仕事帰り、なんとなく一杯やりたくなって少し手前の駅で降りた。目についた居酒屋にぶらりと入る。連れで来ている客が多いが、俺のように一人の客もいる。カウンターの隅で飲んでいる男も一人のようだ。……ん? あいつ、どこかで見たような……。 「もしかして、尾渕?」 思い切って近寄り、声を掛けた。相手は一瞬きょとんとしたが、すぐに思い出したように目を見開いた。 「……日下?」 やはり高校の同級生だった。 「卒業以来だな。十六年ぶりか? こんなところで会うとはな。せっかくだ、一緒に飲もうぜ」 尾渕は顔をほころばせながら俺を隣の席に誘った。俺も思いがけない再会に心が弾む。 「日下、今何やってんだ?」 とりあえずの注文を済ますと、尾渕が聞いてきた。 「保険会社の事務方。お前は?」 「某商社の営業」 「営業は大変だろ? 成績が全ての物差しだからな。契約取れるか取れないか、プレッシャーが滅茶苦茶すごそうだ。俺には向いてないし、絶対できないね」 俺がため息を吐いていると、店員がビールと枝豆を持ってきた。 「どんな仕事でも何かしらの苦労は付き物さ。確かに営業はきついし相手の反応に一喜一憂するけど、自分のやった結果がはっきり形に残る。そこが面白いんだな。俺は客には恵まれてると思う。嫁さんの助言もあるし」 尾渕がさらりと口にした最後の言葉が引っかかった。 「おいおい、惚気かよ? それとも、奥さんが仕事でもパートナーなのか?」 「違うって、うちの嫁さんは専業主婦。だけど、妙に勘が働くというか……。『今回は無理に押さないほうがいい』とか、『今日、絶対決まる』とか、出掛けにぽっと言ってくるんだ。それが結構当たる」 「へえ。占いでもやってるのか?」 「そういうのじゃない。本人曰く、ふっと予感がするらしいんだ。虫の知らせみたいなもんだな、いい予感もあるけど。俺と初めて出会った時も『この人と結婚する』って思ったらしい。全然タイプじゃなかったのに、なんて今でも愚痴られる」 尾渕がくくっと笑った。 「ビビビ婚ってやつか。芸能人だけかと思ってた。でも、お前の仕事のこともビビッと来るんだな」 俺が言うと、尾渕は頷いた。 「仕事以外もいろいろとな。来客とかも前もってピンとくるから、いきなり来られてあたふたすることは無い。嫁さんが勧める懸賞は出せば当たるし」 「そりゃいいな」 「昔からそうだったみたいだ。小学生の時、父親に『今朝は違う電車に乗って』って言い張って、父親が渋々1本早い電車で出勤したら脱線事故に巻き込まれずに済んだとか。じいさんが急な心臓発作で死んだ時もわかってたって話だ」 「すげえ」 俺は感心した。 「意識して感じ取るわけじゃないらしい。俺はそろそろ子供が欲しいんだが、そういう予感は一向に来ないってさ」 「こっちの都合に合わせて予感するってわけにはいかないのか。でも、仕事とかにはプラスなんだろ? いいじゃないか」 「まあな。けど、困ることもあるんだ。あいつの勘の良さを思うと、かわいい女の子が寄ってきてもうかつに手を出せない」 尾渕は苦笑した。 「ははっ、それはあるか。ま、夫婦円満で何よりだ」 その後、飲みながら卒業後のお互いの歩みや近況、高校時代の思い出などを語り合った。そして連絡先を交換して別れた。
「日下主任、チェックをお願いします」 次の書類が回ってきた。俺の仕事は死亡保険金支払い時の審査だ。受取人が記入した請求書や保険証券、死亡診断書などを見て、本当に支払うべき案件か審査する。場合によっては事実確認も行う。 「……尾渕亘?」 死亡者名に目を疑った。あの再会からまだ二ヶ月しか経っていない。忙しくて連絡もしていなかったが、また会えるものと漠然と信じていた。 死因は一酸化炭素中毒、場所はスパランド遊夢。 (あれか……) 先月、Q県の健康ランドで火災が起こり十数人が死亡というニュースがあった。まさか尾渕が犠牲者の一人だったとは……。 受取人は奥さんになっている。支払う金額は八千万ほど。解約返戻金の無い定期保険だから高額すぎるというわけではない。書類に不自然な点や不備があるわけでもない。だが、一つ疑問が湧いた。 (奥さんは尾渕の死を感じ取れなかったのか?) 普段から様々なことを予感している奥さんだ。病死ならどうしようもないかもしれないが、今回は事故だ。奥さんがそこに行かないようアドバイスしたなら、尾渕はきっと従う。火災に巻き込まれることは無かったはずだ。 (予感しなかったのか、わざと言わなかったのか……) 考えてなんだか背筋が寒くなってきた。しかし、俺は奥さんに会ったことが無いし、どんな事情があったのかも知らない。この保険金請求は妥当なものだ。 俺は深呼吸して書類を「支払許可」のボックスに入れた。
※2014年5月に執筆。
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