋ねた。 「神学校辞めた後、職を転々としてたけど……。今は幽霊詩人で結構稼げてる」 隣に寝転がったままニコルが答える。 「幽霊詩人?」 「最近貴族の間で流行ってんだよ、自分で作った詩を女性に贈るのが。ご婦人方は自分がいかに素敵な詩をもらったかを自慢し合うし、詩の才能がちょっとした殿方のステータスになってる。でも、中には才能の無い奴もいるだろ? それでも女性には評価されたい。そこで代わりに詩を作る人間を雇うってわけ。僕はその雇われ詩人ってこと。表に出ない詩人だから幽霊詩人さ」 「……お貴族様って暇なのね」 呆れたように言ったけど、優雅な身分が羨ましくもある。 「確かに貴族のお遊びさ。おかげで儲かってるけどね」 「ふうん」 「意外に評判いいんだよ、僕の詩は意中の女性を射止めることができるって。今も三件依頼が来てる」 「……人の書いた詩を贈る男も馬鹿だけど、それで男に靡く女も馬鹿ね」 「僕もそう思うよ。ま、せいぜい稼がせてもらうさ」 ニコルはもう一度あたしを抱いた。
それからニコルはたびたび『ラ・フィーグ』を訪れるようになった。 「エマの常連がまた一人増えたね」 皆が言うようにあたしを指名する客は何人もいる。でもニコルが来ると、あたしは他の客が相手のときには無い喜びを感じるようになっていた。 「ニコル、まだ幽霊詩人続けてるの?」 「うん、依頼があるし」 「どんな詩を書くの?」 「依頼主の要望もあるけど、基本ロマンチックに情熱的にってとこかな」 「どうやって書いてるの? ……やっぱり自分の好きな人を思い浮かべて?」 言いながら、胸がチクリと痛んだ。 「それは無いかな、僕は恋人に詩を贈ったりしないし。ほとんど想像だよ。そのほうが自由に言葉が出てくる」 「……恋人、いるんだ?」 心臓をぎゅっと掴まれたように苦しい。恋人や妻がいても娼館に通う男は大勢いるのに。 「一応ね。結婚するかはわからないけど」 ニコルはあっさり答える。 「彼女とはそれなりにうまくやってるし、今がよければそれでいいと思ってる。わざわざ恋文代わりに詩を書く必要はないよ。そもそも言葉なんていくらでも飾れるし、取り繕える。そんな不確かなものを盲信したくないね。将来の約束もそうだ。この先どうなるかなんて誰にもわからない。今確かにあるものを存分に楽しむほうが得だよ」 ニコルがコルセットの紐をほどいた。 (今確かにあるものを存分に楽しむ……) あたしはその言葉がどこか遠くに感じられた。ベッドの上で重なる体。あたしを抱きしめる腕の力強さや肌の熱さは幻なんかじゃない。愛おしい、でも溺れきれない。ニコルにとってあたしは幼馴染だった娼婦でしかない。 (どうせ偽物の愛なら、うわべだけの詩でももらおうか) 虚しい考えが心に浮かんだ。
※2014年9月に執筆。
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