翌朝三人で食堂に行くと、見慣れない男性が座っていた。 「レジー兄様!」 ミシェルが飛びついた。 「朝から元気だな」 男性がミシェルにハグを返す。 「いつ来たの?」 「さっきだ。叔母様に用があって」 僕とレオニードが呆然としていると、ミシェルが紹介してくれた。 「従妹のレジー兄様。兄様、友達のレオニードとアルフレッドです」 「レジーだ。よろしく」 レジーが手を差し出した。 「レオニード・グランツェです」 「アルフレッド・グレイヴィルです」 僕たちは握手を交わした。僕はレジーの顔を見た。どこかで見たような……。 「ああっ! あの時の……」 「どこかで会ったっけ?」 ミランダ伯母様の個展でユリア姉様にぶつかった男だ。 「会ったっけ、じゃないです! ユリア姉様は転ぶところだったんですよ!」 「誰だ、それ?」 「僕の大事な姉様です! ミランダ・レッドフォードの個展で会ったじゃないですか。ぶつかったのに謝りもしないで……」 「ぶつかったくらいでいちいち覚えてられるかよ」 その面倒臭そうな顔、間違いない。 「ええっ、レジー兄様がユリアさんに無礼を働いたの?」 ミシェルが驚く。 「俺らのブルーローズによくも……」 レオニードは僕と同様、怒りに火が付いたようだ。 「ちょっと待て。俺、何かしたか?」 「自覚がないところが余計許せない! ユリアさんを覚えていないなんて男じゃない!」 「覚えてないんだからしょうがないだろ」 「あの美貌を!? レジー兄様、気は確かですか?」 「俺を変人扱いするな!」 「変人ですよ。姉様はこの国で一番の美女ですから。怪我でもさせたらどう責任を取るつもりだったんですか?」 僕たちに責められて、レジーは渋い顔になった。 「……美人だから、謝らないといけないのか?」 「その前に、人として当然ですよ」 「それなら謝る。絵に夢中になってたから……。悪かった」 意外にあっさり謝罪されて、拍子抜けした。
朝食が用意され、僕らはレジーと一緒に食べた。レジーは二十一歳。バイオリンの勉強で長く外国にいたらしい。最近帰ってきたばかりのため、ブルーローズの噂も知らなかった。これから宮廷の楽団に入って活動するのだと話してくれた。大きな会場でリサイタルを開くのが夢だという。 「アルフレッドの姉さんって、そんなに美人なのか?」 レジーが僕に尋ねた。 「覚えてないのが不思議ですよ。僕は姉様よりきれいな女性を見たことがありません」 「ふーん。お高く留まってるんじゃないか?」 「姉様に釣り合う男がいないから、そう見えるだけです」 「どうだか。美人だから何でも許されると思ったら、大間違いだぞ」 「姉様を侮辱するんですか? 決闘を申し込みますよ」 「俺もアルに加勢する」 レオニードが僕に同調してくれた。 「……子供相手に決闘する気はない」 僕はカチンときた。 「僕の両親は宮廷でも指折りの剣の使い手ですから。甘く見ないでください」 「親がすごいからって、子供もすごいとは限らない」 「――正式に決闘を申し込みます! レジー……えーっと……。名前は何ですか?」 レジーとしか聞いてない。決闘を申し込むには、正確な名前が必要だ。レジーの顔色が変わった。 「……言いたくない」 「逃げるんですか?」 「違う。名前を言いたくないだけだ」 ミシェルが笑いをかみ殺している。こいつ、何か隠してるな。 「ミシェル、レジーの名前を教えて」 「言うな!」 レジーがミシェルを押さえようとしたが、ミシェルは口を開いた。 「レジーナ・エンドルフィ」 「……え?」 僕はぽかんとした。 「……女みたいな名前だな」 レオニードも怒りを忘れてしまったようだ。 「……だから言いたくなかったんだ」 レジーは赤くなった。 「レジー兄様はエンドルフィ伯爵家の長男なんだ。昔の風習にあやかった名前を付けられて、いつも気にしてる」 ミシェルの説明で合点がいった。昔は長子の健やかな成長を願って、男子に女性の名前を付け、女子として扱う風習があったのだ。 「ということは……。三歳までスカートはいてたんですか?」 「……そうだ」 僕たちは笑い出してしまった。目の前のレジーのドレス姿を想像したのだ。 「お前ら……。別に俺が望んだわけじゃないぞ」 ふてくされているが、レジーの顔は赤いままだ。 「でも……その顔で……レジーナって……」 どうやっても女性に化けることは不可能な男らしい顔立ちだ。美丈夫ではあるけれど。 「だから『レジー』って呼んでもらってる」 「……確かに……レジーナは……合わない」 笑いが止まらない。レジーはますます不機嫌になる。 「笑い過ぎだぞ、お前ら」 「……リサイタル……開いても……名前で……女性だって、みんな……勘違いしそう……」 「本当だよな」 「……ドレス着て……演奏とか……」 ミシェルはレジーを見て、慌てて僕とレオニードに言った。 「もうやめてあげようよ。レジー兄様がかわいそうだ」 そう言われても、簡単には収まらない。急にレジーがテーブルを叩いて立ち上がった。 「――アルフレッド・グレイヴィル! 決闘を申し込む!」 叩いた音と剣幕に驚き、やっと笑うのを止めた。まずい、レジーの目が……。これは本気で怒っている。 「……子供相手に決闘はしないんじゃ……」 「剣や銃は使わない。音楽で勝負だ。何か楽器弾けるか?」 「昔ピアノを少し……」 「じゃあ、それでいい。五人に俺たちの演奏を聴いてもらって、どちらがよかったか決めてもらう」 「そんな! レジーは本格的に勉強して来たんでしょう?」 「お前にハンデをやる。五人はお前が選べ。一人でもお前に票を入れたらお前の勝ちだ」 「そうは言っても……。長いこと弾いてないし……」 「お前が慣れているピアノでいい。助っ人を頼んでも構わないぞ。俺が勝つけどな」 すごい自信だ。 「俺が勝ったら、金輪際本名で呼ぶな。名前のことに触れるな。お前が勝ったら、土下座させるなり一生からかうなり、好きにしろ」 気迫に押される。謝ろうとしたが、ミシェルが小声で僕にささやいた。 「こうなったら誰もレジー兄様を止められない。諦めて受けるしかないよ」 ……とんでもないことになってしまった。
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