紫音は一人、森宮総合法律事務所へ急いでいた。昨日みどりとお茶をして帰宅した後、紅葉も帰ってきたが、何も言わずに部屋にこもってしまった。鍵をかけ、呼んでも返答しない。食事もとらず、誰もが訝しんだ。帰りが遅かった銀之助も部屋の前で問いただしたが、何も答えない。今朝、銀之助はみどりに紅葉から話を聞くよう言い残して仕事に出かけた。碧斗も心配しながら出勤した。紫音は学校が休みだったが、やはり紅葉のことは気がかりだった。トイレには行くようだが、すぐに部屋に閉じこもってしまう。そして昼過ぎ、警察がやってきたのだ。弁護士の五十嵐昇が事務所で殺された件で聞きたいことがあると紅葉に同行を迫った。防犯カメラに紅葉の姿が映っていたというのだ。任意同行だったが、容疑をかけられているようだった。紅葉が連れて行かれた後、みどりは放心状態だった。家政婦の智佐子もどうしたらいいのかわからず、うろうろするばかりだ。紫音も突然のことに我を失いそうになったが、昨日の遥の言葉を思い出した。いつでも力になると遥は言った。そこで紫音は家を飛び出したのだ。いつもふらふら遊んでばかりいるが、紫音にとっては大切な優しい兄だ。人殺しなどするはずがない。 息を切らして事務所に着いたが、遥はいなかった。 「今日は地裁に出向いてます」 年配の事務の女性は申し訳なさそうに言った。紫音は足元が崩れていく気がした。事務員はとりあえず紫音を中に入れ、応接室に座らせた。お茶を勧めて気持ちを落ち着かせようとする。 「別所さん、どなたかお客様ですか?」 遥の声がした。応接室のドアが開く。事務員も驚いた顔で遥を見た。 「先生、裁判は……」 「書面の確認だけでしたからすぐ終わりました。保科……紫音さんですね。どうされました?」 紫音は遥の顔を見て安堵と切なさと憤りが入り混じったような気持ちになった。 「お兄さんが容疑者にされてるんです! 助けてください!」 遥は紫音を宥めた。 「少し落ち着いて。わかるように話してくれますか?」 遥は紫音の隣に座り、手を握った。 「お兄さんが……人を殺したって……。さっき警察に連れて行かれて……」 遥も目を大きく見開いた。 「誰をですか?」 「……弁護士の五十嵐先生。でも、お兄さんじゃない! 紅葉お兄さんに人殺しなんてできない!」 取り乱しそうになる紫音の肩を遥は優しく撫でた。 「お父さんやお母さんは? 知っているのですか?」 「お母さんは家でそのまま……。お父さんは会社。多分、まだ知らない」 遥は紫音の肩をトントンと叩いた。 「お父さんの電話番号を教えてください」 「え……?」 「警察でお兄さんを擁護したいのですが、勝手に動くわけにはいかないので。お話しして了承を取ります」 遥の言葉と笑顔に、紫音はやっと少し安心した。遥が銀之助の番号に電話をかけた。 「失礼ですが、保科銀之助さんでしょうか? 私、弁護士の森宮と申します。今、紫音さんからお話を伺ったのですが……」 きびきびした遥の姿が、紫音には頼もしく感じられた。
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