トーマとセイラの仲は、ルーファスの策によって周知の事実となった。ルチアの協力を得て、公の場で二人を正装させ踊らせたのだ。当日まで二人には内緒にし、直前にそれぞれが着替えさせたのだった。ルーファスは堂々とセイラをトーマに預けた。 「トーマにセイラを任せる」 ルーファスは公衆の面前でそう言い切った。騙された形になった二人から文句を言われても、初めからおおっぴらにしたほうがいいのだと譲らなかった。確かに人々の衝撃は大きかったが、すぐに落ち着いていった。 レッドフォード家とグレイヴィル家の親交も復活した。殊に、レッドフォード侯爵夫人は喜んだ。セイラが娘らしい格好で屋敷に出入りするようになったからだ。今までは買い物に付き合う時も男装のままだった。養母を守るためいつもそうしていたのだという。ゆくゆくは本当に娘になってくれるだろうと、期待を膨らませていた。 グレイヴィル伯爵とセイラの要望で、仕事の時はきっちりけじめをつけることにした。セイラは宮廷ではトーマを階級で呼ぶ。もちろん男装だ。しかし、屋敷やレッドフォード家で過ごす際は女らしく装い、名前で呼ぶ。そのギャップも自分だけが知る魅力のようで、トーマはうれしかった。ただ、二人きりのデートは伯爵が許さなかった。ルーファスとルチアが二人の勤務を調整してくれていたものの、グレイヴィル家では必ず誰かが近くで見張っており、レッドフォード家でもセイラは侯爵や侯爵夫人につかまるのが常だった。仕事の帰り道が唯一の二人で過ごす時間だった。
「トーマのどこがよかったの?」 ルチアに尋ねられ、セイラは赤くなった。 「……どこというか……。いつのまにか存在が大きくなっていたんです」 「お兄様じゃだめだったのかしら?」 「ルーファス様には優しくしていただいて、感謝していますけれど……。やはり敬愛以上の気持ちは持てませんでした」 「せっかくお義姉様になってもらえると思ったのに」 「申し訳ありません」 「お兄様が納得されているからいいけど。ねえ、トーマと何か進展があったら教えてちょうだい。後学のために」 「……こういうことに関しては、ルチア様のほうがお詳しいと思いますが」 「教えてくれないと、脱走するわよ」 「ルチア様……!」 二つ年下のルチアにからかわれ、セイラはふがいなさを感じた。しかし、護衛としてはやはり頼りにされており、友人として扱われることがうれしくもあった。
そんなある日、トーマとセイラは急に会議室に呼び出された。行ってみると、グレイヴィル伯爵を始め近衛隊の副官や精鋭部隊の者たち、衛兵隊の名立たる兵士などが二十名ほどいた。顔と名前は知っていても、直接関わりを持ったことのない者がほとんどだった。一体何の集まりなのか。疑問に思っていると、外務大臣と隣国の大使が現れて事情を説明し出した。 隣国の元大臣夫妻と令嬢が旅行に来ていたが、三日前に南の地方で令嬢が行方不明になったという。現地の警察が捜索したが未だにみつからない。元大臣とはいえまだ国内外に強い影響力があるし、令嬢を保護できなければ国の面子も立たない。下手をすれば外交問題にもなりかねない。なるべく事を荒立てず迅速に解決するため、信頼できる優秀な者を集めてチームを組み、令嬢の捜索に当たらせるということだった。 今までの捜査状況が報告され、二つのチームに分かれて明日出発することになった。トーマもセイラもグレイヴィル伯爵が指揮を執るチームに入った。 解散後、セイラはグレイヴィル伯爵に呼び止められた。 「これらに見覚えはないかい?」 風景のスケッチをいくつか見せられる。石像や城、花時計、昔ながらの民家……。 「いいえ、どれも見たことがないです。どうかしたんですか?」 「いや、それならいいんだ。早く帰って準備をしなさい」 「はい」 セイラを見送り、伯爵は資料に目を落とした。 (逆に不安にさせてしまっただろうか? 気の回し過ぎだな) 必要な情報を頭に叩き込むべく、伯爵はもう一度資料を読み返し始めた。
翌日、両チームとも朝早く出発した。現地に着いたのは午後になってからだった。グレイヴィル伯爵はチームの者に近隣の住民たちからの聞き込みを命じた。目新しい情報はなかったが、あることに気付いた。元大臣の令嬢だけでなく、数年前から近隣の村の娘たちも何人か姿を消していることはわかっていた。地図で最後の目撃情報があった地点を確認すると、どれも城の近くだったのだ。ロゼミューン城といい、すでに持ち主は亡くなった無人の城だ。だが、幽霊が出るとの噂がある。もしかしたら皆ここに閉じ込められているのではないか。 「私どものほうでも調べましたが、誰もいませんでしたよ」 現地の警官は言ったが、見落としていることもあるかもしれない。今日は近くに宿をとり、明日ロゼミューン城を中心に捜索することに決めた。
宿では三部屋に分かれた。グレイヴィル伯爵親子は二人で一部屋に泊まることになった。 「お父様、今日は早く休んでください。夕べ眠っていらっしゃらないでしょう?」 「もう少し明日の見通しを立てたらね」 娘の気遣いをうれしく思いながら伯爵は答える。 「もう若くないんですから、無理しないでください」 「何を言ってるんだ。まだまだ現場で走り回れるぞ」 二人で顔を見合わせて笑う。 「こんなのどかな場所で事件とは、やりきれなくなるよ。セイラはこの地方は初めてかい?」 「はい。お父様の領地とは方向が違いますし、連れて来ていただいたことはないはずです」「いや、確かにそうなんだが……」 「何か?」 「うん……。ちょっとね、迷ってるんだ。明日、セイラには待機をお願いしようかって」 「どうしてですか? ただでさえ人数が少ないですし、メンバーに加えていただいたということは、それなりの働きを期待されているからだと思うのですが」 「それは正しいんだけれど……」 珍しく伯爵の歯切れが悪い。 「期待にどれだけ添えるかはわかりませんが、早くみつけて差し上げたいです。ご家族のお気持ちを考えると……」 「そうだね。……わかった、明日置いていくようなことはしないよ」 伯爵は腹を決めた。 「よろしくお願いします。大変な事件ですけれど、お父様と一緒に仕事ができるのはうれしいです」 「私はセイラが一緒だと冷静な判断ができなくなるようだ。親子というのは厄介だね」 「仕事では上司と部下ですよ。指揮官なんですから、しっかりしてください」 「娘に説教されるとは、私もヤキが回ったかな。先に休んでいなさい。私もちゃんと休むから」 同じ頃、隣の部屋ではトーマが近衛隊の先輩につかまっていた。 「レッドフォード大尉。グレイヴィル少尉と同室じゃなくて残念だったな」 「せめて彼女が一人部屋だったらよかったのにな。父親と一緒だとなあ……」 「……仕事で来ているので、そういう話はやめていただけませんか」 ここぞとばかりにセイラとの仲をからかわれ、トーマは閉口気味だ。 「やっぱり普段からグレイヴィル伯爵が邪魔をして手を出せないとか?」 「せっかく思いが通じたのに、前途多難だな」 「だから、その話はやめてください。何のためにここに来てるんですか」 ここにいるのは選ばれた優秀な者たちばかりのはずだが。こうなったら、自分で話題を変えるしかない。 「そ、そうだ。ロゼミューン城をどう思いますか? 明日一番に捜索しますけど」 「いわくつきだな。持ち主は亡くなってるし、幽霊の噂はあるし。近づいた人がめまいを起こしたという報告もあった」 「呪われた城、というわけか……。しかしそんなものを怖がっていては何もできないし、僕たちは任務を果たすだけだ」 皆頷く。トーマはまともな話題になってほっとした。 「持ち主ってどう考えても貴族ですよね? 跡継ぎはいなかったんでしょうか?」 「いたにはいたが、幼くして亡くなったらしい。持ち主の男爵も七年前獄中死したと聞いている」 「そんな話、グレイヴィル伯爵はしておられなかったぞ。どうして知っているんだ?」 「この近くに親戚がいるからな。詳しいことまでは知らないが、かなり評判が悪い男爵だったらしいぞ。本邸からは何人もの遺体が出てきたとか」 「ますます不気味に感じますね。幽霊の噂もあながち嘘ではないかもしれません」 「幽霊より生きたご令嬢をみつけないと」 「その通りだ」 決意を新たに、皆明日に備えて床に就いた。
翌朝、一行は目的地に向かった。ロゼミューン城を見た時、セイラは伯爵が見せたスケッチの城であることに気付いた。父は何を気にしていたのだろうか。不思議に思いつつも、今は任務に集中しようと歩みを進めた。一行は城門を開け、中に入っていく。玄関前に着き、伯爵が指示を出した。 「これより捜索を始める。城内と庭、それぞれ分かれて隈なく探してくれ。何か気付いたらすぐに連絡するように。一時間後にここに集まろう」 銘々が思い思いの場所に散る。セイラは玄関の扉をみつめ、同行していた警官に尋ねた。 「入口はここだけですか?」 「裏にも扉はあるのですが、どうやっても開かないんです。頑丈過ぎて壊せないし、内側からしか開けられないのか、と試してみましたが駄目でした」 「そうですか」 セイラは裏に回ってみることにした。バラがところどころ咲いている。持ち主がいた頃は立派なバラ園だったのだろう。 裏口の前に立った時、セイラは奇妙な既視感に襲われた。 (ここ……来たことがある……?) 何かがゆっくり記憶の扉を叩く。バラの香り、子どもの声。低い声が自分を呼んでいる。 (そうだ、ここは……) 嫌だ、思い出したくない。しかし忘れていた記憶が少しずつ形を成していく。薄暗い部屋、何かが風を切る音、泣き声や悲鳴、焦げ臭いにおい……。 (だからお父様はあんなに……) 立ち去ろうと思うが体が動かない。バラの香りがきつくなったような気がする。だんだん視界が歪み始める。そのままセイラは意識を失った。
一時間後、何も収穫がないまま皆玄関前に集まった。やはり城内は無人だったし、庭にも行方不明者につながるようなものはなかった。 「ん? グレイヴィル少尉はどうした?」 伯爵が娘の姿が見えないことに気付いた。 「裏のほうに行ったのではないでしょうか。先ほど、他に入口がないか聞かれましたので」 警官が答える。 「私も裏に向かっているところを見ました」 「時間に遅れるなんて珍しいな。何かみつけたのだろうか。誰か呼んできてやってくれ」 「かしこまりました」 一人の兵士が駆け出していく。トーマは自分が行きたいと思ったが、仕事だし、グレイヴィル伯爵の目もある。無鉄砲なことをしてなければいいが。やがて、兵士は一人で戻ってきて伯爵に報告した。 「どこにも見当たりません。ただ、これが裏口の近くに落ちていました」 緑のリボンだった。間違いなく、セイラが髪を束ねていたものだ。 「他に誰か、この一時間の間に彼女を見かけた者はいるか?」 「自分と入れ違いで裏口に来ました。しばらくそこに立っていましたが、私も移動したので後のことはわかりません」 嫌な予感がする。ほとんどの者がセイラより先に捜索を開始していたし、それから彼女を見た者はいない。伯爵はあることに思い当たり、警官に尋ねた。 「行方不明になった娘たちの年齢は?」 「バラバラですが……。十五歳から二十歳前後というところです」 「元大臣のご令嬢が十九歳、セイラは……。しまった、うかつだった」 やはり待機させるべきだったと後悔したが、もう遅い。トーマも伯爵の言葉の意味を理解し、青くなった。彼女が次の犠牲者に選ばれてしまったのだ。何者かが彼女を連れ去った。 「城の中でしょうか?」 「その可能性が高い。おそらく隠し部屋があるんだ」 「壁も調べましたが、仕掛けらしいものはありませんでした」 「一番あやしいのは裏口だな。もう一度城の周りと中を徹底的に調べよう」 ――どうか無事でいてくれ。伯爵もトーマも祈りながら裏口へ向かった。
目が覚めた時、セイラは知らない部屋にいた。頭が重い。ベッドに寝かされていたようだ。 「お目覚めですか」 年配の女性に話しかけられる。表情にも言葉にも、感情というものがほとんど感じられない。 「……あなたは? ここはどこですか?」 「ロゼミューン城です」 やはり無機質な答えが返ってくる。そうだ、令嬢の捜索に来ていたんだ。セイラは体を起こし、ドレスに着替えさせられていることに気付いた。 「坊ちゃんのご命令で、お召し物を替えさせていただきました」 ――坊ちゃん? まだ頭がぼんやりしている。女性が出ていき、しばらくして小太りの青年が部屋に入ってきた。 「久しぶりだね、セイラ」 「どうして私の名前を……?」 青年は目を見開いた。 「――本当にセイラ? 僕のセイラなの?」 「……え?」 「僕だよ。ヴィムだ」 「ヴィム……?」 聞いたことがある。ふとある光景が浮かんだ。泣いている子どもの自分を慰めている少年……。 「まさか……ヴィム坊ちゃん?」 「そう! やっぱりセイラだ。約束通り来てくれたんだね。どれだけ君を待ってたか……」 満面の笑みを青年――ヴィムは浮かべた。ヴィムは幼いセイラを虐待していた男爵の一人息子だった。父である男爵の非道を謝り、傷の手当てもしてくれた。 「お久しぶりです。あの……私を待ってたとは?」 「約束しただろう? 大人になったら結婚しようって」 「そういえば……」 思い出した。確かに約束した。だが十年も前の、子どもの頃の話だ。 「君はとってもかわいかったから、天国の母様みたいな美人になると思ってたけれど……。大人になった君の顔がわからなくて、ここに若い女性が来たら必ず君かどうか確認してたんだ。母様よりもずっときれいだよ」 「もしかして、数日前にも若い女性が来ませんでしたか?」 任務を思い出し、セイラはヴィムに尋ねた。 「ああ、来たよ」 「その女性はどうしました?」 「殺して埋めたよ。少しはバラの栄養になったかな」 「え……?」 ヴィムが無邪気に笑いながら答えたので、セイラはその言葉をすぐに理解することができなかった。 「殺した……?」 「うん。だってセイラ以外の花嫁は必要ないからね」 ヴィムは笑顔のままだ。 「人の命ですよ? どうして笑ってそんなことが言えるのですか?」 「セイラが僕の花嫁になるために来てくれたのがうれしいからさ」 会話にならない。 「そんな子どもの約束が何だっていうんですか。人の命のほうがはるかに大事です。……まさか、数年前から近くの娘さんたちが姿を消しているのは……」 「ああ、そういえば前にも何人か来たな。セイラじゃないとわかったらすぐ殺したから、忘れてた」 「忘れてた、って……」 とても正常とは思えない。 「それだけ僕が君を好きだってことさ。本当にうれしいよ。君を屋敷から逃がす時、僕は君に結婚を申し込んだ。僕も父様は嫌いだったから、屋敷から離れたこの城で君を待ってると約束した。君は結婚を承諾して、いつかこの城に来ると言った。僕は約束を守り、君も約束通り来てくれた。結婚式を挙げて、ここでずっと一緒に暮らそう」 「何を馬鹿なことを言ってるんですか。私はヴィム坊ちゃんとの約束を果たすために来たのではありません。あるご令嬢を探しに来たんです」 「僕に会いに来たんじゃないの?」 「違います。ついさっきまで忘れていたのに、そんなはずないじゃないですか。――だいたい、人の命を何だと思ってるんですか。それではだんな様と変わりません。ヴィム坊ちゃんはもっと優しい方のはずです」 「僕が父様と同じ……?」 ヴィムの表情が険しくなる。 「そうです。人の命を粗末に扱うところが同じです。……おつらいことがあったのかもしれません。でも、どんな人でも人の命を奪ってはいけません。ちょうどご令嬢を探すために警察も来ています。自首して、罪を償ってください」 「――自首? 罪を償う? 僕が何をしたっていうんだ。約束を守っただけだ!」 「ヴィム坊ちゃん!」 激昂するヴィムに、セイラもつい声を張り上げた。 「父様と一緒にするな! 僕は約束を守った。今度はセイラが約束を守る番だ」 「小さな子どもの約束なんて無意味です。何をこだわっているのですか」 「セイラは……約束を破る気なの?」 「子どもの頃の結婚の約束なんて、してないのと同じです」 「だめだよ、約束を破っちゃ。……セイラがそう言ったじゃないか」 ヴィムの目に背筋が凍るものを感じ、セイラは急いでベッドから降りた。 「約束は……ちゃんと守ろうよ」 ヴィムの手が伸びてくる。セイラは即座に足を振り上げた。ヴィムが腹部を押さえてうずくまる。その隙に部屋の出口に向かった。ここにいては危険だ。早くみんなに知らせなければ。 ところが、大柄な男が立ちふさがった。話が通じる相手ではないと直感し、セイラは急所を蹴り上げようとした。しかし逆にみぞおちに拳を受け、倒れたところをつかまってしまった。 「助かったよ、ボルド。でもあまり乱暴するな。僕の大切な人だ」 痛みが落ち着いたらしいヴィムが大男に言葉をかける。セイラはもがくが、腕を強くとらえられて逃げられない。 「セイラ、僕の花嫁になってくれる?」 「お断りします」 「約束したのに? 僕はずっと君だけを待ってた」 「あなたは私が知ってるヴィム坊ちゃんではありません」 「セイラも昔は素直だったのに……。まあ、かわいいから許すけど。ボルド、両手を縛ってベッドに戻せ」 ボルドはヴィムの命令に従った。ベッドに転がされたセイラをヴィムが押さえつける。 「約束は守ってもらう。僕の花嫁になって」
裏口の前で、トーマやグレイヴィル伯爵らは懸命に扉を開ける方法を探していた。確かに壊すには頑丈過ぎる。素手はおろか、大きな金槌を使っても少しへこむ程度だった。ナイフや剣も歯が立たない。銃弾も貫通しない。爆薬を使ってみたが表面が焦げただけだった。鍵穴があるが、以前警察がそれに合わせて作った鍵を差し込んでも開かない。内側からも同様に試みたが、扉はびくともしなかった。 (こうしている間にもセイラが……) 時間ばかりが過ぎ、焦りが増していく。 考えられる方法はすべて試したが、扉が開く気配はなかった。さすがのグレイヴィル伯爵も頭を抱えた。 「扉である以上、開け閉めができるはずなんだが……」 セイラがこの扉から隠し部屋へ連れて行かれたのはほぼ間違いないはずだ。トーマはじっと扉をみつめた。 「伯爵、ここの模様不自然じゃないですか?」 「どれだい?」 扉は彫り込みの幾何学模様で縁どられていた。その中に周りよりも少し大きな円が彫られている個所があった。よく見ると、円の真ん中には小さな穴があいている。 「確かに、ここだけバランスが悪いな」 「鍵穴はフェイクで、ここが本当の鍵だってことはないでしょうか?」 「他の可能性が消えた以上、試してみる価値はある」 試しに鍵を差し込んで回してみた。すると、カチリと音がした。 「まさか……」 扉が横に滑っていく。下には地下へ続く階段が右にのびていた。正面には階段を挟んでもう一つの扉がある。 「扉が二重になっていたとは。どおりで内側から何をしても動かないわけだ」 伯爵もトーマも銃を手に階段を下り始めた。その場にいた者も後に続いた。 地下は意外に広く、いくつも部屋があった。一つ一つ当たっていくしかなさそうだ。伯爵が指示を出そうとした時、奥から悲鳴が聞こえた。 「トーマ、トーマ!」 自分を呼ぶ声に、トーマは駆け出した。だが、行き止まりだった。 「この壁の向こうにいる」 もうセイラの声が聞こえない。早く助け出さないと危ない。壁に拳を叩きつける。すると壁が回転して通路が開け、少し先に扉が見えた。 「あそこだ!」 無我夢中で走り、扉を蹴り破った。――ベッドの上で、男がセイラに覆いかぶさっていた。もう一人、ベッドの傍らでセイラの口を手でふさいでいる男もいる。 「貴様……!」 ヴィムをセイラから引き離し、殴りつける。セイラは両手を背中に回されていた。ドレスの胸元が大きく破れ、目に涙を浮かべている。 「一体何をした!」 トーマは銃を向けた。 「殺してはダメだ!」 グレイヴィル伯爵が止める。ヴィムは不敵に笑った。 「セイラは僕の花嫁だ。昔から決まってた」 「ふざけるな!」 「落ち着け。――この男たちの身柄を拘束しろ。他にも人がいないか、探せ」 伯爵の命令に他の者たちも動き始めた。ヴィムたちは抵抗しない。トーマはセイラの戒めを解いてやった。 「大丈夫か?」 セイラは、トーマの首に縋り付いて泣き始めた。トーマも彼女をしっかり抱きしめてやる。 「怖い思いをさせてすまない」 だんだんセイラの体から力が抜け、トーマの腕の中に倒れ込んだ。 「おい、しっかりしろ」 「気を失ったか……」 グレイヴィル伯爵が上着を脱いで、トーマに渡す。トーマは上着をセイラに掛けてやった。 「レッドフォード大尉、その子を近くの民家に連れて行って、そばについていてくれるかい? 私はここの後始末をするから」 「わかりました」 トーマはセイラを抱きかかえて城を出た。
近くの民家の一室を借り、トーマはセイラを横たえた。手首の縄の跡が痛々しい。 (どれほど怖かっただろう) 仕事とはいえ、そばについていなかったことを悔やんだ。 「……ん……」 セイラが目を覚ました。 「気が付いたか。ここは安全だから安心しろ。あの男たちは逮捕された。今、伯爵たちが後始末をしている」 「……そうですか……」 セイラは弱々しく返事をした。民家の夫人が温かいスープを持ってきた。 「気持ちが落ち着きますし、少し召し上がってください」 「……ありがとうございます」 「起き上がれるか?」 トーマはセイラの体を支えてやった。 「……おいしいです」 「よかった。ゆっくり休んでくださいね」 夫人は部屋を出て行った。 しばらくして、グレイヴィル伯爵が部屋に入ってきた。 「大丈夫かい? あの男は狂っているとしかいいようがないね。警察に引き渡してきたが……。セイラ、少し話せるかな?」 「……はい」 「無理しなくてもいい。落ち着いてからでもかまわないよ」 「いいえ、早くお伝えすべきことがあります」 セイラは首を横に振った。 「一連の失踪事件は彼の仕業でした。元大臣のご令嬢も……彼が殺して埋めたそうです。おそらく、城の裏手のバラの花の下に……」 伯爵は頷いた。 「少し待ってもらえるかな。遺体の場所を伝えてくるから」 伯爵は外に待機していた副官に伝令を頼んだ。 「ショックだったろうね。セイラが無事でよかったよ」 「よくありません。私のせいなんです。私が、あんな約束をしたから……」 セイラは顔を覆った。 「私のせいです。私が……殺したようなものです」 「落ち着いて。セイラのせいじゃないよ」 「いいえ、私のせいです。ヴィム坊ちゃんがおかしくなったのは私のせいです」 「ヴィム坊ちゃん?」 伯爵が尋ねる。 「あの青年の名前です。ヴィム・ドーシェ。……ドーシェ男爵の一人息子です」 「そうか。あの城の持ち主がドーシェ男爵だったから、もしかしたら嫌な思い出があるのではと危惧していたのだが……。しかし、ドーシェ男爵の息子はすでに亡くなっていたはずだ。男爵が逮捕された後、屋敷から遺体が出てきた」 「確かにヴィム坊ちゃんでした。私のことも知っていましたし……」 「ということは……。遺体は身代わりだったのか……」 トーマは一人話が見えない。 「あの、ドーシェ男爵とは?」 「……昔セイラを虐待していた男だよ。セイラから事情を聴いて、私が警察に引き渡した」 「その男の息子ですか。どおりで、狂ってるはずだ」 「違います。ヴィム坊ちゃんはだんな様と違ってお優しい方でした。怪我の手当てをしてくださったり、いつも慰めてくださって……。私が男爵の元から逃げるのを助けてくれたのもヴィム坊ちゃんです」 セイラが必死に反論する。 「だが、彼はセイラに乱暴しようとした。花嫁だなんて言って……」 「坊ちゃんは約束を果たそうとしたんです。私は……逃げる時に坊ちゃんと結婚の約束をしたんです。ずっと忘れてましたけれど……。あの城でヴィム坊ちゃんに会って、全て思い出しました」 「やはり、昔来たことがあったんだね」 「はい。一度だけでしたが……。裏から見たら思い出しました」 「思い出したくなかったのだろうね。連れて来てすまなかった」 伯爵は謝った。 「お父様は悪くありません」 「どうやって彼はセイラを城に引き入れたんだい?」 「わかりません。ただ、昔の記憶が入り乱れてて……。バラの香りがきつくなった気がして、意識を失いました。気付いたらあの部屋だったんです」 気丈にセイラは答えた。 「バラの香りがする液体が大量にみつかったが……。薬か何かだろうか? 我々は何ともなかったけれど」 「もしかしたら、女性だけに作用する薬とか?」 トーマが意見した。 「そうかもしれない。それで、あの部屋で彼に会っていろいろ話したんだね」 「はい。結婚の約束のことを言われて、全部思い出しました」 「そんな子どもの約束なんて……」 トーマは気色ばんだ。 「私もそう思いました。けれども、ヴィム坊ちゃんはずっと覚えていたんです。約束通り、あの城でずっと私を待っていて……。ご令嬢たちを殺したのも、私かどうか確認して違うとわかったからなんです」 セイラの目から涙がこぼれた。 「私があんな約束をしなければ……。せめてもっと早く思い出していたら……。人の命が失われることはなかったのに……」 「セイラは悪くない。たとえ約束を守ることが正しかったとしても、人を殺していい理由なんかないよ」 「そうだ、お前は悪くない」 伯爵とトーマはセイラを慰める。 「でも……」 「いいから、もう考えるな」 トーマはセイラを抱きしめて頭を撫でた。
セイラはトーマに付き添われて先に宿に戻った。伯爵に頼まれ、トーマはずっとセイラのそばにいた。 「指揮官としてまだ残らなくてはいけないし、今セイラを一人にできないからね」 そう伯爵は言っていたが、自分を信用してくれているのだろうか? いや、今はとにかくセイラについていてやらなければ。 「あの、トーマ……」 セイラがベッドから話しかける。 「何?」 「……手を……握ってもらってもいいですか?」 「ああ」 トーマはベッドの傍らに腰掛け、手を握ってやった。 「……昔、よく母にこうしてもらったんです。雷が怖くて眠れない時とか、男爵に追いかけられる夢を見た後とか……。両親のベッドにもぐりこんで、母に手を握ってもらって安心したんです」 「そうか……」 「……助けにきてくれて、うれしかったです。絵本の王子様みたいでした」 セイラがかすかに笑みを浮かべた。 「俺は王子って柄じゃないよ。俺の中ではやっぱり王子はルーファス様だな。ルチア様は……お姫様にしてはお転婆すぎるか」 「本人が聞いたら怒りますよ」 二人で声を上げて笑った。 「やっと笑ったな」 「トーマがいてくれるからです。なんだか落ち着きます」 「安心して眠ったらいい。ここにいるから」 セイラはにっこり笑って目を閉じた。
日が落ちた頃、グレイヴィル伯爵や他のメンバーが宿に戻ってきた。 「セイラは?」 「まだ眠っています」 トーマはセイラの手を握ったままだった。グレイヴィル伯爵がそれをみつめる。 「ずっとその姿勢だったのかい?」 「すみません、放してくれなかったので……」 「子どもの頃と同じだな。心細い時はいつも妻の手をぎゅっと握っていた」 セイラの寝顔は穏やかだ。 「安心しきっているのだろうね。君がいてくれて助かった」 伯爵は微笑んだ。 「起きたら、一緒にこの部屋で夕食をとってくれるかい? 私と部屋を代ろう。今夜はずっとそばにいてあげてほしい」 「そんな……」 伯爵の提案にトーマは驚いた。 「君といるほうが安心するようだから」 伯爵はそう答えた。
皆が夕食をとり始めてしばらくすると、トーマが部屋から出てきた。 「セイラが起きたのかい?」 伯爵が声をかける。 「はい。これから食事をさせます」 トーマは宿の主人に食事の用意を頼み、再び部屋に戻った。 「グレイヴィル伯爵、お嬢さんは大丈夫ですか?」 兵士の一人が尋ねる。 「だいぶ落ち着いたようだ。レッドフォード大尉がついていてくれるし。今夜も彼に付き添いを頼んだ」 「いいんですか?」 「何が?」 「だって、二人は……」 兵士が何を言いたいのか察し、伯爵は笑った。 「まだセイラはショックを引きずっているし、私がいるのに妙な真似はしないだろう。この状況で手を出すなら、私は彼を抹殺するね」 「はあ……」 誰もそれ以上は聞けなかった。 夜、伯爵はこっそり隣の部屋をのぞいてみた。ベッドに横たわるセイラの手をとったまま、トーマが椅子に座って目を閉じている。 (ちょっと気の毒かな) 音を立てないよう気を付けながら、伯爵は扉を閉めた。
翌朝、セイラはすっかり回復していた。しかし、伯爵は娘を一足先に屋敷へ帰した。残ったメンバーで事件の後処理をし、報告をまとめて宮廷に戻った。 隣国の元大臣夫妻は令嬢の遺体を前に嘆き悲しんだ。しかし、とりたてて国や警察を非難することもなく、葬儀のために自国へ帰って行った。 事件が一段落し、グレイヴィル伯爵はトーマと二人きりで話す機会を持った。 「君には本当に感謝している。君がいなければ、セイラはどうなっていたかわからない」 「俺は当然のことをしたまでです」 「あの子を危険にさらしたのは私の責任だ。ドーシェ男爵のゆかりの地に連れて行くなんて、どうかしていた。最悪の事態も想定できたはずなのに……」 「伯爵のせいではありません」 トーマははっきり言った。 「そうだろうか。私は父親失格だ」 「そんなことはありません。伯爵は素晴らしい父親です。そうでなければ、セイラが慕うはずがありません」 「……私は、あの子を本当の娘だと思っている。娘を守ることが親としての私の役目だ。そう今まで思ってきた」 「その通りだと思います」 「私はね、亡くなった妻とも約束したんだよ。必ずセイラを守って幸せにすると。君の分までセイラを愛すると。……だが、私は勘違いをしていたようだ」 伯爵が苦しげな表情をした。 「……私たちには本当は子どもがいたはずなんだ。男か女かはわからない。早くに流産で失ってしまったから。妻は非常に弱っていた。体だけでなく、心も……。もう妊娠は望めないと医者から言われたことが、さらに追い打ちをかけた」 伯爵は静かに語る。 「心身ともに衰弱した妻を少しでも元気にしたくて、田舎に移ることを決めた。しかし、体はよくなっても妻が笑うことはなかった。そんな時に、森でセイラをみつけたんだ。傷だらけで倒れているセイラが、生まれてくるはずだったわが子のように思えた。だから連れ帰ったんだ。セイラの世話をする妻は久しぶりに生き生きしていた。身寄りがないことを知って、迷うことなく養女にした」 伯爵は一瞬遠くを見るような目をした。 「セイラが妻を癒してくれたんだ。私たちはあの子に救われた。あの子を娘として育てることが、どれほど喜びだったか……。手放したくなかった。ずっと私たちのそばにいてほしい、そう思った」 トーマは口を挟めずにいた。 「だが、あの子は君に恋をした。自分の身に危険が迫った時、あの子は私ではなく君を呼んだ。君に縋り付いて泣いたんだ。……複雑だったよ。今まであの子を守るのは私の役目だったのに。いつのまにか、私の手を離れていたんだ」 「セイラは今も伯爵を頼りにしています。尊敬していますよ」 「ありがとう。でも、君の手を握って安心した顔で眠っているあの子を見て……。私は自分の間違いに気付いた。守ると言いながら、あの子を自分の檻に縛り付けようとしていたんだ。いくらかわいい娘でも、いつかは親の元を巣立っていく。そんな当たり前のことを認めたくなかったんだ」 伯爵はトーマをまっすぐにみつめた。 「君にならセイラを任せられる。あの子のそばにいて、ずっとあの子を守ってくれるかい?」 トーマは伯爵の言葉に驚いた。 「……俺を認めてくれるんですか?」 「ああ、もう監視したりしない。君の愛であの子を包んで幸せにしてやってほしい。……ただし、いきなり孫の顔を見せるような真似はしないでくれよ」 伯爵はトーマの肩を叩いた。
「だんな様もようやく子離れされましたね」 執事のクロードが伯爵に語りかける。今日はセイラが初めてトーマと二人きりのデートに出かけたのだ。 「悔しいが、仕方ないだろう。あの子のためだ」 「今日は特別に腕によりをかけてお支度させていただきました。トーマ様も鼻の下を伸ばしておられるのではないでしょうか」 メイドのハンナも笑顔だ。 「楽しんで来られるといいですね」 「ああ」 セイラの幸せそうな笑顔が心に浮かぶ。この笑顔のためなら……。 「さて、二人をどうやって迎えようか?」 伯爵は使用人たちを集め、楽しい企みを相談し始めた。
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