リンは『マザー・クレイドル』を眺めていた。そこへ自分の仕事を終えたグンがやってきた。 「リン、ここにいたんだ」 「いちゃ悪いか?」 にっこり笑いかけるグンを見て、リンはぶっきらぼうに答える。 「そうは言ってないよ。僕らの故郷みたいなものだし、惹かれる気持ちはわかる。僕たち、この中で育ったんだよねえ……。はっきり覚えてないけど」 グンは中央の球体にそっと手を触れた。 「それが普通だ。胎児の時の記憶が鮮明だったら不気味すぎる」 リンは再び球体に目を向け、平然とそう言った。グンはそんな妹を優しくみつめる。手を『マザー・クレイドル』から放す。 「普通だったら、母親の胎内で育つものだけど。お腹の中で母親の声を聞いてたとか、すごく温かくて気持ちよかったとか、たまに記憶がある人もいるよね。それってどんな感覚なんだろうね?」 「知るか」 別に怒っているわけではなく、これがリンの「普通」なのだ。だからグンは気にしない。 「ま、僕たちは母親を知らないからね。――この『マザー・クレイドル』、もう少し改良したら不妊治療とかにも使えそうなのに。リンはそう思わない? いじっちゃダメかなあ?」 「ナッドに許可をもらってからにしろ。私たちは『ラヴィ』に関わることを優先するべきだ」 「リンはお固いねえ……。真面目すぎる」 グンは肩をすくめた。リンはグンの顔を見て言い返す。 「グンが不真面目で軟弱なだけじゃないのか?」 「あ、今『軟弱』って言った? そこまで言う? 一応僕が兄なんだけど」 「軟弱な兄などいらない」 言葉はきついが、リンの顔はかすかに笑っている。つられてグンも笑った。 「リンのそういうとこ、かわいくて僕は好きだよ」 「あっそ」 そう言った後、リンは再び『マザー・クレイドル』のほうを向いた。渋い顔になって呟く。 「あのオッサン、いつになったらデータくれるんだ? 毎日一人でだらだら過ごしやがって」 「自殺しようとしてた人だから、ある程度は大目に見てあげようよ。時間が必要なんだよ、きっと」 グンはやんわりととりなした。だが、リンの表情は和らがない。 「そんなメンタルでよくオリンピックなんか出られたな。それとも、加齢で弱くなっただけか? 結婚や離婚の影響か?」 「……水内さんのこと、気になる?」 グンの声色が少し寂しげになったが、リンは気付かない。 「研究対象としてはな。『ラヴィ』の生きたサンプルは初めてだから。あのオッサンがどんな人間でどんな人生を歩んできたかなんて、個人的には興味ない」 「そう。リンらしいね」 グンの顔が明るくなった。リンの肩にそっと手を置く。 「グン」 リンのしかめっ面が緩んだ。 「何?」 グンは穏やかに聞き返した。 「……ナッドは、いつ帰ってくるんだろう?」 不安げな瞳だ。グンは一瞬答えに躊躇したが、優しくリンに言った。 「特別な仕事らしいから……。はっきりしたら、きっと連絡くれるよ」 リンはなおも心細さを滲ませる。 「もうひと月も音沙汰がないんだぞ? 行く時だって、突然何も言わずに出ていって……」 「極秘任務だから仕方ないよ。こっちから連絡もできないし。――寂しいかもしれないけど、僕がいるから」 グンはリンをぎゅっと抱きしめた。
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