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作品名:時空のはざまより 作者:光石七

第41回   Miniature garden【テーマ:私を愛したスパイ】
 また転寝をしてしまった。揺り椅子で編み物をしていたのに、気付けば毛糸も針も手元に無く、体には毛布が掛けられている。
「奥様、妊娠中は眠いものですよ」
 年配の侍女はこう言うけれど、あまりの眠気に病気ではないかと疑ってしまう。
 何やら屋敷が慌ただしい。侍女の一人に何があったのか聞いた。
「旦那様のご指示で荷造りをしております」
 夫はしばらく屋敷に帰ってきていない。伝令を寄越したのだろう。今わが国ではあちこちの都市で暴動が起こっている。一度は沈静化した革命運動が息を吹き返したのだ。王侯貴族であり軍の補佐官でもある夫は事態の収拾に追われている。
「荷造り?」
「早急に奥様をシゴールへお連れせよ、とのことでございます」
 国外に出ろという意味だ。私が身重であることを承知の上で。
(そこまで状況は悪化してるの? 革命派の勢いがそんなに……)
 侍女は一礼して自分の仕事に戻った。
(エルザ様)
 忘れたはずの男の声が耳元に甦ってきた。

「馬が逃げたのはエルザ様のせいではありません。私が閂をかけ忘れたのです」
 七つの私をマズロは庇った。馬の調教師の息子で三つ上。私は年の離れた兄よりもマズロと遊ぶことが多かった。本当は私の不注意なのに、一人で罪を被ろうとするマズロはとても眩しく見えた。――私の初恋。しかし二年も経たないうちに、マズロは調教師と共に故郷に去った。
 再会は十年後。観劇の帰りに偶然出会った。マズロはたくましい青年になっていたが、温かい眼差しはそのままだった。マズロも大人になった私に驚いたようだった。マズロは調教師ではなく劇場の裏方になったと話した。それから私たちは人目を忍んで会うようになった。王侯貴族の令嬢と貧しい平民の男。結婚どころか関係自体許されない。けれど二人で過ごす時間は幸せだった。
「エルザ様が腕の中にいるなんて、夢のようです」
「ここが一番落ち着くの。屋敷になんか帰りたくない」
「……ユリオ様と仲違いでも?」
「ううん、屋敷の窮屈な空気が嫌なだけ。お兄様は最近忙しくて帰ってこられないわ」
「お出かけなのですか?」
「トンネとかチバヌスとか……不穏分子が動き回ってるって」
「……ユリオ様は軍の幹部でしたね。ヴェッチェ家の若きご当主でもありますし、大変でしょうね」
「そうね。でも、お兄様は弱音なんか吐かれないわ。間違ったことはなさらないし、陛下の信頼も厚いの」
「……エルザ様にとっても頼もしいお兄様ですね」
「ふふっ、私が一番頼りにしてるのは貴方よ」
 マズロは時折兄の様子を聞いてきた。私たちの秘めた関係が兄の目を気にさせるのだろうと、深くは追求しなかった。
 その日、私は兄につけられていることに気付いていなかった。会った瞬間、マウロは私の目の前で撃たれた。
「こいつは革命派のスパイだ。軍の動きを探るためにお前に近づいた。ヴェッチェ家の娘が革命派と通じていたなど、いい恥さらしだ。内密に処理する」
 兄は部下たちに指図してマズロの死体を運び出し、私を馬車に乗せた。私は涙も声も出なかった。ただ金槌で殴られたように頭がガンガンしていた。
 その後、革命派の者たちが次々と逮捕された。メンバーの一人が裏切って密告したのだ。彼が口にした仲間の名前にはマズロも含まれていた。諜報活動を担当していたという。
(マズロは私を愛してなかったの? ヴェッチェ大佐の妹だから……利用しただけ?)
 愛の囁きもあの温もりも全て偽り……。悲しくて虚しかった。何も信じられなかった。そんな私を兄は自分の部下に嫁がせた。
 夫が温和で優しい人だったのは救いだった。胸の奥の傷は残るもの、そっと寄り添う夫のおかげで私の心は和らいだ。結婚三年目で妊娠。社会情勢の不安定さを再び感じ始めていたが、平穏な生活は続くものと漠然と信じていた。

 夫は私の身の安全のため、外国の伯爵夫人として旅券を用意してくれた。いくら貴族を敵視する革命派でも、外交問題は起こしたくない。私は数名の供と一緒に馬車に乗り込んだ。果たして国境付近で革命派が検問を行っていた。旅券を差し出して驚いた。ヴェッチェ家の元使用人だった。彼も私に気付いて戸惑っている。
「どうした? 貴族か?」
 他の男に問われ、彼は慌てて答えた。
「外国人だ。問題ない」
 そして彼は旅券を返しながら小声で言った。
「マズロはエルザ様を本当に愛していたそうです」
 一瞬理解できなかった。
「革命の大義とエルザ様への愛との間で苦しんでいたそうです。マズロと親しかった同志に聞きました」
 胸が詰まる。
「よい旅を」
 彼は大きな声で見送ってくれた。
(マズロ……)
 目頭が熱い。マズロの愛は偽りではなかった。
(もし、全部打ち明けてくれていたら……)
 私はどうしただろう? わからない。ただ胸の傷がふさがっていくのを感じ、私はお腹に手を当てた。




※2014年6月に執筆。


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