机と椅子があるだけの殺風景な部屋だった。黒髪の青年が一人、表情無く壁にもたれるように座り込んでいる。足音が近づいているが、青年には聞こえていないようだ。ドアが開いても振り向かず、眉一つ動かさない。赤毛の青年と年配の男が部屋に入ってきた。赤毛の青年が黒髪の青年に話しかける。 「シウ団長、ヒュリです。お医者様をお連れしました」 それでも黒髪の青年――シウは反応しない。 「ずっとこうなのかい?」 医者がヒュリに尋ねる。 「はい、しゃべらないし動きません。目も、開いてるけど何も見ていないような……」 「こうなる前はどんな様子だった?」 「……敗戦を知って落ち込んでました。でも、自警団の整理でいろいろやることがあって……。昨日急に銃声が聞こえて慌てて部屋に飛び込んだら、全部床に向けて撃ってて……笑ってたんです、さもおかしそうに。机を叩いて壁に寄りかかって……笑い声が止んだと思ったら、こんな状態に……」 医者はシウの脈を診た。額に触れて熱も確かめる。次に腕を持ち上げてみた。抵抗は無く、離すとだらりと垂れ下がる。 「身体的な異常ではないようだ。意思を放棄しているというか……心の問題だな」 「青年自警団の鬼団長が……」 ヒュリが嘆いた。
ユラニ共和国の首都ボミ。広場にはユム・ケラトの銅像が立ち、彼の肖像画があちこち掲げられている。腐敗しきった王政に立ち向かい、若くして元帥となった偉大な指導者。身分制度を廃し真の愛国を説いた彼は「ユラニの父」と呼ばれ、国民の熱烈な支持を得ていた。 シウも幼い頃からケラトに憧れと敬意を抱いていた。シウの父はかつて殺人の濡れ衣を着せられ、死刑を言い渡されていた。しかし、ケラトの革命のおかげで刑は執行されず、新政権のもと事件も再調査がなされ、無実が証明された。 「ケラト元帥閣下がいなければ俺は殺されてた。お前も生まれてなかったんだ。元帥閣下は俺たちの恩人だ」 シウは父から何度も話を聞かされたのだ。自分でもユラニの歴史を学び、誰よりもユラニを愛しユラニの為に働いているのがケラトだと感じた。弱きを助け強きをくじく、ケラトの半生に尊敬の念が増した。 (元帥閣下のお役に立ちたい) そんな思いが強くなっていく中、ケラト暗殺未遂事件が起こった。企てたのは元貴族。特権階級の恩恵が無くなった不満が動機らしい。 (元帥閣下は正しい。元帥閣下に歯向かうものは許さない) シウは青年自警団を立ち上げ、町の見回りを始めた。目的は反乱分子の発見と監視だ。シウの活動を知ったケラトは大いに喜び、青年自警団に処罰の権限を与えた。ケラトに認められ、シウの胸に誇りと自信が生まれた。 (元帥閣下にこの命を捧げよう) シウは決意した。自警団内にも厳しい戒律を定め、鬼団長と称されるようになった。 ほどなく時代は戦争へと突入する。経済・貿易を大国に封鎖され、危機を感じたケラトが軍に奇襲攻撃を命じたのがきっかけだった。これは正義の戦争であり、我々は悪魔を倒すべく戦っているのだ――。国民はそう思い込まされ、「ユラニの為に、元帥閣下の御為に」が合言葉になった。シウも軍隊に志願したが、青年自警団の活動を優先するよう指示された。反戦の声が大きくなっては士気が下がるし、この機に乗じて元貴族の残党が暗躍しないとも限らない。シウは了承し、新たな活動として母国ユラニと元帥への忠誠を子供たちに教育し始めた。 「この戦争は負けるんじゃないか?」 「ケラトは頭がイカレてるんじゃ……」 家での呟きも子供が密告する。シウは徹底的にその者たちを痛めつけた。 しかし、ユラニは大国と連合軍の前に敗れた。ケラトと側近たちは拘束され、進駐軍がユラニに乗り込んできた。ケラトが密かに家族と国外逃亡しようとしていたこと、過去の経歴が偽りであることが明らかになり、人々は衝撃を受けた。彼は偉大なるユラニの父ではなかったのだ――。
「先生、シウ団長は治りますか?」 ヒュリが医者に聞いた。 「家族への連絡は?」 「ご両親は既に他界してますし、ご兄弟もおられないので」 ヒュリの返答を聞き、医者はため息を吐いた。 「困ったな。世話をする人間が必要なんだが。身の回りのこともそうだし、回復を望むなら継続的な話しかけが不可欠だ。よくなるかはわからないが」 「入院させてはダメですか?」 「誰が費用を払ってくれる? 君かい?」 「まさか」 ヒュリが医者を呼んだのは、あくまで部下としての礼儀だ。ずっとシウに関わるつもりは無い。 「とりあえず君が面倒を見てくれ」 医者は帰って行った。 (参った……。いっそケラトに協力した罪で進駐軍に引き渡すか?) ヒュリは人形のようなシウを持て余した。
※2014年2月に執筆。
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