遥はマンションの自室で百瀬に全てを話した。両親のことも、五十嵐と銀之助に抱いてきた思いも、二人に報復するためにやってきたことも。中には驚くような告白もあったが、百瀬はすでに丸ごと受け止める覚悟でいた。 「辛かったな」 百瀬は遥の肩を優しく抱いた。 「これからは俺がいるからさ。思い切り甘えていいから」 遥は百瀬にもたれかかり、目を閉じた。百瀬が頭を撫でてくれる。人の体温をじっくり感じることなど、久しくなかった。何の気兼ねもなく誰かに寄りかかるなんて、子供の頃以来だ。 (たったこれだけで、すごく安心できる……) 急に百瀬の手が止まる。不審に思った遥が目を開けて顔を上げた。眼前の対象を確認する暇もないまま、唇を塞がれた。百瀬はすぐに唇を離した。一瞬みつめ合った後、二人はもう一度目を閉じて唇を重ねた。
空が白み始める頃、百瀬は目を覚ました。傍らで眠る遥をみつめて微笑む。そっとベッドを抜け出し、服を身に着け始めた。気配を察したのか、遥が目を開いた。 「先輩……?」 「悪い、起こした?」 百瀬が申し訳なさそうに言った。 「もう行くんですか?」 「お、名残惜しい? そんなによかった?」 「……バカ」 頬を赤らめた遥は、毛布を頭から被ってしまった。百瀬が慌てて毛布をめくる。 「ごめんごめん。俺もせっかくだから手作りの朝飯とか一緒に食いたいんだけどさ。よりによって、朝イチで仕事入ってんだ。地域清掃の代理。休んだら罰金だから代わりにやってくれって。でも、本人じゃねえと意味なくね? 地域の交流の場だろ? これ、弁護士的にどうよ?」 「……法的には問題ないんじゃないですか。今後、その人が地域からどう見られるかは知りませんけど」 「そっか、ふっかけるのは無理かあ」 百瀬が大げさに残念がる。 「何考えてるんですか。お客様第一をうたってるくせに」 百瀬の演技を見抜いた上で、遥がたしなめるふりをする。 「しょうがない、規定料金でいくか。まあ、一番残念なのは朝飯を食えないことだな。目の前にこんなごちそうがあるっていうのに」 遥を指さし、おどけたように百瀬は言う。遥は軽く睨んだ。 「バカなこと言ってないで、さっさと仕事に行ってください。遅れても知りませんよ」 「遥ちゃん、冷たー。それが恋人に対する態度?」 「私の恋人は仕事ですけど?」 「あ、ひでぇ。夕べはあんなにかわいかったのに」 遥が再び赤くなった。毛布を鼻まで引き上げる。 「いいから、さっさと出てください!」 百瀬がくすくす笑う。 「そろそろホントに行かなきゃな。また連絡する。お前も仕事遅れるなよ。あ、動けなくて休みとか?」 「調子に乗ってると、殴りますよ? 誰かさんとは違うので、大丈夫です。――気を付けて、いってらっしゃい」 遥が微笑む。百瀬は遥の額にキスをして部屋を後にした。
しばらくベッドの温もりに浸った後、遥はシャワーを浴びた。着替えて朝食を準備する。こんなにすがすがしい朝は久しぶりだ。なんだか生まれ変わった気がする。 朝食の後片付けをしていると、インターフォンが鳴った。画面を見ると、保科家の家政婦だった智佐子が映っている。智佐子が家政婦を辞めたと最近風の便りで聞いた。緊張しているようだ。 『あの、田頭です。弟のことで、先生にご相談があるのですが』 「お急ぎですか? でしたら、ここでお話を伺いますが」 『申し訳ありませんが、お願いできますか?』 遥はオートロックを解除してやった。部屋を簡単に片づける。智佐子が来たようだ。 「散らかってますが、どうぞ」 遥は智佐子を中に入れた。 「朝早くにすみません。お仕事は大丈夫ですか?」 智佐子が恐縮した様子で尋ねる。 「これも仕事です。事務所には後で連絡を入れますから、お気になさらず」 事務の暁子は今電車に乗っている時間だ。もう少ししてから、遅れると電話をかければいい。 「どうぞお座りください。今、お茶を淹れますね」 遥は台所に立った。急須と湯呑みを用意していると、智佐子が背後から声をかけてきた。 「森宮先生」 「はい?」 振り返ると、智佐子が包丁を握りしめて立っていた。遥が状況を理解する前に、智佐子が突進してきた。腹部に痛みが走る。智佐子が遥から離れた。痛む箇所を手で押さえると、生ぬるい液体が触れた。混乱しているうちに、今度は首筋を切りつけられる。智佐子は何度も何度も包丁を振り上げては遥の体に突き刺した。 遥が床に倒れ動かなくなると、智佐子は出ていった。薄れゆく意識の中で、遥は百瀬の顔を思い浮かべていた。 (もう少し、一緒に……) だんだん目の前が暗くなっていき、ついには闇になった。遥はもう何も知覚できなかった。
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