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作品名:時空のはざまより 作者:光石七

第46回   ひとりよがりな傷、描けぬ明日【テーマ:未来】
 妹が無事に第一子を出産したとの知らせに私は安堵した。
(これで死ねる……)
 いい加減この世から消えたかった。決意を固めつつあったところに妹がおめでた婚となり、ショックで流産されても嫌だと実行を延期していたのだ。
(二か月後、だな)
 出産後しばらくは体が大変だろう。妹が赤ちゃんとの暮らしに慣れて落ち着いた頃がいい。私は密かに自らのXデーを定めた。

 鹿児島の実家に帰ってきてから三年が経っていた。田舎の無職暮らしではスーツを着ることも無く、そのうち化粧もしなくなった。東京でOLをしていた面影は微塵もない。
 こんなはずじゃなかった。上司にある企画を任され、結果を出そうと必死だった。期待されているのだと思い、完璧にやり遂げようとした。しかし思い描く姿には程遠く、できない自分が腹立たしかった。
(もっと死ぬ気でやるしかない)
 そう自分を奮い立たせ続けた。そしてある朝、私はベッドから起き上がれなかった。意志はあるのに体が動かない。どうにか這い出したもののすぐにへたり込み、結局そのまま動けなかった。電話にも出ない私を不審に思った上司が同僚に訪問させ、異変が発覚した。
 その後適応障害と診断されてしばらく休職することになったが、当時私が住んでいたのは社員寮だった。自然と同僚と顔を合わせる。心は休まらなかった。食欲不振で五キロ痩せた。私の代わりに後輩が企画を成功させたことも耳に入ってきた。
 うつ状態が続く私を見かねた上司は実家で療養することを勧めてきた。私は心配を掛けまいと家族には休職中であることを隠していたのだが、上司は半ば強引に私の了承を取り実家に連絡した。私は会社を辞めて実家に戻ることになった。
(私は不要ってことか)
 切り捨てられたと感じた。自分でも役立たずだと情けなく思っていたがお墨付きをもらった、と。
 実家で過ごす中で食欲が戻り少しずつ外出できるようになったが、私は自分の人生に何の展望も持てなかった。三十過ぎて親の世話になっているのが心苦しかった。何よりも「自分は社会に不必要、価値の無い人間」という意識が根底にあった。テレビなどで一時的に笑うことはできても、生きている実感が無かった。かといって働くことを考えると心身が不安定になる。私は生きる意味も希望も見失っていた。
(いっそこの世にケリをつけようか)
 それが一番いい気がした。表面上は元気になったように振る舞いながら、心の奥底では人生の幕引きのことを考えていた。誰かが悪いわけじゃない、私が弱かっただけだ。恨みは無い。誰にも気付かれないように消えたい。
 場所や手段を考えるうちに、妹が家に彼氏を連れて来て一大報告がなされた。私は結婚式と出産が終わるまで待つことにした。私のせいで毎年暗い気持ちで記念日を迎えることになっては申し訳ない。私は今まで通り元気を装いながら密かに計画を練っていた。

 姪が誕生して三日目、私は妹が入院している産院に行った。
「可愛い……」
 素直に口から出た言葉だった。
「どっちに似てる? お義母さんは悠クンだって言うんだけど」
「ああ、目はそうかも」
「えー、マジで?」
「アンタにも似てるよ」
 どちら似でも構わないと思うのだが、産んだ本人は気になるらしい。妹が姪を抱かせてくれた。思ったよりも小さくて軽い。
「初めまして。おばちゃんでーす」
 腕の中の姪に話しかけた。
「『おばちゃん』でいいの?」
「別に何でもいいよ」
 どう呼ばれようと関係ない。この子が言葉を話す頃には私はこの世にいないのだから。
(私のようにはならないで)
 心の中で呟く。まだ目も見えていない姪っ子。小さな手が産着の袖からわずかに覗いている。
(明るい未来にまっすぐ進んでね)
 姪は答える代わりに欠伸をした。妹の友達が見舞いに来たので、私は姪を妹に返して病室を出た。

 その夜、私は短歌を一つノートに記した。
『無垢な赤子広がりし未来いつからか自ら摘みぬなれぬ出来ぬと』
 誰かに見せるつもりは無かった。私は時々誰にも言えない本音をこういう形で吐き出していた。私もかつては赤ん坊で、未来は無限に輝いていた。でも、いつの間にか未来は狭まり消えてしまった。姪にはそうなってほしくない。
(幸せであってほしい)
 姪も妹夫婦も家族も、私に関わった人みんな。私の最後の願いだ。短歌をもう一度心の中で唱えてノートを閉じた。

 結局、私はXデーを越えて今も生きている。実家の近くに居を構えている妹にちょくちょく家政婦代わりに使われ、下の妹と弟の結婚も立て続けに決まり、タイミングを逃した。幼稚園に通う姪は私を「ユミちゃん」と呼び、しばしば遊び相手に指名してくる。新たに甥が二人増えた。自分の未来はまだはっきり描けないが、この子たちの成長をもう少し見守るのも悪くない、そう思っている。




※2014年8月に執筆。


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