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作品名:THE PLACE 作者:光石七

第4回   第4章 特別な場所
 トーマとの一件があってから、ルーファスはセイラの態度が固くなったのを感じていた。
「どうした? 前から見てみたいと言っていたのに、楽しくないのか?」
「あ、すみません。考え事をしていて……」
 夕日が美しいことで有名な名勝だった。少し遠いが、なんとか時間をやりくりして連れてきたのだ。それなのに、セイラは浮かない顔をしている。触れようとすると体をこわばらせる。せっかく心がほぐれてきていたのに、とルーファスはトーマを恨めしく思った。
 トーマもセイラも仕事上のことでしか会話をしない。一度だけ、トーマが本をセイラに渡したことがあった。
「前、読みたいって言ってたから。久しぶりに書斎を漁ったら出てきた」
「ありがとうございます。すぐに返しますね」
「別に返さなくてもいい。やる」
 これだけの会話だった。
 なかなか次のデートを切り出せずにいたルーファスだったが、ある日思い切ってセイラを誘った。
「来週、元大使主催の昼食会がある。私のパートナーとして、一緒に出てくれないか? 彼にお前を紹介したい」
「いいのですか? そんな公の場で……」
「昼食会といっても格式ばった正式なものではないし、気楽に参加してほしい」
 正式なものではないが、国の主要な面々が参席する。もう一度、セイラに自分の思いと覚悟を伝えようと思ったのだ。セイラは承諾した。


 数日後、セイラはルーファスの護衛の一人であるクレール少佐をみかけた。
「クレール少佐、今日はお休みではなかったのですか?」
 昨日も彼は遅くまで仕事だった。確か今日は非番だったはずだ。
「それが、ジャンの奴が怪我をして急遽私が出ることになったんだ。トーマに頼みたかったんだが、侯爵の代理で今日から領地のほうに行っている。侯爵も兄上も例の風邪にかかっているそうだ」
 最近たちの悪い風邪が流行っている。高い熱が数日続くのが特徴だった。
「一週間は寝込むらしいですからね。レッドフォード侯爵領に行ったのなら、戻ってくるのは早くて明日の午後でしょうか?」
「ノームエとパンタスに寄って帰るということだったから、三日後だな。それまで残っているメンバーで回さないと」
「大変ですね。少佐まで体を壊さないでください」
「ありがとう。我らの女神にそう言われると、元気が出る」
「シルヴィー嬢に叱られますよ」
 シルヴィー嬢とは少佐の婚約者だ。
「そうなんだよ。せっかく久しぶりのデートだったのに……。どこかで埋め合わせしないと婚約破棄される」
「仕事ですから、わかってくれますよ。私のほうからも彼女にお話ししましょうか?」
「そうしてくれると助かる。結構おっかないんだよ、彼女」
 くすくす笑いながら、セイラは少佐を見送った。三日後といえば、ルーファスと約束した昼食会の日だ。気楽に、とルーファスは言うが、やはりそれなりに気を遣う。
(ハンナさんにドレスを見立ててもらわないと)
 ルーファスと交際するようになってから、セイラはどこか気疲れを感じていた。


 三日後、セイラはルーファスに寄り添って昼食会に赴いた。ルーファスからセイラを紹介された元大使はその美しさを褒め、お似合いですと言った。参席者がテーブルに着いた時、遅れて到着した者があった。
「ベネット伯爵、どうされたのですか?」
 元大使が尋ねた。
「遅れて申し訳ない。十分間に合うはずだったのだが、パンタスで銃撃事件があったとかで道が封鎖されていて。遠回りして来た」
「それは物騒な。犯人はつかまったのでしょうか?」
「私が通ろうとした時はまだのようだったが……」
 客たちがざわめく。
「死傷者がいなければいいが」
 ルーファスも心配している。
「大尉……」
「セイラ?」
「すみません、失礼いたします」
 セイラは慌ただしく飛び出していった。


 馬に飛び乗り、セイラはパンタスに向かった。ドレスを着替える余裕はない。パンタスに入ると、警官に止められた。
「ここから先は通行禁止です。迂回してください」
「犯人は? 死傷者はいるのでしょうか?」
「詳しいことはまだわかりません。とにかく危険なので、ここから離れてください」
「私は軍人です。中に入れてください」
「そんな嘘を……。お嬢さんはお帰りください」
 警官はセイラを信用しない。セイラは馬から降りた。
「本当に軍人なんです。自分のことには責任を持ちますから」
「そう言われても困ります」
「迷惑はかけませんから」
「女性は危険です」
 押し問答を繰り返していると、町のほうからトーマが馬に乗ってきた。
「お前……何してるんだ?」
「大尉! ご無事だったんですね」
「……ああ、事件を聞いたのか。さっき犯人が逮捕されたそうだ。一人怪我人がいるが、軽症で命に別状はない。封鎖もじき解かれる……おい?」
 セイラは涙を流していた。どうしてなのか、彼女自身もよくわからない。
「心配してくれたのか……」
 トーマは馬を降り、セイラの頭に手を置いた。
「俺は大丈夫だから、もう泣くなよ」
「……すみません。……涙が……勝手に……」
 しゃくりあげるセイラの頭をトーマは撫で続けた。


 昼食会の会場に残っていたのはルーファスだけだった。
「……終わってしまったんですね。申し訳ありませんでした」
 セイラは頭を下げた。
「……トーマは無事だったか?」
「はい」
 しばらく無言が続く。
「私がどんな思いでお前を誘ったか……。お前にはわからないだろう」
「申し訳ないことをしました。どんなお叱りも受けます」
「では、私の部屋に来い」
 無言のまま、ルーファスはセイラを自室に連れて行った。いつもの居間ではなく、奥の寝室に行くよう促される。そこでいきなり抱きしめられ、口づけを受けた。
「ルーファス様……」
 ルーファスの目は嫉妬に燃えていた。
「これから私が何をしようと一切抵抗するな。これは命令だ」
「それは……」
「どうした、命令には従うのだろう?」
「……はい」
「服を脱いでベッドに横になれ」
 唇をかみしめながら、セイラはベッドに向かった。


 屋敷に戻ったトーマは、ルーファスからの呼び出しを受けた。あの後セイラはルーファスとの約束があると言って帰ったが、どうなったのだろうか。ルーファスの自室に行くと、珍しくルーファスが酒に酔っていた。
「戻ったか。パンタスで銃撃があったと聞いて心配したぞ」
「恐れ入ります」
「お前の無事を祝って乾杯だ」
「はあ……」
「まあ、飲め」
 グラスを注がれる。
「もう一つ、私のためにも乾杯してくれるか?」
「何でしょうか?」
「とうとうセイラが私にすべてを差し出した。おかげで満腹だ」
「……おめでとうございます」
 ――セイラが望んだのか。胸の痛みを感じつつも、これで彼女も幸せになるのだとトーマは自分に言い聞かせた。
「これで私も晴れて最低男の仲間入りというわけだ」
「最低、とは?」
 トーマの問いに答えず、ルーファスはグラスをあおった。
「かわいかったぞ。意外に胸もあったしな。きれいで滑らかな肌だった。目を閉じてガタガタ震えているのに、命令だというだけで何も抵抗しなかった」
「――ルーファス様!」
「だから最低だと言っただろう?」
 ルーファスは笑っている。
「ついさっきまで、あのベッドにいたんだ」
 トーマはルーファスにつかみかかった。
「お前に怒る資格があるのか? お前も同類だろうに」
 何も言い返せない。
「まあ、そういうわけだ。お前と祝杯をあげたくてここに呼んだ。もっと詳しく話して聞かせようか?」
「――失礼します」
 トーマはルーファスの部屋を出て行った。ルーファスは一人、グラスに酒を注いだ。


 翌日、セイラを見かけてもトーマは話しかけられなかった。あまりいつもと変わらないように見える。ルーファスも普段通りだ。連絡係が一通の手紙をルーファスに渡した。ルーファスは一読し、すぐに返事を書いて連絡係に託した。
「何の手紙ですか?」
「セイラからだ。今日都合のいい時間に会いたいというので、二時に会う約束をした」
「……」
「心配するな。お前にはその時間、外に出てもらうから」
「何を心配するのですか?」
「私に言わせたいか?」
「……いえ、結構です」
 昨日のことを彼女はどう思っているのだろう。自分を心配して駆けつけてくれたことはうれしかった。だが、その後ルーファスに……。傷ついていないだろうか。そのことが心配だった。
 外出から戻ったトーマはセイラに話しかけられた。
「仕事の後、少しお時間いいですか? お話があります」
 セイラの顔が赤い。あまり聞きたくない。しかし、彼女が心の傷を打ち明けられるのが自分だけだとしたら、引き受けるしかない。
「少しだけなら。用事がある」
 ぶっきらぼうにそう答えた。
「わかりました。では、控えの間で」
 彼女は仕事に戻った。


 トーマが控えの間に行ったのは、日が暮れてからだった。セイラは先に来て待っていた。
「ここでは話しづらいので、外に出ませんか?」
 人が少ない庭に出る。
「こんなところで何の話だ? 仕事のことか?」
「お急ぎのところすみません。でも、どうしても大尉にお話ししなくてはと思ったので」
 セイラはどう切り出すか迷っているようだった。
「……わからないんです、どうしてあんなことをしたのか」
「……は?」
「ルーファス様と昼食会に出ていたのに……。パンタスで事件があったと聞いて、大尉の顔が浮かんで、居ても立ってもいられなくなって……。気が付いたら馬に乗ってたんです。大尉の元気なお顔を見て、なぜか涙が止まらなくなって……。あんなこと初めてです」
 ルーファスとのことだとばかり思っていたトーマは、あっけにとられた。
「屋敷に戻って考えましたけれど、どうしてもわからないんです。他にもいろんなことがあったはずなのに、大尉のことばかり思い出すんです。思い切ってハンナさんに相談しました。そしたら、『その方のことばかり思うのは、その方が特別な方だからですよ』って言われて……。もう一度考えました。そして、気付いたんです。大尉が私にとって大きな存在だということに」
 ――どういうことだ? トーマは混乱した。
「自分から距離を置くようお願いしたのに、前みたいに話せないのが辛くて。今までどれだけ大尉に助けられてきたか、しみじみ感じたんです。……今更、図々しいかもしれませんが、これからも私のそばにいてくださいますか?」
「……えーっと……どういうこと?」
「……だから、私は大尉を……」
 セイラは真っ赤になっている。それでもトーマは信じられない。
「……そうですよね。今更、ですよね……。私の言うことなんか、信じてもらえないですよね……」
 セイラはうつむいてしまった。
「もう私のことなんか、お嫌いですよね……」
「いや、嫌いじゃないし、むしろ好きだけど。……でも、お前はもう……ルーファス様と……」
「ルーファス様にはちゃんとお話しして、わかっていただきました。大尉と話すよう勧めてくださったのもルーファス様です」
「……だって、昨日パンタスから戻った後、ルーファス様の部屋に行ったんだろ? 今日だって……」
「はい、行きました。行ってきちんとお話ししました」
「ルーファス様はお前を自分のものにした、って……」
「誰が言ったんですか、そんなこと?」
 セイラはきょとんとした。
「何もなかったですよ。確かに昨日はルーファス様もお怒りで我を忘れていらっしゃいましたけれど……。途中で正気に戻られましたし、今日きちんと会ってお話しさせていただいたんです」
「でも、ルーファス様はかなり具体的におっしゃてたぞ? 胸があったとか、震えてたとか……」
「……確かに服を脱がされかけましたけれど……」
 セイラが再び顔を赤らめる。
「本当に何もなかったんです。ルーファス様は私の気持ちを尊重してくださいました。自分の気持ちを大尉に正直にぶつけてみろ、とおっしゃってくださったんです」
 ――騙されたのか。あれはルーファスの腹いせだったのだ。
「あれだけよくしていただいたのに、ルーファス様には本当に申し訳ないんですけれど……。逆に励ましていただいて、感謝しています」
「待て。……話を元に戻そう。つまり、お前が言いたいのは……」
 まだ混乱している頭をトーマは必死に整理する。
「俺……今ものすごく自分の都合のいいように解釈してるんだけど……。お前が俺を好きだっていうことか?」
「……はい。そう言っているじゃないですか」
「友人じゃなく? 兄でもなく?」
「はい」
 なんだか信じられない。
「俺は聖人君子じゃないから……。抱きしめたいし、口づけもしたい。お前がトラウマに思っているようなこともいずれは……な。その覚悟はあるのか?」
「……大尉が相手なら。ゆっくり……少しずつ進んでくださるなら……大丈夫だと思います」
 セイラが小声で答えた。恥ずかしそうにうつむいている。その姿をかわいいと思いながらトーマは言った。
「本当に覚悟があるなら……俺が好きだというなら……。『大尉』じゃなくて名前で呼んでほしい」
 セイラは顔を上げた。しばらくトーマをみつめてようやく口を開く。
「……トーマ……」
「もっと大きい声で」
「……トーマ!」
 次の瞬間、トーマは力いっぱいセイラを抱きしめた。
「約束する。ずっとそばにいる」
 額に唇を当てた。
「愛してる……」
 あまりに長く抱きしめられ、セイラはトーマに言った。
「……あの、早く帰らなくてもいいのですか?」
「用事なんかない」
「大尉、嘘をついたんですか?」
「違うだろ、『大尉』じゃなくて」
「……トーマ、嘘はよくないです」
 まだ呼び方に慣れずに戸惑うセイラが愛おしくて、ますますトーマは抱きしめる腕に力を込めた。
「苦しいです、トーマ」
 そう言われても、なかなか解放する気にはなれなかった。トーマは久しぶりにグレイヴィル家の前まで彼女を送った。


 次の日の朝、トーマは早々にルーファスにつかまった。
「昨日はどうだった? 意中の女性を射止めた気分はどうだ?」
「……ルーファス様も人が悪いですよ。あんな嘘をつくなんて」
 トーマはルーファスに抗議した。
「嘘はついてないぞ。事実を言っただけだ」
「それにしたって……」
「惚れた女を譲ってやったんだ。あれくらい大目に見ろ」
 そう言われると何も言えない。
 確かにルーファスは事実を言っていた。パンタスから戻ったセイラに服を脱ぐよう命じたが、彼女は手が震えてなかなかできなかった。業を煮やしてルーファスがベッドに押し倒し、ドレスを脱がし始めた。彼女になぜ抵抗しないのか尋ねると、「ご命令ですから」と答えた。彼は虚しさのあまり「出ていけ」と叫んだのだ。その後酒を飲み、トーマを呼びつけた。翌日、セイラから至急話がしたいとの手紙を受け取った。もう何の話かわかっていたが、会う約束をした。やはり彼女は自分の気持ちに気付き、今までのような付き合いはできないと言った。解放してほしいなら昨日の続きをしろ、と脅したが、彼女は拒んだ。トーマに対して恥ずかしいことはできない、と。それなら昨日のことを既成事実としてトーマに話す、とさらに脅かしたら彼女は困ってしまった。その様子がおかしくて吹き出してしまい、脅したことを詫び、トーマに気持ちを伝えるよう諭したのだった。
(私がどれだけ引き裂かれるような思いをしているか、セイラはわからないだろうな)
 気付いてはいた。自分の前よりもトーマと話している時のほうが彼女は生き生きしていることを。それでも認めたくなかった。時間をかければ同じように、いやそれ以上に自分を見てくれると信じた。しかし、無駄だった。彼女はトーマを選んだ。だが、それでいい。異性を意識することさえ避けていた彼女が、自分の意志で選んだのだ。トーマなら信頼できる。彼女が幸せなら相手が自分でなくてもかまわない。ルーファスはそう思っていた。
「しかし、これからが大変だぞ」
 ルーファスはトーマを思いやった。
「そうですね。ルーファス様の思い人だったのに、セイラがどう見られるか……」
「それは私が何とかしてやる。私が言いたいのはグレイヴィル伯爵だ」
「叱責は覚悟してます。何せ俺は……強姦未遂犯ですから」
「それがなくても、嫌がらせを受けるぞ」
「は?」
 伯爵は人格者だ。確かにトーマにセイラとの付き合いを禁じたが、それは明らかにトーマに落ち度があったからだ。セイラの成長と幸せを願っているし、そんな大人げないことをするとは思えない。
「私は王子だからあからさまには何もされなかったが……。デートの迎えに行った時も快く思っていなかった。いつもの表情と口調だが、殺気を感じるんだ。おそらく彼は娘の恋人を敵視する。それなりの覚悟はしておいたほうがいい」
 そう聞いても、トーマは半信半疑だった。


 廊下でセイラを見かけ、話しかけたら
「大尉、すみません。急ぎますので」
と冷たくかわされた。その後二度会った時も同様だった。昨日の告白は夢だったのか、と思うほど事務的だった。仕事が終わり、待ち合わせた控えの間から出て、ようやくセイラの表情が緩んだ。
「トーマのことは父に話しましたから。久しぶりに夕食を一緒にしたいとのことでした」
「ああ、そうだな……」
「どうしました?」
「いや、昼間会った時冷たかったから……」
「それは仕事中だったからです」
「そうだけど、前は仕事中でも笑顔だったじゃないか」
「そうですか? 気のせいですよ」
 すましているが、微妙に顔が赤い。
「……もしかして、俺と顔を合わせるのが照れ臭かったとか?」
 セイラは答えない。
「そうなんだろ? 正直に答えろよ」
「嫌です」
「顔が赤いぞ」
 やはりセイラは答えない。
「そうか。じゃあ、今日はもう帰ろうかな」
「え、そんな……」
「なら正直に話せ」
 追い詰められて、セイラが渋々白状した。
「……そうですよ。トーマの顔を見たら仕事に集中できなくなりそうで……。わざと『大尉』と呼んで線を引いたんです」
 ――かわいい。トーマはセイラの頭をポンポンと叩いた。
「人間素直が一番だよな。そんなに俺のこと思ってくれてるんだ」
「……からかわないでください。恥ずかしい……」
 ますます赤くなるセイラが初々しくて、トーマは彼女を抱きしめた。


「いらっしゃい、久しぶりだね。これから家族ぐるみの付き合いも再開しようか」
 グレイヴィル伯爵は笑顔でトーマを迎えた。
(水に流してくださったのか?)
 そう思ったが、セイラが着替えのため自室に消えた後、伯爵はトーマにこう言った。
「セイラに好きな人ができたらしい、とハンナから聞いた時からどきどきしていたけれど、まさか君を連れてくるとはね……」
「すみません。でもセイラのほうから言われたので……」
「言っておくけれど、私はまだ君を許しても認めてもいないからね」
 ――やはり。しかし、それは仕方ない。
「はい。これからの俺を見て判断していただければ、と思っています」
 正直なトーマの気持ちだった。
「さすがにルーファス様をいびることはできないけれど、君なら大丈夫だからね」
「……は?」
「セイラに手出ししようなんて十年早い。私が認めた男でなければ、あの子を任せることはできない」
「……認めてもらえるよう、頑張ります」
「公私の別はきちんとつけてほしいな。それに、そう簡単に二人きりでいちゃつかせたりしない。あの子の前でおおっぴらにいじめることはしないが、私に断りなく気安く触れないように」
 優しい口調と表情が逆に怖い。ルーファスの忠告がだんだんわかってきた。
「もし傷つけたり、泣かせたりしたらどうなるか……。肝に銘じておいてほしい」
「……わかりました」
 人格者の伯爵は、娘を溺愛する父親でもあったのだ。
「セイラは遅いな」
「そうですね。いつもはすぐ降りてくるのに」
「ハンナが新しい服を用意したと言っていたが……」
 そんなことを話していると、セイラがハンナに連れられて現れた。ワンピースを着ている。化粧もしていないし、髪も下しただけだが、彼女らしい爽やかさを感じさせる。
「ハンナさんが、せっかくトーマと食事をするからって無理やり……」
 セイラは恥ずかしそうだったが、ハンナは自信たっぷりに言う。
「セイラ様はおきれいなんですから、もっとおしゃれをするべきです。トーマ様、いかがですか?」
「きれいだ……。よく似合ってる」
「変じゃないですか?」
「とんでもない」
 夕食が始まっても、トーマはセイラをみつめていた。伯爵が咳払いする。
「トーマ君? 見惚れるのはわかるけれど、手が動いてないよ」
「すみません。あんまりかわいいので……」
「……そんなこと言わないでください。私まで食べづらくなります」
 使用人たちは微笑ましく見守っている。
 これがグレイヴィル家の新しい日常の光景になるまで、そう時間はかからなかった。


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