(三)密かに軋む歯車
保科邸での遥の武勇伝は、保科家の人々の遥への信頼をさらに高めた。しかし、銀之助は念のため遥の経歴を調べた。 碧斗と同じ二十八歳。S県出身。母子家庭で生まれ育った一人っ子。父親は不明。十歳で母親を亡くし、祖父母に引き取られる。T大学法学部、同大学院を卒業後、司法試験に合格。同年、最高裁判所司法研修所に入所。一年の修了過程を経て弁護士登録、森宮総合法律事務所を開設。事務員の別所暁子とともにクライアントのため日々奔走している。「若いけれども優秀で、親身になってくれる弁護士」として、クライアントの評判も上々。独身、一人暮らし。 銀之助は遥をズィルバーンの社長室に呼び、顧問弁護士の契約を交わした。 「森宮先生の評判はなかなかのものですね。素晴らしい弁護士さんだとみんな口をそろえて言ってますよ」 「まだまだ勉強が足りません。そうおっしゃっていただくと、かえって身が引き締まります」 銀之助が褒めても、遥は謙虚だった。 「先生の爪の垢を紅葉にも飲ませたいですよ。碧斗は真面目に育ってくれましたが、紅葉はどうもぐうたらで……。先生にも失礼なことを言って、恥ずかしい限りです」 「紅葉さんにも転機が来ると思いますよ。本来優しい人だと思いますし、良さをわかって支えてくれる人がいたら、奮起するんじゃないでしょうか」 「あいつにそういう人が現れますかねえ……」 銀之助はため息をついた。 「大学も留年確実のようですし。――そうそう、学校といえば、トリマーの専門学校を立ち上げようという企画があるんですよ。学校法人を作ったほうがいいですかね?」 「税金対策としては、そのほうがいいですけど。ただ……トリマーってまだ需要が少なくないですか? 技術を身に付けても、それを活かす場がないのでは……。就職の受け口まで作ってあげてこそ、『人とペットに寄り添うズィルバーン』になると思います」 遥の意見に銀之助は感心した。 「わが社の理念を逆に教えられてしまいました。なるほど、サロンの拡張も同時並行で考えないといけませんね」 「逆に、学校法人を主体にして企業を傘下に入れるというやり方もありますよ。目先の利益だけでなく、これから先どういう方向で事業を展開していくのかで、ベストの方法が変わってきます」 「やはり森宮先生にお願いして正解でした。ズィルバーンのことをよく理解してくださっている」 銀之助は満足そうだった。 「――社名は保科社長のお名前から取ったんですか? 『ズィルバーン』ってドイツ語の『銀』ですよね?」 遥が尋ねた。 「その通りです。本当はフランス語の『アルジャン』にしたかったんですけど、すでに登録されていたので……」 「そうですか……。金融関係の雑誌にも『あるじゃん』ってありますね。何のダジャレかと思ったら、フランス語の『銀』で、『お金』という意味もあるんですね。皆さんよく考えますねえ……」 銀之助と遥は顔を見合わせて笑った。
その夜、遥はマンションの自室でシャワーを浴びた後、カーペンターズのCDをオーディオに入れた。『Yesterday Once More』が流れる。ペットボトルの水を飲み、パソコンを立ち上げた。インターネットで株式会社ズィルバーンの株価を検索する。 「……不況知らずの業界といっても、やはり影響はあり、と。それでも大きな下落は見当たらないし、安定してるのか……」 初めて見るページではないが、ズィルバーンの繁栄ぶりを改めて痛感する。次にズィルバーンのホームページを開いた。会社概要を見る。取引先銀行の中に「なのはな銀行」をみつけ、一瞬目の動きが止まる。業務提携をしている会社のリストにも目を通した。 「文句のつけどころがない、優良企業ズィルバーン……」 遥は呟いて、ブラウザを閉じた。 「……Every Sha-la-la-la Every Wo-o-wo-o Still shine……」 CDに合わせて『Yesterday Once More』の歌詞を口ずさむ。遥の目はわずかに潤んでいた。
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