紫音は教室で一枚のプリントをじっと見ていた。 「なーに真剣に見てんのかなー、紫音は」 美波がプリントを覗きこんだ。 「大学偏差値ランキング? まだ一年じゃん。今からどこを受けるか決めてんの?」 美波の言葉に、紫音の顔が赤くなった。 「う、うん。ちょっと気になる仕事があって……」 「へー、立派だね。将来のこと考えてんだ。私、まだ何も決めてないよ? 大学は行くと思うけど」 「私もまだ『絶対これ!』ってわけじゃないんだけど……。この人みたいになりたいって思う人がいるの」 遥を思い浮かべながら紫音は言った。 「大人しい箱入り娘の紫音が、はっきり自分の意志を持つのは珍しいね。まあ、人見知りと引っ込み思案を直さないと、何をするにしても大変そう」 「美波たちが気が強すぎるんだと思うけど……」 「翔矢はそこがいいって言ってくれるもん」 ツンと澄ました美波を見て、紫音はそっと笑みを漏らした。 「ここで惚気ないでよ」 「紫音も彼氏作ったら? 翔矢の友達、紹介してもらおうか?」 「別にいいって」 「あー、でも紫音んとこ、カッコいいお兄さんがいるんだよねー。イケメンを見慣れてると、理想が高いか」 美波がわざとらしく声を高くする。その声に他の生徒も振り向いた。 「えっ、そうなの?」 「お兄さん、何歳?」 「恋人いる?」 次々と質問が浴びせられる。紫音は対応に困ってしまった。代わりに美波が答えた。 「二人とも素敵なんだよー。上のお兄さんは二十八歳で課長さんだし、下のお兄さんは大学生。かわいい感じの顔で真面目な碧斗さんと、ホストっぽい紅葉さん。あ、碧斗さんは婚約したんだっけ。狙うなら紅葉さんだね」 美波の説明に目を輝かせる女子たち。 「ね、写真ないの?」 「見たい、見たい」 ちょっとした騒ぎになってしまった。 「ちょっと、美波」 紫音が抗議する。 「イケメンは公共のものなの。翔矢は別だけどね」 「それってジコチューだよ!」 「大正解! 人はみんなジコチューよ」 美波が楽しそうに笑った。教師が教室に入ってくるまで、一年A組は騒がしかった。
みどりは水彩画教室で画用紙に向かっていた。絵の具の混ぜ具合と水分の含み具合で色は無限大だ。紙質によっても仕上がりが変わってくる。最初は水張りが若干面倒だが、慣れればどうということはない。油絵とはまた違った柔らかい透明感のある作品になることが大きな魅力だ。みどりは生まれ故郷の風景を描いていた。 「保科さんはもう教えることがないですね」 講師の須藤遊(すどうゆう)がみどりに声をかけた。 「まだまだです。ちょうど先生にアドバイスを頂こうと思っていました」 「どこですか?」 「この水面の葉っぱなんですけど、思うように描けなくて……」 須藤が絵筆を握り、手直しを始めた。みどりはうっとりと須藤をみつめた。 「最初にマスキングをしたほうが良かったかもしれませんね」 「そう思ったりもしたんですが、仕上げを急いでしまいました」 「焦らずゆっくり描いたらいいですよ。時間がかかったからって特に罰があるわけでもないので」 須藤がいたずらっぽく笑った。笑顔が少年のようだ。 「保科さん、今度一山展に出品してみませんか?」 「えっ?」 一山展といえば、比較的大きい公募展だ。入賞者に芸能人がいることでも知られている。 「保科さんくらいの腕なら、十分張り合えると思いますよ。三十号以上の作品になりますけど、挑戦してみませんか?」 須藤が自分を認めてくれたことがうれしかった。 「やってみます。先生、ご指導お願いします」 みどりは微笑んで答えた。
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