(七)顧問弁護士の素性と目的
碧斗が保科邸に顔を出すようになった。美咲と美月が一緒に来る時もある。紅葉と話し込む日もあった。昔は紅葉が碧斗を避けていた節があったが、困難を経験した者同士わかり合うものができたのか、腹を割って話せるようになったらしい。碧斗の存在が紅葉を落ち着かせ、一歩踏み出す勇気を与えた。 碧斗のアドバイスもあり、紅葉はR大に退学届を出した。 「俺、実はコンピュータグラフィックに興味あるんだ」 専門学校の資料を取り寄せて調べたりするようになった。人の噂もなんとやらで、表立って悪く言う者も少なくなった。保科家は平穏を取り戻しつつあるように見えた。
みどりは一山展の会場に足を運んだ。芸術鑑賞自体も好きだし、賞を取った須藤の作品が楽しみだった。展示作品を観ながら、レベルの高さを実感する。大賞や特別賞の展示スペースが近づいてきた。見覚えのある絵が目に入り、足が止まった。 (どうしてこの絵が……) みどりが描いた母子の絵だった。よく見ると、ところどころみどりの絵とは違う部分がある。しかし、構図はほとんど同じだ。作者の名前は須藤游。 みどりはカルチャースクールに電話をかけ、須藤と外で会う約束を取り付けた。 「須藤先生、どういうことですか? 特別賞のあの絵は……」 喫茶店に須藤を呼び出したみどりは、すぐ本題を切り出した。 「ご覧になられたとおりですが」 須藤は涼しい顔をしている。みどりは憮然とした。 「生徒の絵を盗むなんて、最低ですね」 「盗んだわけじゃない。ちゃんと自分でオリジナルを描いた。モチーフがあっただけだ」 「ふざけないでください。あれは私の絵です」 「僕の作品だ。だから賞を取れた。保科さんの技術では無理ですよ。あの絵のおかげでパトロンになってもいいという人が現れてくれた。カルチャースクールの講師もじきに辞めます」 須藤は運ばれてきたコーヒーをすすった。 「私の絵は、出品しなかったんですか?」 「今頃気付いたんですか。応募者全員に審査結果の通知は届くようになっているのに」 「え……?」 みどりは入賞者だけに通知が行くものと思い込んでいた。須藤はみどりをちらりと見て続ける。 「応募するなら、募集要項もきちんと読んでおくべきですよ。そういうところも甘いですね。誰でも応募できるからって、舐めてもらっては困る」 須藤の表情は冷やかだった。 「あなたが全部やるって言ったから……」 「人任せに慣れてるんですね。さすが社長夫人」 みどりは須藤の冷笑に耐えられなかった。 「とにかく、あの絵は盗作です! 受賞は無効です!」 「どうやってそれを証明するんですか? 保科さんがどんな絵を描いたか知っているのは誰もいない。証拠もない」 「私の絵を……処分したんですか」 思いを込めて描いた絵だ。画家なら気持ちがわかるはずだ。みどりは絵を捨てられたことにショックを受けた。 「落書きを大事にとっておく筋合いはないので」 「……あなたのような人が長く続くはずはない。こんな手を使って名声を得ても、すぐ底が知れるわ」 みどりは精一杯の侮蔑の言葉をぶつけた。 「保科さんは僕の実力を認めてくれてたはずでは? いや、実力だけでなく魅力もか。あんな簡単な誘いで落ちるなんて」 「何ですって!?」 あの時の言葉は何だったのか。 「まあ、モチーフに対する僕なりのお礼と受け取ってもらっても構いませんよ。若い男なんて久しぶりだったのでは? いい思いをさせてあげたんだし、騒ぎ立てないほうが身のためだと思いますがね」 みどりは憤りと羞恥で真っ赤になった。 「初めからそのつもりで……。自分の絵にするつもりで……」 「どうとでも思ってください。訴えたければどうぞ。でも、誰が信じますかね? おばさんが嫉妬でわめいてるだけだと受け取られるでしょうね」 確かに盗作の証拠は何もない。みどりは唇を噛みしめた。 「私を誘惑したくせに……」 「無理強いをした覚えはない。保科さんが強引に迫ってきた、というほうが説得力があるんじゃないかな。どちらにしろ、あの日のことがバレて失うものが大きいのはあなたのほうでは? 自慢の妻、母が浮気なんて、ご主人やお子さんはどう思うでしょうね?」 悔しいが、何も言い返せない。みどりは須藤を睨みつけることしかできなかった。
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