水内の髪の毛と唾液、口内の粘膜、血液が採取された。ようやく遺伝子研究らしくなってきたと、水内は安堵した。しかし、またすぐに意表を突くようなことを双子から言われる。 「明日から今までの人生についてお聞きするので、ちょっと振り返っておいてください。こういうことがあってうれしかったとか、悲しかったとか具体的に。その時のエピソードと感情を細かく話してもらいたいんです」 グンの説明に疑問が湧く。 「何のためにそこまで聞くんだ?」 リンは呆れたように答えた。 「身体能力だけなら、優秀な奴に共通する遺伝子があることがもうわかってる。ナッドは、人間それぞれの個性すべてを遺伝子で説明できるって考えてるんだ。性格とか、感性とかも含めてな。人間そのものを遺伝子で解明するために、より詳しい聞き取りとたくさんのサンプルが必要なんだ」 「……なんだか壮大な研究だな。長い時間がかかりそうだ」 水内は思わず吐息を漏らした。 「だから、優れた才能を持つ人の遺伝子を優先的に研究してるんです。一人一人かなり時間を拘束することになるので、協力を頼みにくいんですよね。水内さんはしがらみが少ないから、僕たちにはとてもありがたい存在なんですよ」 グンが補足する。筋が通っているようで、どこか釈然としないものを水内は感じた。 「……だったら、俺でなくてもよかったんじゃないか? 俺の特技は水泳だけだし、昔メダルを取ったことがあるだけだ。世の中にはもっとすごい奴がいくらでもいる。身体能力だったら黒人がトップクラスだろう。経済的に貧しい人も多いし、こんなに優遇されるなら喜んで研究に協力するんじゃないか?」 「オッサン、何もわかってないな」 リンが小馬鹿にした様子で言う。 「モンゴロイド、日本人っていうのも重要なんだよ。日本人は優れた頭脳を持っている。日本の技術は世界に誇れるものだろ? そして平和を愛する土壌がある。日本の治安の良さは断トツだ。財布を落としてもそのまま返ってくるんだからな。他の国なら拾い主が自分のものにするのが当たり前だ。国歌も血なまぐさい歌詞はない。革命や戦争から生まれた国歌が多い中で特異だ。もてなしの文化も素晴らしいし、異文化を寛容に受け入れる器もある。『和を以て尊しとなす』の精神が古来から息づいてる。ナッドはこの日本人のDNAに期待してるんだ。日本人のような人間ばかりなら、世界はもっと平和じゃないかって考えてる。だから日本人のDNAを詳しく知りたいのさ。たとえ泳ぐ以外に能がない水内のオッサンでも、潜在的には日本人に脈々と受け継がれてきた優秀なDNAがあるはずだ」 リンの口から日本称賛の言葉の数々を聞き、水内はなんだか照れ臭くなった。日の丸を背負って戦ってきてそれなりに愛国心はあるつもりだったが、改めて自分は日本人で日本が好きなのだと思った。自分が若干貶められている感はあるが。 「日本人で、突出した能力があって、長期の協力をお願いしやすかったのが水内さんだったってことです」 グンが言い添える。 「実を言うと、今までは亡くなった方の髪の毛なんかを譲ってもらって分析してたんです。でも、その人がどういう人だったのか、何を考えどういうことを感じていたのか、周りの人からの情報だけではわからないことも多い。水内さんは、当人から直接情報を得る手法では初めての協力者なんですよ」 専門的な研究は学者の趣味、個人的満足だと思っていた部分もあったが、案外広い視野で世の中を見てるんだなと水内は感嘆した。まさか世界平和の糸口を遺伝子から見出そうとしていたとは。 「納得したか、オッサン?」 リンが水内に尋ねた。 「ああ、だいたいの趣旨はわかった」 「とりあえず、明日から大まかに聞いていきます。覚えていればその流れの中で詳しいエピソードを話してもらってもいいし、後から思い出して付け加えてもいい。僕たちも聞き取りと分析を並行してやっていくので。無理強いはしないので、ゆったり構えてください」 グンが温和な笑顔で場を締めた。
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