カイは絵本を読んでもらうのが好きな子供だった。 「――こうして白ウサギは黒ウサギと仲直りしました。二匹が空を見上げると、きれいな虹が架かっていました。おしまい」 母のエレナが絵本を閉じた。 「ママ、虹ってなあに?」 カイがエレナに聞いた。 「雨が降った後とかね、お空に光の橋が架かるのよ。赤とか黄色とか青とか、七つの色をしてるのよ」 絵本にはちゃんと挿絵もあるのだが、エレナはそれを使って説明しない。カイは生まれつき目が見えなかったのだ。 「ねえ、赤ってどんな色? 青って?」 カイは更に疑問をエレナにぶつける。 「赤は火の色で、熱い感じよ。青はお水みたいにひんやりした感じの色ね」 色を視覚情報なしに説明するのはなかなか難しい。 「……よくわかんない。僕も見てみたいなあ」 カイの言葉がエレナの心に突き刺さる。
夜、エレナは夫のテルと話し合った。 「やっぱり、カイにもいろいろなものを見せてあげたいの」 「……角膜移植か」 「それしか方法は無いんでしょ? 昔と比べて技術が上がってきてるっていうし、お金もカイのためならいくらでも出すわ」 「そうだな。誰かの死を望むのは不謹慎だけど、カイの将来のためには……」 「角膜をくださる方には謹んで感謝したらいいじゃない。命のリレー、助け合いよ。あなた、カイの目が見えるようになるのよ? 一度お医者さんにきちんと話を聞いてみましょうよ」 「うん、近いうちに病院に行ってみよう。カイの目が俺たちを映してくれたら、どんなに素晴らしいか」 カイは二人の会話を聞いていた。喉が渇いて起きたのだ。 (僕、見えるようになるの?) カイの胸に小さな期待が生まれた。 (見たいもの、いっぱいあるよ。パパとママの顔でしょ。お隣の優しいメグお姉ちゃんも見たいし、朝あいさつしてくれる鳥さんも、ママがきれいだって言うお月さまやお星さまも……。赤とか青とか、どんな色なのか知りたいな) 数日後、専門の病院で診察と説明を受け、カイは角膜移植を受けることになった。今は順番待ちをしなくてはならないが、カイはうれしくてならなかった。手術すれば見えるようになる。カイはその日を心待ちにするようになった。
半年ほど待って、カイに角膜移植の順番が巡ってきた。両眼同時では感染症等のリスクが高いため、今回は左眼だけだ。手術はスムーズに行われ、翌日には眼帯も外れた。カイの目に初めて光が飛び込んだ。 「まぶしい……」 「初めてだからね。今はまだぼんやりだろうけど、少しずつはっきり見えるようになるよ」 光の刺激に戸惑っているカイの頭を主治医はくしゃっと撫でた。テルもエレナも手術を成功させてくれた主治医に感謝した。
主治医の言葉通り、カイの左眼は徐々に輪郭を判別し出した。色も日を追うごとに鮮やかになってくる。 「ママってこんなに美人だったんだ。パパも結構ハンサムだね」 カイの言葉がうれしくて、両親はカイを抱きしめた。 安定するまでは日常生活の中で注意を払わなくてはならないし、病院へも定期的に通う。しかし、カイの経過は良好だった。 「本当にお星さまってきれいだね」 カイにとっては目に映るすべてが新鮮で美しいが、両親が言っていたことを実感できるのは大きな喜びだ。 「そうでしょ? 近いうちに虹を見れたらいいわね」 テルもエレナも、カイを通してこの世界の美しさを改めて感じるのだった。
手術から二ヶ月ほど経った日、カイはエレナとともに買い物に出かけた。いつも通る道が通行止めだったため、エレナは仕方なく別の道を選んだ。 「あんまりこっちは通りたくないのよね。何人も人が死んでるアパートがあるから」 エレナは顔をしかめながらカイの手を引いて歩いた。そのアパートに差し掛かった時だ。 「うわあぁぁっ!」 突然カイが叫び声をあげ、エレナの手を振り払って車道に飛び出した。カイは走ってきた車にはねられ、命を落とした。
カイに提供された角膜は検査をクリアした正常なものだった。だが、その提供者は、醜い悪霊と戦ってきた霊能者だったのだ。カイはアパートに留まっている、人間とはかけ離れた霊の姿が見えてしまったのだった。
さて、カイが事故に遭ったその日の夜、ある家族の元に待ちに待った知らせが届いた。 「ドナーが見つかったそうだ!」 「ユーリと同じくらいの子の心臓が!? ああ、神様!」 「これでユーリは助かる!」 夫妻は重い心臓病を抱える我が子を救う道が開けたことを喜び、神に感謝の祈りを捧げた。
※2013年9月に執筆。
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