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作品名:時空のはざまより 作者:光石七

第26回   訪れぬ雪解け【テーマ:雪】
 雪の絨毯に赤い斑点が染み込んでいく。あの方の血……。大勢の観衆が詰めかけた処刑場に、もう一発銃声が響いた。再び血が飛び散る。執行人があの方の首を切り落とし、高く掲げた。滴る血が更に雪を紅に染める。歓声が高くなった。私は一人震えながら、嗚咽を堪えていた――。

 白い息を吐きながら石畳の道を歩く。アパルトマンまであと少し。一日の労働を終えた私は家路を急いでいた。
「アンリさん、ちょっといいかい?」
 バローさんに呼び止められた。
「倅から手紙が来たんだ。何て書いてあるのか、教えてくれねえか?」
 国全体の識字率は上がっても、年配者は読み書きできない人が多い。
「いいですよ」
 バローさんの家はすぐそこだ。私は寄り道することにした。
「――寮の友達と仲良くやっているそうです。試験で一番を取ったとも書いてあります」
 手紙の内容を伝えると、バローさんは顔をほころばせた。
「あの悪ガキが、大学で一番か……」
「法律の勉強をされてるんでしたね? 将来は議員になって国をもっとよくしたいとか。立派な息子さんですよ」
 私がこう言うと、バローさんは更に相好を崩した。
「ははっ、ミルク屋の倅が国を動かす、か。こんな時代が来るとはな。オウケンシンジュ、だっけ? そんなもん信じて、クソ王に任せてた昔が馬鹿みたいだ。俺たちから散々搾り取りやがって……。殺されて当然だ」
 バローさんの言葉が胸に突き刺さる。

 この国から国王という存在が消えて二十余年。最後の国王は民衆の手で処刑された。民が貧困に喘ぐ中、重税を課しては絵画や宝飾を買い漁った王。事あるごとに家臣や召使いを殺していた王。そして強制労働。民衆の怒りは爆発し、革命が起こった。
 王国から共和国へ。国民が自分たちの代表を選び、彼らが国を管理する。法律や財政は議会で決定される。庶民にも人権という意識が浸透し、まだ不十分ながらも、教育制度や社会福祉等が整えられつつある。ほとんどの国民は革命後の変化に好意的だ。
 しかし、彼らは知らない。自分たちが殺した国王が、どれほど国民を愛していたか。あの方ほど慈悲深く聡明で、王の資質を備えた方はいらっしゃらなかった。いや、あの方は聡明すぎたのだ。王室の腐敗と時代の流れを敏感に感じ取り、国民に国の未来を託すべく、暴君となる決意をされた。国民が立ち上がり、王政を倒すよう仕向けられたのだ。最もお側で仕えた私だけが知る真実。他の人間の前では、あの方は横暴で凶悪な王の仮面を外されなかった。私には「しゃべれば家族を殺す」と固く口止めされた。
 あの方は本当に国のことを考えておられた。道楽だと非難される絵や宝石の収集は、新しい国のための蓄えでもあった。売り払えば新国家建設の資金になる。事実、新政府はかなり助かったはずだ。あの方が殺めたのは、裏で何かしら悪さをしていた者たちだった。そしてあの方が作らせた城は、いずれ他の施設に転用できるよう設計されていた。実際、現在は孤児院として使われている。
 私が何度懇願しても、あの方は暴君を演じ続けられた。自らの破滅と王政の終焉を望み、進んでいかれたのだ。
 民衆が宮殿に乗り込んでくる前、私は暇を出された。
「何があっても生きよ。この国の行く末を、私の代わりに見守ってくれ」
 あの方は私に約束させた。その別れから一年も経たないうちに、あの方は処刑場へ引き出された。その身が銃弾に貫かれた時、あの方は満足だったのだろうか? 思惑通りだと……。

「おや、雪だ。道理で冷えるはずだ」
 バローさんが窓の外の変化に気付いた。
「一杯どうだい? あったまるぞ。何なら晩飯食って泊まってくか?」
「いえ、もう帰ります」
 誘いを断り、私は立ち上がった。
「悪かったな、急いでるとこ」
 挨拶もそこそこに、私はバローさんの家を辞した。空から降る白い欠片が少しずつ石畳を覆っていく。
「陛下……」
 思わず声が漏れた。足が動かない。
 この国は確かに変わった。あの方が願った方向に。だが……私は思わずにいられない。本当にあの道しかなかったのだろうか? あの方が本来のお人柄と知恵で国を治めていれば……。せめて、死なずに国民に政権を譲る道はなかったのだろうか? あの時、私にもっと地位や力があれば……。いや、母と妹を犠牲にしてでもあの方をお止めしていれば……。
 申し訳なさと後悔で、後を追いたいと何度も思った。それでも私は生きなければならなかった。あの方との約束だから――。
 涙が頬を伝って落ちる。地面の雪がわずかに解け、石畳が覗く。しかし、またすぐ白に隠れる。今夜は積もるだろう。
 だが、積もった雪もいずれ解ける。二十余年前の赤い雪も翌週には跡形もなかった。解けないのは……私の胸に今も降り続ける雪。
 私は涙を拭い、再び足を速めた。



*『時空のはざまより』第13回「最後の暴君」の後日談に当たりますが、本作単体でも楽しめるように書いたつもりです。




※2013年11月に執筆。


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