(二)手がかり、手探り、空振り
『ミギャッ!』 不意に奇声が聞こえて、私も屋田君もビクッとした。 『……ムニャムニャ。……スー、ピー……』 ……ちーちゃんの寝言だった。あ、姿勢が変になってる。仰向けになって、首をかしげて、足を全部招き猫の手のようにちょっと曲げて……。なんかかわいいかも。 「やっぱ、猫って癒されますよねえ」 屋田君が目を細めた。 「黒猫って、寝てると目がどこかわかんないっすね。尻尾長いなあ……。そういえば、黒猫って大抵尻尾長いですよね。尻尾が短い黒猫は見たことない。なんでですかね? 黒だけの純血種はボンベイくらいだし、いろんな純血種にも黒はいるけど他の色や模様もあるし、日本の黒猫はほとんど雑種のはずなのに。――あ、ボンベイって黒のアメショーとバーミーズを掛け合わせたやつなんすよ。ちーちゃんは雑種っぽいっすね。メンデルの法則的に考えると……」 「屋田君、ストップ。それ、今必要な話?」 私は我に返った。 「俺の長年の疑問なんすけど……」 屋田君はまだ語りたいようだ。 「レイザーストーンが戻ってからにしてくれる? 多分、彼女も猫話は好きだから」 「えっ、レイザーストーン先生ってぬこ厨っすか?」 屋田君が素っ頓狂な声を上げた。 「何それ?」 「ぬこ厨、知らないすか? ねこヲタのことっす。そういうサイトもあるんすよ。最近盛り上がってるのが……」 「だから、彼女が戻ってからにして!」 思わず怒鳴っちゃったじゃない、もう。屋田君は未練がましい目をして渋々口を閉じた。私はため息をついてしまった。 『ざーんーこーくな天使のテーゼ……』 また突然の音楽。レイザーストーンの携帯が鳴っていた。――あれ? 着信音、ずっと黒電話じゃなかった? 今頃エヴァって……。どんだけ遅れてんの? あ、そんなことより誰からか確認しなくちゃ。 『ママン・アリティーヌ』 ……おーい。普通、「母」とか「お母さん」とかじゃないの? せめて名前とか。とりあえず出たほうがいいかしら。 「もしもし?」 『あれ? ナーナ、声変わり?』 懐かしい声とイントネーションだ。子供の頃は遊びに行ってたし。 「……有江おばさん、トーコです。お久しぶりです」 『えー、トーコちゃん? ホントにさしかぶいだわー。仕事の縁でまた友情が復活したんだってね。元気しちょった?』 方言丸出し。「さしかぶい」とは「久しぶり」のこと。……ん? 友情って、私はそう思ってないんだけど。 「……はい、おかげさまで。おばさんも元気そうですね」 『元気じゃなかと、孫ん世話もできんからね。ところで、ナーナは?』 「美……え? おばさん、その呼び方……」 いくらペンネームがあっても、母親は本名で呼ぶのが当たり前のはず。 『あの子、改名したんでしょ? 「ナーナ・レイザーストーン」って。そう聞いたけど』 えーっと……。いろいろツッコミどころがあるんですけど、今の言葉。 「ペンネームですよ、物書きとしての。おばさんは今までと同じ呼び方でいいんです」 『だって、あの子がそう呼べって言うから……』 実の親に何強要してんの!? 親が願いを込めてつけた名前を粗末にするんじゃない! 「そんな指示に従わなくても。我が子の名前なんですから、自信を持って本名を呼んだらいいんです」 『でも、ナーナのほうがハイカラで良かなかけ?』 「……」 おばさんがそれでいいなら、私から言うことは何もない。 『で、あの子は? トイレ?』 「それが……その……。ちょっと出てるみたいで……」 まだ状況がはっきりしていないし、不安にさせることは言わないほうがいいだろう。 『なんでトーコちゃんがナーナの携帯に出るのー?』 ああ、その語尾上がりのイントネーションは故郷を思い出してしまふ……。 「私も仕事で来たんですけど、携帯を忘れて出かけたみたいで……」 『相も変わらずおっちょこちょいやっねー。トーコちゃん、悪いけど面倒見てやってくいやいなあ』 う……。面倒見たくないんですけど。関わりたくないんですけど。 「……おばさん、急ぎじゃないんですか? 伝えましょうか?」 『ああ、別にシュンちゃんに聞くからよかよ。ビデオを「ぶるーれい」に替えたけど使い方がわからんから、ナーナに聞こかいって思っただけ』 「そうですか」 『トーコちゃん、「ぶるーれい」でビデオは見るっとけ? DVDっていうのもあるみたいだけど、どこが違うの? 同じ?』 「……」 そこからですか。長くなるので、シュン君に聞いてください。私は電話を切った。
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