二年ぶりに実家に帰省した。父も母もバス停で待っていてくれた。久しぶりの孫たちとの再会に顔がほころんでいる。 「柊平君はやっぱり来れないのか?」 父が少しがっかりした声で聞いてきた。 「うん、仕事が大変みたいで。お父さんと一局指したかったのにってぼやいてた」 「そうか、残念だ」 将棋という共通の趣味を持つ父と夫は、会えば必ず対局する。父はパソコン等が苦手なため、オンラインという手段は使えない。 実家に着くと、すぐ子供たちが廊下を走り始めた。 「悠真、花音! ナンナァしてから!」 子供たちを一喝して、仏壇の前に連れて行った。焼香し、一緒に手を合わせる。三歳の花音はマンションには無い大きな仏壇に興味津々だ。六歳の悠真はさすがに大人しく合掌している。 子供たちを両親に託し、台所で手土産に買ってきた壱花堂のバームクーヘンを切った。一切れだけ小さな皿に載せ、残りを大皿に盛る。人数分の取り皿も用意した。お茶と一緒に出す前に、小皿を仏壇に運んだ。 「ママ、誰が食べるの?」 供えた後少し目を閉じていたら、花音が隣に来ていた。 「ママのばあばが食べるのよ。だからお供えするの」 「ふーん」 花音は不思議そうだ。 「さ、花音も向こうでじいじやばあばと食べよ?」 二人で両親と悠真がいる居間に向かった。
祖母がバームクーヘンを好きだなんて、一緒に暮らしていたのに全然知らなかった。私がクッキーを焼いた時は「沙紀ちゃんが作ったから」と何枚か食べてくれたけど、甘い物をあまり食べない人だと思っていた。祖母の本当の好物を知ったのは、十一年前、祖母が亡くなった時だった。 祖母の葬儀で、私は初めて父の兄だという人に会った。存在は知っていたが、我が家では伯父の話はタブーだった。勘当されていたからだ。見知らぬ男性が「母ちゃん、母ちゃん」と泣きながら祖母の遺体に縋る光景は、私の目には奇妙に映った。 葬儀の後、父は私に事の経緯を話してくれた。 昭和四十年、地元の高校を卒業した伯父は神戸の洋菓子工場に就職した。実家に仕送りする際、工場で出たバームクーヘンの切れ端も一緒に送ってくれた。田舎の貧しい家だ。家族は皆バームクーヘンを初めて口にし、感動した。特に祖母は「世の中にこんな美味しい物があるのか」と涙を流したという。洋菓子工場に勤めた五年間、伯父は実家にお金とバームクーヘンの切れ端を送り続けた。そのたびに家族は喜んでバームクーヘンを分け合った。普段は父や伯母に自分のおかずを分け与える祖母も、この時だけは自分の分を確保したらしい。 関西の電機メーカーに転職した伯父からはバームクーヘンは届かなくなったが、仕送りは続いていた。二年後、伯父は一人の女性を実家に連れてきた。結婚したい女性だという。祖父母は初め喜んだが、女性のある事情を知って結婚に反対するようになった。卵巣を手術で摘出したため、子供を産めなかったのだ。家を継ぐべき長男の嫁にはふさわしくない、大正生まれの昔気質の祖父母がそう思うのは仕方なかっただろう。しかし、伯父は女性との結婚を押し通した。結局伯父は勘当され、弟である父が跡取りとなった。それ以降、祖父母がバームクーヘンを口にすることは無くなった。 祖父は私が生まれる前に亡くなったが、祖母は頑なに伯父もバームクーヘンも拒み続けた。父にも伯父との接触を禁じていた。そして祖母は伯父に会うことなく死んでしまった。伯父の久しぶりの帰郷は、祖母の葬儀の場だった。
「じいじ、あーん」 花音がバームクーヘンのかけらをつまんで父に食べさせようとしている。父はデレデレだ。悠真は口いっぱいに頬張っている。 「沙紀、これ美味しいね」 母も笑顔で食べている。 「でしょ? 私、自分へのご褒美によく買うんだ」 「だから太るのよ」 痛いところを突かれたけど、このささやかな贅沢はやめられない。 (ばあちゃんも、死んでまで意地張らなくてもいいんだよ?) 本来スイーツは人を幸せな気持ちにするものだが、祖母にとってバームクーヘンは、伯父のことを思い出させる辛いものになってしまったのだろう。だけど、それは親の期待を裏切った息子への憎しみではなかったと思う。母親ならば我が子への情は断ち難いはずだ。祖父や先祖の手前、“イエ”を守る役目を放棄した長男を簡単に許すわけにいかなかったのではないだろうか。自分も子も孫も甘やかすのを良しとしない、信心深い祖母だったから。 伯父は今、奥さんが入院して大変らしい。それでも顔文字入りでユーモアのあるメールをくれる。優しくて大きな人だと思う。 近いうちに伯父のところにも顔を出そう。お土産にバームクーヘンを携えて。
※2013年10月に執筆。
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