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作品名:THE PLACE 作者:光石七

第1回   第1章 出会いの場所
 草原を馬で駆けながら、ルチアは解放感を味わっていた。
(王女は宮殿で大人しくしてなきゃいけないなんて、誰が決めたのかしら)
 ルチアはこの王国の王女である。好奇心旺盛でじっとしていることが苦手な十四歳には、勉強やしきたりが窮屈で煩わしかった。父である国王は「やるべきことをこなして許可を得たら」という条件付きでルチアに自由を与えているが、それでも窒息して死にそうだと思うことがある。そういう時はこっそり一人で抜け出して街に出掛けてみたりする。しかし、今日のように馬で遠出をしたのは初めてだった。さすがに帰れなくなると困るので、馬車で通ったことのある見覚えのある場所を選んでいる。
 しばらく馬を走らせていると、森に入った。馬の速度を落とし、ゆっくりと進む。幼い頃から六歳上の兄に手ほどきを受けていたため、馬の扱いは慣れている。はしたない、と教育係は眉をひそめるが、風を切る爽快感は譲れない。木漏れ日や鳥のさえずりが心地よかった。
「あれは何かしら?」
 馬を降りて駆け寄る。見慣れない美しい花だった。
「なんてきれいな赤……。あ、あそこにも」
 そうだ、これをお土産にしよう。帰れば教育係からこってり絞られるのはわかっている。少しでも機嫌を取ることができれば……。ルチアは花を摘むことに夢中になり、だんだん森の奥に入っていった。
 ふと気配を感じて後ろを振り返った。獣と目が合う。十頭ほどの野犬がルチアに近づいていた。逃げなきゃ、と思うが足がすくんで動けない。低い唸り声。摘んだ花が地面に広がる。
 一頭がルチアに向かって飛びかかってきた。
(殺される!)
 思わず目を閉じた時、バン、と大きな音がした。飛びかかってきたはずの野犬の牙も爪も肌に感じない。恐る恐る目を開けると、長い黒髪を後ろで束ねた少年が立っているのが見えた。手にしたピストルからは白い煙が上がっている。再び銃声が響き、一頭の野犬が悲鳴を上げて倒れた。
 ルチアは目の前の光景に瞬きも忘れた。少年はピストルと剣を巧みに使い、野犬の群れを追い払ったのである。その動きは滑らかで、まるで舞っているかのようだった。
「お怪我はありませんか?」
 黒曜石のような瞳が優しくルチアをみつめる。手を差し伸べられても、ルチアはしばらく動くことができなかった。


「グレイヴィル伯爵がもうすぐ戻ってこられるな」
「ああ、近衛に復帰されるそうだ」
「俺、昔剣の稽古をつけてもらってたんだ。十年ぶりに手合わせをお願いしたいよ」
 ――またその話題か。控えの間で休憩を取っていたトーマ・レッドフォード大尉はため息をついた。レッドフォード侯爵家の次男坊。ルチアの兄で次期国王であるルーファス王子の補佐と護衛を務めている。
「すごいよな、近衛のトップ目前で奥方のためにすべてを捨てたんだろ」
「新しいお妃も妾も持とうとしない国王陛下にも頭が下がるけれど、グレイヴィル伯爵も相当な愛妻家だよな」
 アーサー・グレイヴィル伯爵の名前を宮廷で知らない者はいない。騎士団長を務めるほどの剣の達人で、温厚篤実な人格者としても名高い。国王の信頼も厚く、エリート街道を順調に進んでいたが、十一年前、病弱な妻の療養に付き添うため田舎の領地に移り住むことを決断、辺境警備への転属を願い出たのだった。彼の姿を宮廷でみかけるのは年に一・二度、報告のため国王に拝謁する時だけになった。その彼の妻が三か月前に亡くなり、伯爵は都に戻ってくることになったのだ。
「グレイヴィル伯爵もだけど、僕は一緒に連れてくる令嬢のほうが興味があるな」
「令嬢? グレイヴィル伯爵に子どもなんかいたか?」
「養女だよ。向こうで女の子を一人引き取ったんだ。今年で十六だそうだ」
「へえ、かわいい子かな?」
「噂では、黒い髪に黒い瞳の美少女らしい」
「そいつは楽しみだ」
(どこでそんな情報を仕入れてくるんだ?そのエネルギーを仕事に使え)
 心の中でトーマは毒づく。彼も十九歳の若者だから、女の子に興味がないわけではない。しかし、グレイヴィル伯爵と聞くと、敵愾心が頭をもたげてくるのだ。それは彼の父の影響だった。
 レッドフォード侯爵は優秀な軍人だが、彼の実績は常にグレイヴィル伯爵の名声の前にくすんでしまい、劣等感を味わってきた。息子たちにはそのような思いはさせまいと、侯爵は兄とトーマを厳しく育ててきたのだ。グレイヴィル伯爵が都を離れてからは少し穏やかになったが、最近またピリピリしているのが傍目にもよくわかる。
(まあ、だいたい噂ばかりで実際に美人だった試しはないけどな)
 突然控えの間の扉が開き、王室の連絡係が飛び込んできた。
「失礼いたします。レッドフォード大尉はいらっしゃいますか?」
 トーマの姿をみつけて駆け寄り、小声で話し出す。
「大変です。ルチア様がいなくなりました」
「また街に出たのか。別にルチア様のところの奴らだけで大丈夫だろ」
 いつものことだった。初めのうちこそ大勢で探し回ったが、そのうち慣れっこになり、トーマまで駆り出されることはなくなっていた。
「それが、今回は馬に乗って出られたようです」
「馬!? それじゃどこに行ったかわからないじゃないか」
「そうなんです。ですから、レッドフォード大尉のお力もぜひお借りしたいと」
(あのじゃじゃ馬娘)
 トーマは大きくため息をつき、ルチア捜索に加わるべく控えの間を後にした。


 その日の夜、ルチアは自室で教育係の小言を聞いていた。
「まったく、何を考えていらっしゃるんですか。もっと王女の自覚をお持ちくださいませ」
 教育係は何かにつけ「王女の自覚」を強調する。
「グレイヴィル伯爵がいらっしゃったからよかったようなものの、一つ間違えばお命が危なかったのですよ」
 ルチアが野犬に襲われた森は、グレイヴィル伯爵の領地だった。あの後、銃声が聞こえたのかグレイヴィル伯爵が駆けつけてきた。伯爵はルチアを見て王女と認め、驚愕した。ルチアも彼の顔には見覚えがあった。
「王女様とは知らず、失礼いたしました」
 ひざまずく少年の姿は美しかった。
「私はセイラ・グレイヴィルと申します」
 グレイヴィル伯爵と親子でこの森に来ていたのだという。
(なんてきれいな人。そのうえ強いし。宮廷で見かけるどの男の人とも違う……)
 まるで物語に出てくる騎士のようだ。ルチアは胸が高鳴るのを感じた。その後、ルチアに怪我がないことを確認し、グレイヴィル伯爵が宮殿まで送ってくれたのだった。セイラの顔と交わした言葉が胸に甦る。
 ルチアがちゃんと聞いていないと気付いたのか、教育係は声を高くした。
「ルチア様、せめてジュノー少佐が辞められるまでは大人しくなさってください。引退前に問題を起こされては、少佐がお気の毒です」
 ジュノー大佐は年配の軍人で、ルチアが小さい時から護衛を務めてくれている。いわゆるエリートではないが、銃の扱いに長け、寡黙で実直な人柄は誰からも好かれていた。しかし、さすがに若い頃のように体が動かなくなったと来月で引退することになっていた。ルチアも彼には感謝の念を持っている。
「そうね。来月まで脱走は控えることにするわ」
「『脱走』とはなんですか! 絶対におやめください!」
 フフッとルチアは笑った。しかし、もう一度長い小言が始まりそうな気配を察し、慌てて話題を変えた。
「ジュノー少佐の後任はもう決まったのかしら?」
「何人か候補は挙がっていますが、正式な決定はまだのようです」
「やっぱり近衛隊の人?」
「そのようでございます」
「でも、必ずしも近衛隊から選ばなきゃいけないことはないのよね?」
「そのような決まりはございませんが、護衛にはそれなりの実力と人柄が必要ですし、近衛隊から選ぶのが確実なのでしょう。身元もしっかりしていますし」
 ルチアの目が輝いた。
「私が選んでもいいのかしら?」
「どなたか適任者をご存じなのですか?」
 教育係が驚いて聞き返す。ルチアはにっこり笑ってこう答えた。
「グレイヴィル伯爵家のセイラ・グレイヴィルを、私の護衛に指名するわ」


 宮廷は瞬く間にグレイヴィル伯爵とセイラ・グレイヴィルの話でもちきりになった。
「ルチア様を助けたというけど、どこまで本当なんだ? ルチア様の思い込みじゃないのか?」
「野犬と戦うなんて、たくましい女はちょっとなあ……」
 大方の関心は、女性に護衛が務まるのか、ということだった。もちろん、トーマも心穏やかではない。
「いつもながら宮廷の噂話には辟易するな」
 公務の合間にルーファス王子が話しかける。最近王子が公の場に同席する機会が増えた。将来王位を引き継ぐための具体的準備だった。
「ルチアのわがままは今に始まったことではないが、今回は行き過ぎだ。父上も適性を確かめてからとおっしゃったが、そもそも女に護衛の任は重過ぎる。ルチアの話し相手がせいぜいだろう。そう思わないか、トーマ」
 ルーファスは年の近いトーマを友達のようにも思っていた。
「ルーファス様のおっしゃる通りだと思います」
「たとえ男でも、お前ほど優秀で頼りになる者はいないだろう。私の愚痴も聞いてくれるしな」
 トーマもルーファスに対して親愛の情を抱いている。ルーファスが自分を認め、信頼してくれていることがうれしかった。
「グレイヴィル伯爵は立派な人だと思っていたが、奥方が亡くなって少しおかしくなられたのだろうか」
 セイラへの護衛の依頼は、ルチアが国王に申し出た三日後にはグレイヴィル伯爵に打診された。そこでセイラは養女だということが明らかになったのだが、なんと本人もグレイヴィル伯爵も「お役に立てるなら」と了承したのである。
「それは分かりかねますが……。宮廷に来ればはっきりすることですから」
「それもそうだな」
 世間話はそこで終わり、二人は王子の顔と補佐官兼護衛の顔に戻った。


(いよいよ明日ね)
 ベッドに入っても、ルチアは目が冴えて眠れない。
 セイラがグレイヴィル伯爵の養女だと聞いた時はさすがに驚いた。化粧もしていなかったし、格好が少年そのものだった。女性のような名前だとは思ったが、昔の風習に倣ったのだろうとそこまで気に留めなかった。男子の健やかな成長を願って、わざと女性の名前を付け三歳まで女子の格好をさせる。そういう貴族は今でもわずかながら存在する。
 だが、女性だろうと男性だろうとルチアは構わなかった。凛々しい素敵な人が自分を守るためにそばにいてくれる、それで十分だったのだ。
(きっとみんな羨ましがるわ)
 父である国王は試験をすると言っていたが、ルチアを助けた手際を考えれば簡単にパスするだろう。
(強くて、優しくて、頼りになって……。女の子同士だったらいろんなお話もできるわ)
 わずかなふれあいでもセイラの印象は強烈で、ルチアは何度も思い返していた。結局眠ったのは明け方近くになってからだった。


 翌日、グレイヴィル伯爵とともに宮廷に現れたセイラの姿に、人々は度肝を抜かれた。すらりと背が高く、整った顔立ちに優雅で涼しげな物腰。確かに美しい少女だったが、人々が驚いたのはそこではなかった。彼女は素顔のまま男装をしていたのである。黒い髪はやはりリボンでひとつに束ねられていた。線の細い少年に見えないこともない。だが、緊急の場合を除いて国王に拝謁する際は正装、というのが宮廷の暗黙の了解だった。グレイヴィル伯爵がそれを知らないはずもない。なぜそのような格好で……と誰もが訝しんだ。そんな人々の好奇の目を気にする様子もなく、二人は颯爽と謁見の間に向かっていく。
 国王も二人の姿に驚いたが、一国の君主だけあって表情には出さず冷静に振る舞った。畏まる二人に話しかける。
「アーサー、奥方が亡くなって間もないのに呼び戻してすまない。だが、私にとってもこの国にとってもそなたの存在は重要なのだ。昔のように私のそばで仕えてほしい」
「陛下、お気遣い恐れ入ります。より忠節を尽くす所存でございます」
「そちらがそなたの娘か」
「はい、セイラでございます。さあ、ご挨拶を」
 初めてセイラが口を開いた。
「セイラ・グレイヴィルと申します。お目にかかれて光栄でございます」
「なかなか利発そうな子だ。王女が気に入るのもわかる。だが、なぜそのような格好なのだ?」
「護衛とうかがいましたので、動きやすいほうがいいのではと考えました」
 あちこちでひそひそ話す声が上がった。
「まだ正式に決まってないのに、もう護衛気取りか」
「初めての謁見なのに、無礼にもほどがある」
 国王は微笑みを浮かべてさらにセイラに話しかける。
「頼もしい限りだ。ルチアから話は聞いているが、私も自分の目で確認したい。実力がない者には任せられぬからな。せっかくそのような格好をしているし、午後からでも力のほどを見せてもらおう。よいか?」
「かしこまりました、陛下」


 午後、近衛隊の射撃場は多くの貴族で賑わった。あまり変わり映えのしない宮廷の日々の中で、こんなイベントは滅多にない。的から三十メートルほど離れたところで、セイラが渡された銃を確認している。
「まさかいじって暴発したりしないよな」
「的じゃなくて俺たちに弾が当たるんじゃないか」
 人々の声が聞こえているのかいないのか、セイラはおもむろに銃を構えた。
「構えだけは一人前だな」
 やがて静かに引き金を引く。弾は的の真ん中を射抜いていた。
「……まぐれだろう」
 もう一度構えて撃つ。やはり真ん中を貫いた。射撃場が静まり返る。銃を変えても、的が動いても、彼女が狙いを外すことはなかった。


 ――大変な奴が現れたかもしれない。そんな人々の予感は、そのまま行われた剣の試験でも的中した。一対一の試合形式で技量を確認するということだったが、セイラは対戦相手の少尉に圧勝したのである。少尉は負け惜しみで
「女だから手加減してやったんだ」
と呟いたが、それを聞いたセイラは涼しい顔でこう答えた。
「それは失礼いたしました。では、男だと思ってもう一度全力でお願いいたします」
 引っ込みがつかなくなり、再試合が行われたが、結果は変わらなかった。二人目の少尉もあっけなく敗れた。
「アーサーが仕込んだだけのことはあるな。たいした腕だ。このままだと女性の騎士団長が誕生するかもしれんぞ。誰か、我こそはそれを阻む、という者はいないか」
 国王が冗談交じりで呼びかけたが、誰も名乗り出ない。女に負けてたまるか、とは思うが、負けた場合のことを考えると尻込みしてしまうのだ。手を抜いたという言い訳ももう通用しない。
 ルーファスのそばで事態を苦々しくみつめていたトーマが、ついに名乗りを上げた。
「私が相手になりましょう」
 観客がどよめく。彼の剣の腕前は折り紙つきだった。トーマは射撃場の真ん中に向かい、剣を抜いた。よろしくお願いします、とセイラが笑顔で言った。
(確かに崩れのないきれいなフォームだが、実戦の経験はないはずだ。そこを突けば勝算はある)
 男の面子にかけても負けるわけにはいかない。剣を構えあった時セイラから笑顔は消え、真剣な顔つきになっていた。
「始め!」
 試合開始の号令がかかる。最初に仕掛けたのはトーマだったが、すぐに防がれた。逆に攻め込まれそうになり、慌ててよける。もう一度構え直した。
(こいつ、隙がないうえに速い)
 互いに攻防が続き、試合は白熱した。観客は固唾を飲んで試合の行方を見守っていた。攻めては守り、仕掛けては退くを繰り返す。
 ふと、セイラのガードが甘くなったような気がした。
(今だ!)
 瞬時に攻め込む。次の瞬間、身をかわされ、トーマは剣を叩き落されていた。
 一瞬の静寂の後、場内は沸き返った。
(俺が……負けた……?)
 まだ状況がよく呑み込めない。
「さすがにお強いですね、レッドフォード大尉」
 セイラが笑顔で握手を求めてくる。トーマはただ呆然としていた。
 国王は満足げに頷き、こう宣言した。
「セイラ・グレイヴィルを少尉に叙し、王女ルチアの護衛に任ずる」


 その夜、グレイヴィル伯爵親子の歓迎を兼ねた晩餐会が宮廷で催された。グレイヴィル伯爵は旧友と談笑中だ。もう一人の主役セイラ・グレイヴィルは、男装のままルチアにつかまっていた。ダンスのパートナーも男性パートで務め、とりとめのないおしゃべりの聞き役になっている。臆する様子もなく、笑顔を絶やさない。
「私が見込んだ通りだったわ。本当にセイラは強いのね。トーマにまで勝つなんて」
 ルチアが興奮した様子でまくしたてる。
「運がよかっただけです。もう一度手合わせをすれば、彼のほうが勝つと思いますよ」
(謙遜なのか嫌味なのか……)
 トーマがグラスをあおる。酒にはうるさい彼だが、今夜は味がわからない。
「あまり気にしすぎるな。お前が優秀であることには変わりがない」
 ルーファスが慰める。しかし、かえって負けた事実を突きつけられるようでつらい。
「男装でも全然違和感がないわね。女だとわかっててもどきどきするわ」
「並の男性より、よっぽど凛々しくて頼りがいがあるんじゃないかしら」
 令嬢たちの賞賛のささやきも耳に入ってくる。
(これから毎日あいつと顔を合わせるのか)
 考えただけで気が滅入りそうだ。
 ルチアとセイラの周りを女性たちが取り囲み始めた。どうやらルチアが一人一人紹介するつもりらしい。晩餐会は長引きそうだ。トーマはもう一杯グラスを飲み干した。


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