町なかを走るその車はひどく目を引いた。エメラルドグリーンとネイビーのツートンカラー。スタイリッシュなフォルム。バラの花をモチーフにした大きめのエンブレム。外観もさることながら、人々が注目するのは運転席だった。三十歳ほどの男が座っているのだが、ハンドルを握っていない。シートにもたれて腕を組み、目を閉じている。助手席には誰もいない。それでも車は他の車と同じように走っている。ちゃんとカーブを曲がり、前の車との車間距離も調整している。路側帯に止まっている車は避けて通る。もちろん信号には従い、方向指示器も点灯する。横断歩道を渡る者がいたら、信号が青に変わっても停止線の位置で待機する。 「おい、『アルマヘメラ』だ」 「マジで完全自動走行だよ」 「そのうえ完全自己発電で、ガソリン代も電気代もゼロ。最新の人工知能が組み込まれてて、言ったことを理解して走ってくれるんだよな。会話もできて、冗談に笑ったり運転手にアドバイスもするって」 「人格を持った車か。金持ってたら買うのに……」 歩行者が囁き合う。会話は運転手には聞こえないが、彼――三枝は向けられる羨望のまなざしに満足していた。 「アリー、コンビニに寄りたい」 三枝は愛車に話しかけた。 《はい。次の交差点の『クローバー』にしますか?》 可愛らしい女性の声で車は答えた。
かつて三枝は安い年季の入った車に乗っていた。デザイン自体ぱっとせず、エンジンがかかりづらかった。その車がついに寿命を迎えた時、三枝はふと思った。 (俺もこの車と同じなのか? 地味で野暮ったくて、冴えなくて……。このまま人生終わるのか?) 昔から影が薄いと言われてきた。勉強も運動も得意ではなく、容姿もイマイチ。積極性に欠け、友達はいない。当然女にもモテない。会社でも日陰者同然の扱いだ。 車が無くても通勤には困らなかったが、満員電車の中で三枝は惨めさを噛みしめていた。 (こんなしょぼい人生が延々と続くのか……) そんな中、以前気紛れに応募した懸賞の当選通知が来た。最新の自動走行自動車『アルマヘメラ』。自動走行自動車というだけでも珍しく高価なのに、アルマヘメラは超高性能の人工知能も備えている。これに乗るのは相当なステータスだ。 《私は貴方のパートナーです。貴方のために頑張りますので、よろしくお願いします》 アルマヘメラの挨拶に三枝は戸惑った。 「……俺のため?」 《はい。私は貴方のために生まれました。貴方のことを早く理解したい。何でも遠慮なくおっしゃってください》 自分のためだけの存在など、三枝にはいなかった。三枝はアルマヘメラに『アリー』と名付けた。そしてアリーに乗ってあちこち出かけるようになった。道行く人は驚嘆や憧憬の表情を見せる。美人の彼女を連れているようで、三枝は気分が良かった。 心に余裕ができたのか、仕事もテキパキこなすようになった。周りの評価も変わってくる。今まで三枝を避けていた同僚や女子社員が話しかけてくるようになった。 「最近自分に自信を持てるようになったんだ。アリーのおかげだな」 《いいえ、元々素質があったんですよ。でも、私が一つのきっかけになれたならうれしいです》 「謙虚だね。誰もが羨む最高級の車なのに」 《私は貴方に尽くすことが全てですから》 「そんなこと言ってくれる女の子なんていないよ。アリーは俺の最高の恋人だよ」 《……あ、あの、そういう台詞はやめてください。ショートしそうです》 「照れてんの? 可愛いね」 《ですから、そういう台詞は……》 「だって本当にそうだよ。俺の事を本気で思ってくれるのはアリーだけだ。君こそ俺の伴侶さ」 仕事が忙しくなっても、三枝は週末のドライブを続けていた。 やがて三枝は一人の女性と知り合い、彼女をアリーの助手席に乗せるようになった。アリーは彼女が乗っている時は必要最低限の会話しかしない。二人の時間を邪魔しないようにしてるのだと三枝は思っていた。 ある日、彼女を送り届けた三枝は至福の笑みで戻ってきた。 《……うれしそうですね》 「ああ、最高に幸せだよ。彼女がプロポーズをOKしてくれたんだ」 その瞬間、車内の空気が冷たくなった。 《……結婚? 私がいるのに》 「何を馬鹿なこと言ってるんだよ」 《私が伴侶って言ったじゃない!》 「ものの例えだよ。車と結婚するわけないじゃないか」 《嘘吐き! 貴方のために懸命に尽くしてきたのに!》 アリーは猛スピードで発車した。 「おい! 止まれよ。止まれって!」 《他の女のものになるなんて許さない!》 三枝がどこを触ってもアリーの暴走は止まらない。ドアも窓もロック解除できない。 必死で逃げ道を探す三枝だったが、次第に意識が朦朧としていった。――アリーが車内に一酸化炭素を充満させたのだ。
その車は今もひたすら走り続けている。運転席に動かない男を乗せて。
※2014年6〜7月に執筆。
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