(八)うたかたの安らぎ
仕事を終えた遥は、マンションの前に立っている百瀬の姿を認めた。 「森宮」 遥に気付いた百瀬が声をかけてくる。 「百瀬先輩、お久しぶりです。何かご用ですか?」 遥は平静を装った。百瀬の顔に、いつものひょうきんさがない。 「お前、これが目的だったのか?」 スマートフォンの画面を見せられる。経済ニュースのトピックスだった。 『ペット企業大手、ズィルバーンの保科社長解任』 株主総会で正式に決まったのだ。――やはりこの人はたどり着いたか。遥は腹を決めた。 「だったら、どうだというんですか?」 「この保科社長の娘が、あの保科紫音だな? あの子に近づく接点をみつけるため、俺に周辺を調べさせた。弁護士が顧問先の社長の娘をこっそり調べるなんて普通ありえない。あの子に近づいてから顧問弁護士になった、そう考えるほうが自然だ。しかも、あの家は最近いろいろ問題が起きてた。次男の麻薬はネットでも話題だったな。……森宮が仕組んだのか?」 百瀬の表情は険しかった。 「……全部じゃありません。家族に罪はありませんから。私は、父を裏切って会社を乗っ取った保科銀之助をズィルバーンから追放したかっただけです」 遥は静かに答えた。 「親の仇だったのか。復讐するために俺も利用したってわけだ。――なんで黙ってた?」 百瀬が遥をまっすぐみつめた。 「邪魔をされたら困るので」 遥は素っ気なく答えた。百瀬が頷く。 「確かに、事前に知ってたら止めてた」 「先輩はきっとそうすると思ったから……。でも、もう遅いです。私の目的は果たされました」 遥は自分の足が震えていることに気付いた。 「そうだな。立派な仇打ちだ。森宮はこれで満足か?」 百瀬が厳しい声色で尋ねてきた。遥は一抹の寂しさを堪えつつ言った。 「はい。――先輩も聞きたいことはそれだけですか? なら、もう帰ってください。今後私と関わりたくないなら、それで結構ですから」 遥は足早にエントランスに向かおうとした。 「待て」 百瀬が遥の肩に手をかける。 「勝手に決めるな。俺がいつお前と縁を切るっつった?」 「でも、先輩は私のしたこと、怒ってますよね?」 百瀬に背を向けたまま遥が言う。 「ああ、怒ってる。お前がそんな奴だとは思わなかった」 「軽蔑するならしてください。わかってもらおうなんて思ってない」 百瀬は遥の腕を掴み、自分のほうに引き寄せた。 「そういうとこを怒ってんだよ! なんで一人で全部抱え込むわけ? 俺に話してくれないわけ?」 「先輩……」 遥は振り返って百瀬の顔を見た。遥の体から少し力が抜けた。 「しんどかっただろ? 苦しかっただろ? 一人でため込むなって。吐き出せよ。俺が全部聞いてやるから。それとも、俺ってそんなに頼りない?」 遥は何も言えなかった。 「まあ、頼りないかもしれないけどさ。いつも冗談ばっかだし。でも、好きな女の支えにはなりたいって気持ちはマジだから。どうしても面と向かって真面目に告白できないけど、俺、やっぱり森宮が好きみたいだ」 百瀬は真剣なのかふざけているのかわからない顔で告げてくる。 「……みたいって、他人事のように……」 遥が苦笑いを浮かべた。 「こういう言い方しかできねえんだって。だけど、これからは俺が何でも聞いてやるから。一緒に笑ってやるし、一緒に泣いてやる。悩んだり苦しんだりする時も、一緒にいてやるよ。お前みたいに気の利いたアドバイスとかできないかもしれないけどさ」 百瀬は遥を抱きしめた。 「泣きたい時はここで泣け。お前専用のゴールドシートだ。超特Sだぞ? お前のためにいつでも空けといてやるから」 「……千円のTシャツのくせに。超特S、安すぎ……」 遥の涙が百瀬のTシャツを濡らしていった。
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