翌朝、ユマが熱を出した。ベッドから起き上がれず、うわ言で母親を呼んでいた。 「ママ……。ママ……」 顔が赤く、額に汗を浮かべている。ヤンはユマの汗を拭い、手を握ってやった。宿屋の夫婦も心配してレモネードを差し入れてくれた。風邪ではなさそうだ。おそらく慣れない環境からくるストレスで発熱したのだろう。 「ラウ様、ここで捨てますか? 人質とはいえ、足手まといです」 レイがラウに尋ねた。 「ここで殺すのはまずいだろう。かといって、無理に病気の子供を連れ出して宿の主人に疑われてもね……」 「いっそ皆殺しにしますか?」 「警察が追ってきやすくなる。仕方ない、今日はここに留まることにしよう」 ヤンは二人の会話に不快感を抱いた。人の命を何だと思っているのか。 「一緒に来い。薬を買いに行く」 レイがヤンの腕を引っ張った。 「アタシがユマを見てるから、レイと行っておいで」 ラウに言われて、ヤンは渋々レイと外に出た。二人はユマのことを心配しているのではない。早くここを出発したいだけだ。レイとヤンを一緒に行動させるのも、ヤンにもユマにも逃げられないようにするためだ。 レイもヤンも無言だった。近くで解熱作用のある薬草を手に入れ、宿に引き返した。ヤンは道端の出店で売られている青いリボンが目に留まった。 「レイさん、ちょっと待ってください」 「何だ?」 レイも立ち止った。 「あのリボン、ユマに買ってあげたいんです」 「お前の金で買うなら構わない。早くしろ」 手を放しているが、レイはしっかり見張っている。ヤンは手早く買い物を済ませた。
薬草が効いたのか、夕方にはユマの熱が下がった。ヤンが買ったリボンをユマは喜び、人形のエミリーに結んだ。食事をした後、ユマはエミリーを抱いて再び眠った。規則正しい穏やかな寝息だった。 「これなら明日は動けそうだね」 ラウは微笑んだ。純粋にユマの回復を喜んでいるわけではないが、傍から見れば優しいおばあさんだ。宿の夫婦もそう思ったらしく、 「元気になってよかったです。無理は禁物ですが、明日はお孫さんが喜びそうなところに連れて行かれてはどうですか?」 と言った。ヤンも安堵した。レイだけが不機嫌そうに腕を組んでいた。 「ちょっと外の空気を吸ってくるよ」 ラウは部屋を出ていった。残ったのは寝ているユマと、ヤンとレイだ。 「ガキは面倒だな」 レイがそんなことを呟いた。 「自分も昔は子供だったくせに」 ヤンが言うと、レイはヤンを見た。 「お前がいて助かったな。ガキの相手は苦手だ」 「確かに疲れるけど、いろんな表情をして飽きないし、笑顔に癒されるじゃないですか」 ヤンは施設でも年下の子供の面倒を見ていたし、何より妹のニナが支えだった。 「だからリボンを買ったのか?」 「は?」 「自分が癒されたくて、リボンを買ったのか?」 ヤンはレイの質問の意味が理解できなかった。 「……癒されたいから、というより……。喜ぶ顔が見たかったんです。小さい頃のニナみたいで、かわいくて」 「わからない。何故そのガキを喜ばせようとする?」 「だから、妹に似てるし……。そうじゃなくても小さい子って無条件に愛らしいし、かわいがりたくなると思うんですけど」 レイは怪訝な表情を浮かべた。 「……まあ、子供が苦手な人もいることはいますが」 「お前は小さな子供だったら、誰でもかわいがるのか?」 ヤンは困惑した。レイが何を言いたいのかわからない。 「このガキを大事にする理由がわからない。自分だけ逃げることもできるはずだ」 人質にしておいて何を言うのかとも思うが、ヤンはレイから感じる冷たさの原因に思い当たった。人としての感情がどこか欠落しているのだ。 「……誰かを大事に思う気持ちはレイさんにもあるんじゃないですか? ラウさんのためなら、レイさんは何でもするでしょう?」 ヤンは言った。 「それと似た思いを他の人に持つこともあるはずです。僕は妹のニナが大切だったし、ニナに似てるこの子を守りたいと思う」 レイは感心したような顔をした。 「そういうものか……」 「レイさん、もっと笑ったらいいですよ。せっかくきれいな顔をしてるのに。そうすればユマも懐くし、人が寄ってくると思いますよ」 口に出してから、殺人犯に言うことではなかったと気付いた。 「……変なことを言う奴だな」 レイの口調は乱暴だったが、表情はどこか照れているようにも見えた。赤い石がかすかに光ったことに、ヤンもレイも気付かなかった。
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