ヤンは腹部の鈍い痛みで目が覚めた。知らない部屋だ。 「気が付いたかい?」 老婆が優しい顔で話しかけてきた。ソファに寝かされていたようだ。 「怪我はないと思うけど、レイの蹴りは強烈だからね。乱暴してすまなかったね。――レイ、アンタも謝りな」 少し離れて立っていたレイという女は不機嫌そうだった。 「ラウ様、こっそり我々の後をつけるような男です。謝る必要はないと思います」 「アンタはもっと愛想というものを身に付けてほしいね。客が逃げちまうじゃないか。そんな怖い顔して迫られたら、誰だって固まっちまうさ」 老婆はラウという名前らしい。ラウはレイをたしなめた。 「理由も聞かずに蹴り上げるなんて、アンタが悪いよ。とにかく謝りな」 レイはむっとしたようだったが、仕方なさそうにヤンに一言告げた。 「すみませんでした」 ラウは申し訳なさそうにヤンに言った。 「すまないね。この子、いつもこんな調子なんだ」 「いえ、僕も不審者みたいな真似をしてたから……」 ヤンは人当たりの柔らかいラウに少し安心した。 「ところで、アタシたちに何か用かい? この店に人形を買いに来たのかい?」 「人形?」 ラウの言葉にヤンは疑問を覚えた。 「違うのかい? うちは人形屋さ。全部アタシが作ってる。結構評判が良くてね。遠くから買いに来る人もいるんだ」 言われてみれば、部屋の中は人形だらけだ。作りかけらしい物もある。 「店の客じゃないなら、一体何だ? 答えないなら、今度こそ息の根を止める」 レイが冷やかにヤンをみつめる。その瞳にヤンはたじろいでしまった。 「レイ、物騒な真似はおよしよ。まず話を聞こう」 ラウがとりなしてくれる。ヤンはどうにか落ち着き、正直に話すことにした。 「失礼しました。僕はヤン・コーエンといいます。実は……先月妹が殺されたんです」 「まあ、気の毒に」 ラウは同情したようだった。 「まだ犯人が捕まってなくて……。昨日、うちに妹の同級生が来て話してくれたんです。モーヴのまじない師に、妹を呪い殺すよう頼んだと。そのまじない師が白髪のおばあさんで、黒髪の若い女性が一緒だったって聞いたから……」 「ああ、だからアタシたちがそのまじない師じゃないかって、後をつけたんだね」 「……そうなんです。すみません」 ヤンは頭を下げたが、ラウはさほど意に介していない様子だ。 「確かに髪の色はぴったりだね。でも、違うよ。人生経験だけは積んでるからいろいろ相談されることもあるけど、さすがに人様を殺めるようなことには手を貸してないさね」 「そうですよね……」 「いやいや、気持ちはわかるさ。かわいい妹だったんだろうね。犯人を許せないだろう」 人のよさそうなラウとは対照的に、レイは冷たい表情で黙ったままだ。 「あの……。そういうまじない師、知りませんか?」 ヤンはラウに尋ねた。 「まじないは本当は認められていないからね。この町にもいることはいるんだろうが、アタシも会ったことはないんだ。でも……こう見えて顔が広いから、店に来た客とか知り合いに聞いてみようか? 何かわかったら教えるよ」 初対面の自分にラウは親切だ。ヤンはうれしかった。 「ありがとうございます」 「困った時はお互い様さ」 ラウは笑ってヤンの肩を叩いた。 「……もうひとつ、確認してもいいですか?」 ヤンは恐る恐る切り出した。 「何だい?」 「レイさんの髪……地毛ですか?」 ラウはきょとんとしたが、レイはヤンをにらんだ。 「私が禿げてるとでも言いたいのか? 金持ちの中年オヤジや役者じゃあるまいし、どうして偽物の髪をつける必要がある?」 「い、いえ、違います」 それなりにかわいい女性なのに、言葉遣いや態度がどこか冷たく人を威圧する。 「疑問は残さないほうがいいよ。レイ、ちょっとごめんよ」 ラウがレイの黒髪を引っ張った。確かにかつらなどではなく自前の髪だ。 「どうだい?」 「わかりました。もういいです」 ヤンは素直に白旗を上げた。ラウがレイの髪から手を放した。 「もしかして……。黒髪の女のほうは本当の髪を隠しているのかい?」 ラウはヤンに尋ねた。 「その可能性がある、と聞いただけで……。すみませんでした」 「そうかい。まあ、いろいろ当たってみるかね。あまり期待されても困るけど」 「いえ、お気持ちだけでもうれしいです」 ラウが聞くので、ヤンは連絡先を教えた。 「ベルランゴーに住んでるのかい。ここまで大変だったろう」 「大丈夫です。体力には自信があるので」 「帰り道はわかるかい? そこの角を曲がれば大通りに出るんだけど」 「ありがとうございます。それだけ聞けば、あとはわかります」 ラウは店の外までヤンを案内してくれた。ヤンが寝かされていたのは奥の作業場で、通りに面した売り場には完成した人形が並べられていた。外に出て看板を見ると、『月のかけら』と店名が書いてあった。こぎれいな店だが、人形たちの目が少し怖い。 「ヤン、気をつけてお帰り。何かわかれば教えるから」 「お世話になりました」 ヤンは笑顔でラウと別れた。
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