(四)おもちゃ箱の中で
水内が食堂に行くと、グンとリンが夕食をとっていた。 「リン、これも食べて」 グンがリンに自分の皿から肉を取り分ける。 「あのなあ……。ちゃんとわたしのにも入ってる」 リンがグンの皿に肉を返した。 「しっかり栄養取ったほうがいいよ。また倒れられたら困るし」 「だから、一人前をきちんと食べれば問題ないだろうが。グンの分が減ったら、グンが栄養不良で倒れるだろ?」 「これくらいで栄養不良にはならないよ。リンのほうが女の子なんだし、いろいろ体調が大変でしょ?」 「いろいろって何だ、いろいろって」 水内は夫婦漫才のような二人から少し離れて席に着いた。二人が水内に気付いて声をかける。 「オッサン、またエロサイト見てたのか?」 「リン、そうストレートに言わなくても。――水内さん、お疲れ様です」 口の悪いリンと柔和なグン。何も変わっていないように思える。 「……リンは大丈夫か?」 水内の問いかけにリンの機嫌が悪くなる。 「何日前の話だよ。そりゃ、ぶっ倒れる姿を見せて悪かったけど。一時的なもんだし、そう心配するな」 リンはグンの父親殺しの告白も薬を打たれたことも覚えていない。貧血で倒れたと思っている。グンの記憶操作――機械を使った強力な暗示――の効果だ。そして、父親のミラー博士は何年も前に海難事故で亡くなったことになっていた。
「水内さんをどうしようかなあ……」 そう呟いたグンだったが、身構えた水内を見て吹き出した。 「一度は死を覚悟したくせに、殺されるのは嫌なんだ?」 グンは注射器をポケットにしまった。 「――別に、お好きなようにどうぞ。出て行きたいなら出て行けばいいし、ここに残ってもいい。リンに変な真似さえしなければね」 穏やかな笑顔が妙に不気味だ。 「お前……」 「どうせ何もできないでしょ? 水内さん、泳ぐ以外取り柄ないもんね」 グンは余裕の表情だ。 「理解を越えた科学に太刀打ちできないでしょ? どんな技術や設備があるかわからないんだし。力で僕をねじ伏せようにも、サムがいるからね。格闘のプロでも余程運がないとサムは倒せないと思うよ」 「……太刀打ちって……」 水内が言いよどむ。 「あ、そもそも僕らの計画を理解できないか。邪魔しようがないね」 グンがさもおかしげに水内をみつめる。水内はグンへ鋭いまなざしを向けた。 「……お前らは一体何がしたいんだ? おとぎ話になぞらえて、何をしようというんだ?」 「水内さん、今のは失言だよ。聖書をおとぎ話だなんていうと、怒る人たちがいるからね。中には一言一句すべてが事実だと信じてる人もいるし。僕は象徴と比喩で書かれてる部分があると思ってるけど。まあ、聖書を科学的に検証しようとしてる人もいるし、実際に聖書に書かれてる場所も世界には存在する。世界各国からランダムに人を選んでミトコンドリアを調べたら、先祖は同じ女性だったっていう研究もあるんだよ。ミトコンドリア・イブなんて呼ばれてるけど。天地創造の過程も時間の感覚はともかく、順序としては宇宙の成り立ちと対応してるしね」 「そんな御託はどうでもいい。お前らの目的は何だ? 本当に世界平和なのか?」 水内はグンを制した。 「あの男はそうだったね。そのために『カナン計画』を立てた。簡単に言うと、遺伝子の情報を書き換える機械『ラヴィ』を使って生まれる前の段階で平和的で優秀な人間にしてしまおうってこと。特に参考になるのは日本人の精神。そういう人間が増えれば世界は自然と平和な方向へ向かうってね。リンもこの計画に傾倒して、すごく熱心だった。それに対して、僕が提案した『エデン計画』は、『ラヴィ』によって生まれた優秀な男女を新たな始祖として、今の世界とは全く関わりのない本当の平和な社会を築いていこうってやつ。僕とリンが新しい人間始祖、アダムとイブになればいい」 グンが説明を繰り返した。水内を小馬鹿にしているのか、かなり端折った言い方だ。 「……そんな阿呆らしい計画で、世界が平和になるとは思えない」 水内ははっきり言った。
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