「 眠 る 星 」 本 条 想 子
青球で一番大国の航空宇宙局では、彗星の発見にざわめいていた。 新しく発見された彗星は、ハレー彗星探査機が送ってきた観測データから明らかになったものだ。ハレー彗星探査機は、青球の恒星にあたる美星に10年前最接近したハレー彗星へ向けて打ち上げられたものだった。ハレー彗星探査機から送られた観測データをもとに、新しく発見された彗星の分析が始まった。また、青球近傍天体を捜査している各国のスペースガードでもこの彗星を発見していた。そして、巨大彗星のニュースは瞬く間に世界中を駆け巡り、沸き立っていた。 時を同じくして、我が国の宇宙航空研究所でも、宇宙望遠鏡で同じ彗星を発見していた。そして、データから彗星の質量や公転周期や公転速度を求めて軌道を計算し始めた。当初、この彗星は公転周期が200年未満の短周期彗星でもなく200年以上の長周期彗星でもない非周期彗星の分類であると考えられていたため、計算は複雑で解析は困難だとみられていた。しかし、解析と古代の記録からこの巨大彗星は599年と1087年また1574年にも回帰している公転周期が487年の長周期彗星ということが解明された。そして、解析が進むにつれ前回までの軌道を大きく変化していることに、研究所の所長である水島亜紀は、次第に顔が青ざめてきた。この直径数十キロメートルの巨大彗星は、青球と軌道が交差する50年後の回帰に今までの軌道と異なり最接近すると予測されたからだ。しかし、軌道が変化すれば衝突も考慮しなければならない非常事態だった。これは、発見から1ヵ月が経過して分かった事実だった。
所長は、データ分析に携わった研究員全員に箝口令を敷いた。予測は飽くまでも単純計算でのもの、最終結果ではない事を強調した。そして、主だった研究員を所長室へ呼んだ。 「このデータの詳細な解析結果を資料にまとめてもらいたいのです」 と、所長は言った。
「この計算結果は、50年後に青球との最接近を意味するものです。また、接近の限界を突破することで彗星の核が破壊されると多量の揮発性ガスが放出され、青球に多大な災害がもたらされるかもしれません。最悪、惑星等の他天体との重力相互作用によって軌道が変化して青球に衝突する事も考えられます」 と言って、主任は所長を見詰めた。
「回帰を繰り返す度に軌道が変化しているようですね。やはり、気象変動に耐えられるシェルターが多くの国民を救うためには必要でしょうね」 と、副主任も心配気に言った。
「長周期彗星とはいっても、公転周期が487年と長いため非周期彗星のように軌道の大きい変化がみられます。直径数十キロメートルの彗星が衝突となれば、直径約100km、深さ20km以上のクレーターが出来るぐらいの衝撃です。青球の消滅はなくとも地上の動植物は死滅するでしょう。生き残ったとしても、気象変動に耐えられません。 青球から遠い地点で彗星を破壊するか軌道を変えるしかないでしょう。青球に近い地点での破壊は、気象変動で大打撃を被るため、より遠くで行わなければなりません。可能かどうか疑問ですが、時間が掛かっても、軌道修正も同時に行われるでしょう。この事は、おそらく航空宇宙局でも把握しているはずです。このデータは、政府へ提出します。資料は3部作成してください」 と言って、二人の目を優しく見た。3部というのは、101会議のメンバーの首相と所長そして議長だった。
「はい」 と、二人は頷くように返事をした。
所長は二人と話し合った後、解析結果の作成資料を101秘密会議の議長に提出した。また、我が国の首相には、彗星の解析結果資料と地下都市建設の提案資料も提出した。首相は、秘密裏に閣僚を招集し、対策を協議していた。また、大国の航空宇宙局からも極秘の報告を受けた議長は、巨大彗星の衝突があるかどうか、気象上どれだけの被害になるか。自国の国防省に秘密裏に機密資料を送り打診した。青球で一番大国である国防省の結論は早かった。50年後までに巨大彗星を破壊する技術を開発すると言う事だった。しかし、我が国は、巨大彗星の破壊には反対だった。安全に、破壊する方法を持ち合わせていないのが現実だったからだ。
青球には、人類にとって危険な原子力発電所が約400基ある。また約2万発の原子爆弾が複数の国に存在する。我が国でも、戦争で原爆を落とされてからも原発推進派が経済効果を理由に未だに原発は存在している。必要でありながら、光発電所や風力発電所、水力発電所、バイオ発電所、地熱発電所などクリーンなエネルギー発電所の稼動は進んでいない。仮に、彗星を粉々に破壊しても青球には、何らかの気象変動は確実に起こるのだった。また、青球を回る重量何トンもある物など数百もの人工衛星や使われなくなった宇宙ゴミが、雨あられのように落下することになる。世界各国で地震、噴火、津波、台風、豪雨などに対処するにも四苦八苦している現状で、人類として軌道変更はできるのか。人間は対処しきれない様々のものを作り出し、世界に放出してきた。
巨大彗星との衝突が回避できなければ、青球は気象変動により恐竜が絶滅したと言われる6500万年前の氷河期が訪れる事は間違いない。氷河期だけなら最新の技術力で地上に住む事も出来るだろう。しかし、核兵器使用や現存する核兵器と原子力発電所の爆発で、地上には何十万年いや何百万年も住めない現実が考えられるのだった。たった70年ぐらいでそんな世界に人類はしてしまったのだった。その場合、残された道は、地下都市建設と異星への種族保存の旅となる。その後、国会で審議された。この銀河系宇宙には数百億から数千億個もの恒星がある事が知られている。その中に、必ず人類が住むことの出来る惑星があるはずだった。
現在の我が国では雇用問題、年金問題が将来に暗い影を落としている。そこへ環洋経済連携協定という自由化の波が押し寄せていた。世界の動きは、二大大国の冷戦が終わり、一人勝ちの大国に対抗手段として、先に連携した西洋諸国や大国の周辺諸国の経済連携に見習い小国が経済連携を模索したものだった。そこへ、またまた大国が顔を出し、我が国の経済団体も自由化に色めき立っている現状だった。
人間は、狩猟採集をしている方が農耕や牧畜の長時間の労働をするより楽だった。しかし、人口増加で狩猟採集だけでは立ち行かなくなり、農耕や牧畜などが行われるようになった。そして、自給自足から出発したものもが、余剰分を交換する物々交換へ移り、専門の職人が育ち、職業が生まれ経済活動が発達してきた。
そして、経済活動は都市を作り、王国を作り、自国の覇権のため、他国を武力で制圧した。最初は刀や槍、弓矢から、そして火縄銃、拳銃、機関銃、ダイナマイト、原爆と人間は戦いに多くの資金を費やし、自国のために領土や資源を奪い合ってきた。
しかし、人間社会に不平等が生じて、資本主義の矛盾から社会主義が生まれた。しかし、社会主義の計画経済にも矛盾が生まれ、経済的に行き詰った。資本主義の中でも、不平等の不満から福祉社会の考え方が生まれ、福祉国家が新たに誕生した。そして、今、福祉が国家を揺るがしている。福祉の御旗で税金が徴収され、無駄遣いを見抜けなかった国民は国家の破綻に直面している。 資本主義の矛盾は格差社会を生み、少数の大富豪がいる反面、多数の低所得にあえぐ国民の不満があちこちで爆発している。飢餓問題は、干ばつや凶作など自然災害だけでなく、食料援助も飢えた人びとに届かずに、抑圧的独裁政権の中で横流しが行われ、内戦の武器の購入に使われ、飢餓に苦しむ人が増えるばかりだった。食料不足のからくりも、海外の森林を破壊し、農薬で土地汚染しているに過ぎない。そんな世界が、テロリストを生み出し、海賊も横行し、無秩序で自由な経済優先社会が形作られているのが現実だった。自然災害よりも優先して、経済を優先し続ける世界は、戦争より恐ろしい、弱肉強食でも善であるかのようなグローバルの名のもとに経済連携が経済市場主義の論理で動き始めた。 他国の内政不干渉は何処へ行ったのか、誰のための企業なのか、人間は行き着くところまでいってしまった。国民を守るのではなく、経済界を守る好景気策が、武器の戦争から規制撤廃の外堀から内堀そして本丸にいよいよ来てしまった。国のバランス感覚は、大事な物を捨て去る事ではない。人間の幸せは何処へ行ったのか。 そんなお国の事情も吹っ飛んでしまう大問題が突如発生した。それが、彗星の衝突による青球消滅だった。
議長は関係省庁からの資料を吟味し、101秘密会議のメンバーに召集をかけた。それは、航空宇宙局の天文研究所から報告があってから1週間後であった。巨大彗星発見からは、1ヶ月以上も要していた。101秘密会議のメンバーは議長国の中央会議場に集められることとなった。 その秘密会議のメンバーは、議長と国際協力連合加盟国50カ国の国家元首とその国が選任した知識人からなっていた。この会議の存在は国民に知らされていたが、選任の知識人やいつ開かれるかは誰も知らなかった。知られている範囲では、先ず外務大臣が首相の代理で国民に知らされるまで動く事が決まっていた。国民は、知らないで一生を終わりたいとも望み、知らされてパニックに陥る事を誰しもが恐れた。 しかし、101秘密会議の存在は、全世界に対して、宇宙における青球のちっぽけさと宇宙についてほとんど解明できていないゆえの人類の無力さを謙虚に受け止めるのに役立てるものだった。しかし、人間は便利さにかまけて、忘れ去っていた。今は、他国との善なる経済戦争に明け暮れる一方だった。そんな中、101秘密会議のメンバーも、選任されてからいつの間にか、起こるはずもないという観念に囚われ、事態に備えてそれぞれ対処方法を考えるのも有名無実化していた。いつ訪れるか分からない、青球の最初で最後の秘密会議にならんとも限らないものに備えているメンバーは、ごく僅かだったに違いない。それは、この青球の最期を意味するものかもしれないものだったはずが、なんらの防御もされていなかったのだった。そして、皮肉な事に、核シェルターが備えの一番のものだった。
ここは、青球で一番平和な国の首都だった。この1000万人都市にも、101秘密会議のメンバーがいた。水島亜紀がそうだった。亜紀はメンバーに30歳の時に選任され、もう10年が過ぎていた。メンバーの中では若い方だった。メンバーは、クッションなしに過酷な境遇に見回れるため、ショックが大きい分、40歳で退くのが決まりになっている。しかし、その退官の日が2カ月後に迫っていた。 亜紀は、天文研究所の所長という要職に就いたことから、この事実を一番先に知ったのだった。亜紀は、この事実を最初、信じたくなかった。夢であったらいいと思い、自分の頬をつねったぐらいだった。また、奇麗事ばかりでなく狼狽しきって、何がなんだか分からなくなっている自分に気付き、寒気を覚えた一瞬もあった。 確かに、101秘密会議のメンバーは日頃から覚悟して、過ごしてきたはずだ。しかし、いざその事実を目の前に突き付けられてみると、どれだけ心が据わっているかと言えば、人並み以上にと言うわけにはいかないのだ。みんなと同じように、うろたえるのが普通の人間だ。しかし、このままではいけないという自制心が働き、辛うじて我に返るというところだろう。 ショックが大きかった事は、亜紀も身をもって感じた事なので、如何にクッションを置いて国民に知らせるか、考えなければならなかった。国民に知らせたとき、パニックが起きてしまうのでは何もならないのだ。国民全体から支持が得られる知らせ方、対処方法など考えていると、亜紀は自分の事より国民の心を救う使命感で一杯になっている事に気付いた。
国民は、現在の自分を考える時と、遠い未来を考える時があるだろう。過去を反省し、未来を切り開く精神をつちかってこそ、現在を生き抜く力が湧いてくるだろう。地上に住めなくなる危険な様々な物をここ70年で排出してしまった事を反省してこそ、人間の種族保存に希望が持て、地下都市建設に力を注ぐ事できる。
種族保存には、凍結受精卵を異星に向けて飛立たすしかないということだ。半永久的に恒星間を旅ができる宇宙船に、凍結受精卵を積載するというものだ。このような宇宙船は我が国には小型ではあるが2機ある。この宇宙船に探査機を設置して、青球と同じような星を見つけて着陸するというものだ。 また、青球には宇宙船を光速に近い速度まで上げる推進システムがない。つまり、光子推進システムなるものを持ち合わせていない。もし、光子推進システムを用いるとすると、宇宙船に占める燃料と推進剤の質量をより大きくし、最適噴射高速で推進剤を噴射させることにより、宇宙船の速度は加速され準光速になるのだ。一定の速度航行よりも一定の加速度航行の方が、加速度は小さくても長い距離を持続しているうちに速度が累積していき準光速になるというものだった。 このようなものがあれば、人類を搭乗させる事も出来たのだが、今の科学力では無理というより仕方がなかった。 ただ、頭で考えることが出来るので、異星からUFOつまり未確認飛行物体が飛んで来ても不思議がない。しかし、ここには恐ろしい落とし穴が潜むのだった。奇怪な事件や事故が起きると、何でもかんでもUFOに乗り込んできた宇宙人の仕業にしようとするもがいた。UFO伝説は、機密を隠すのに絶好の対象物であり隠れ蓑になっていた。 現在の科学力では、何十万年以上の旅に成人の人類を宇宙船に乗り込ますことは出来ず、凍結受精卵を搭載するしかない。幸いにして、我が国には、人工胎盤がある。これを、自動的に作動させる装置を宇宙船に搭載できる。 目指す惑星が見つかれば、プログラム通りに着陸し、自動的に受精卵を人工胎盤で発育させ、それを手助けするロボットが作動し、育児や教育をさせる。
人間は、この宇宙船で何十万年以上、代替わりしたとしても到底、精神的にも物理的にも住むことは出来ない。やはり、凍結受精卵として、異星到着まで眠り続けてもらうしかないのだった。宇宙船を2機も飛ばすのには、方向的な事もあったが、人類が住める星に辿り着けるか、文明を持つ異星人に襲撃されたり、占領されたりしないか、また人口胎盤が正常に作動せずに人間とはかけ離れた生物が誕生してしまう事も考えてだった。 青球の持つ高度な技術は使用する人間が存続すれば強力な威力を発揮するが、如何せんそれが出来ない事情にあった。もしかすると、無抵抗の凍結受精卵を異星人に悪用されないとも限らないという危険をはらんでいたのだ。それは、生体実験や虐殺、奴隷にはされないかという危惧であった。 歴史の中でも、これらの悲惨な出来事があり、それを恐れて集団自決した例がいくらもあった。これからの問題として、自爆装置をはめ込む議論もされてくるのだった。 このように、人間の手から離れて精密機械に種族保存を託さなければならないという無力さと子孫存続の意味を考えないわけにはいかなかった。
首相と議長との連絡のため研究所につめていた亜紀は、三日ぶりに家へ帰ってきた。亜紀は、エントランスホールからオートロック操作盤で部屋番号を入力した。家ではインターホンに出た娘の加菜が自動ドアとエレベーターを開けた。誰もいない時は、自分で開けて入るのだが、今日は皆が揃っていた。 夫と娘と息子そして亜紀の両親が、亜紀を玄関まで出迎えた。 「ただいま」 亜紀は複雑な思いで、家族を見詰めて微笑みかけるしかなかった。
「お帰り」 と、家族は口をそろえて言った。
「お母さん、すごい発見だね、彗星の分析は大変でしょう。いろいろ教えて」 と、弟の信秀が弾んだ声で言った。
亜紀は101秘密会議のメンバーの誇りとして、平静を辛うじて保っていた。 メンバーである事は、当然ながら家族も知らなかった。しかし、夫と両親はいつもと違うと何かを感じていた。リビングの隣のダイニングテーブルには食事は用意されていなかった。
「夕食は、展望レストランに行きましょう」 と、母が言った。これは皆で決めていた事だ。亜紀は着替えに自分の部屋へ入った。着替えを終えて部屋を出ると、夫の芳茂が待っていた。
「家の事は心配しないでもいいよ」 と言って、優しく肩をたたいて頷いた。
亜紀はまさか、夫が知っているわけがないと思い、芳茂を見た。芳茂は、何が起きても大丈夫といわんばかりに、たくましく亜紀を包んでいた。亜紀は暗黙の了解を得て、少し気が楽になった。隠す後ろめたさもあったが、夫の頷きによって、すべて許された安堵感に浸っていた。 家族は、展望レストランで好きなものを大皿に頼んで、皆で食べた。このようなことはこの国では当たり前の光景だった。三世代で住む高層マンション派と、二世帯住宅の戸建派と、核家族派などさまざまであったが、それぞれにあった家族形態を選んでいた。多くは、安心の得られる三世代で高層マンション派に属していた。親と共同で購入し、協力していくというのがこの国の家族形態であった。このマンションには、スーパーマーケットもレストランも保育施設も、ありとあらゆるものがあり、近くには病院も学校もあった。
芳茂は子供の前で、何も言わずに、亜紀の思い詰めた目を気にとめて胸が一杯だった。心理学者でもある芳茂は、亜紀の動揺を見抜いていた。しかし、亜紀がその事から逃げ出すのではなく立ち向かおうとしている事も感じ取っていた。亜紀がその事について話せないのなら、影ながら応援しようと芳茂は決心するのだった。両親は家族が和むように会話を続けていた。 亜紀は、101秘密会議が開かれた後に、家族で旅行をしょうと考えていた。芳茂にその事を頼むと快く承知してくれた。
「明後日から、会議で合衆国へ行って来るわね。帰って来たら、みんなで連休にでも旅行へ行きましょうか」
「行く行く」 と、高校1年の加菜が言った。
「僕もいいよ。星の見える空気のきれいな所が良いなぁ」 と、小学6年の信秀が言った。
「私たちは、いつでも行けるからいいわ」
「お父さんもお母さんも一緒に行きましょう」 と言い、芳茂が誘った。
「そうかい。では、行くか。一緒に」 と、定年を迎えた両親が快く了承した。
「よおしっ、贅沢にいこうね」 と、信秀が言うと、弾んだ笑い声が皆から起きた。
これは、亜紀の家族ばかりでなく、レストランのいつもの様子だった。ご近所の家族を誘ったり、親の留守家族を誘ったりして和気あいあいと食事するのが当たり前の雰囲気だった。
それから、亜紀は外務大臣と101会議出席のため、出国した。 101秘密会議は秘密裏に、合衆国の中央会議場で開催された。議長である大統領の重々しい開会宣言によりはじまり、議題の趣旨説明があって後、活発な討論に移った。 50カ国の議論は大きく二つに割れた。半数の国は、彗星の軌道を変えるか彗星を破壊するかして、衝突を回避する意見であった。また、半数の国で、彗星の被害に大小違いはあるが、無理な科学技術開発に時間と莫大な資金を費やすより、シェルター建設に早く取り掛かった方が良いという意見に分かれた。大国の意見は、我が国を除いて科学技術開発に自信を強めていたため、シェルター建設と同時進行で、軌道変更ができなければ、レーザーかあるいは核爆弾を使い彗星を破壊するという意見だった。いつものように、大国の意見に押し切られる様相になっていた。しかし、我が国は軌道修正には力を貸しても、破壊には反対だった。レーザーでの破壊でも、気象上の多大な被害が考えられる事を主張し、地下都市建設を第一政策にする事を訴えた。そこに、原爆などとはより恐ろしい結果をもたらす事になるので強く反対した。今後の50年を経済至上主義から、自然災害に対処できるバリァ 社会を建設するという事を訴えた。 その後、何度も会議が国家元首の代理により行われ、各国による独自性が尊重される意見が採用される事となった。
各国政府は、国民に向け、101会議からの報告と巨大彗星による青球衝突のデータを公表した。
我が国は核兵器により彗星を破壊する手段は、青球の地上には住めない事を意味するという結論に達した。そして、地下都市建設に取り掛かる法案と青球から異星に向かって人間でなく凍結受精卵を飛び立たす法案が国会で可決された。
政府は、危険な原発の停止とその後の処理、放射性物質などの処理を発表した。しかし、放射能汚染からは逃れられず、地下都市建設を進める事が明らかになった。世界的には宇宙ごみの処理や巨大彗星の軌道修正への協力を打ち出した。 国民はこの事実を冷静に受け止めた。今すぐ、目の前に巨大彗星が落ちてくる話ではないからだった。50年の歳月がある。放射能により、生活が出来なくなるため、この50年の間に旅行を楽しむように政府は奨励した。風光明媚な土地でありながら今まで寂れる一方だった所まで、観光客で沸き返った。都会の人々は、田舎に里帰りする回数が増えた。
我が国の人口は1億人だつた。ある時は少子化問題で、年金受給者を支えるため子育て支援政策を強行した。こんなのは、目先の政策で増えた将来の年金受給者をどう救うのかなど考えない、ねずみ講方式だった。結果的に、受給年齢を先送りするだけの安易な政策に終始するのだった。それもこれも、家族を捨て国に頼った身勝手な自由主義の幻想からだった。そこで、家族の独自に協力する家族形態が湧き上がった。
50年後には地上に住めなくなるため、地下都市建設が始まる。放射能汚染がなければ、家族が住める、防空壕を地下に掘れば良かった。しかし、人間には太刀打ち出来ない放射能から身を守る地下都市建設には莫大な資金がかかるため、極力人口を減らすこととなる。やはり、子供を生まない政策で人口調整するしかなかった。我が国政府は、50年後に人口を1000万人以下にする事と子供を100万人に減らす事を決定した。そして、将来は自然減少で100万人国家にする事とした。
地下都市は全国を12都市に分断される。都市の建設は地下鉄の走る地域一帯にはりめぐらされた。そこは、頑丈な建物で守られ、放射能を遮断する。都市は約150万人の3都市、約80万人の6都市、約20万人の3都市に分割された。そして、1年以内に都市の統合が行われることとなった。これらの都市は、地下鉄が分断されているので、50年後には通信以外、人の出入りはできなくなる。しかし、予定では海外を含めて、宇宙船で国内外の都市を輸送できる手段を考えられていた。人間は建物以外に、食料生産も難しいがそれ以上に水や空気の循環が大問題になる。放射能があるゆえ、貯蔵した水や空気の循環に頼るしかないのだ。世界中が宇宙と化すのだった。 地下都市は、快適な環境にする事が前提だった。国民のパニックを防ぐために、現存する地下施設の快適ぶりを連日、テレビやインターネットで流された。また、地下都市とつなげられる地下施設を持つ建物をバリアで温存する方策も考えられた。それは、戦争でないため建物を狙い撃ちされるわけではなかったからだ。巨大彗星の衝突が我が国でない場合は、全土消滅にはならない。また、彗星の核が破壊されたとしても衝撃波次第では、気象変動があってもバリアによって建造物が残る望みがある。放射能により生活はできないが、地上にある建造物が無傷だった場合には、有効利用も考えられる。
家族は、二泊三日で温泉のある小島に渡った。ここは、亜紀にとって心休まる地であった。小さい時、夏休みになると、家族で祖父母のいるこの島へ遊びに来ていた。今は伯父と都会に住んでのち、他界し、誰もいない。そして、この島で芳茂と出会った。この地は亜紀だけでなく、夫婦の思い出の地にもなったのだった。二人の愛は、ここで芽生えてここで実った。
お互い、大学時代にこの島へ来ていた。亜紀は友人の羽鳥美絵と二人で来ていた。二人は砂浜から少し離れた大きな岩で貝取りや蟹と戯れて、しばし時を忘れていた。引き潮でかなり大きな岩が海面に顔を出している。その時、亜紀と美絵は大事なことを忘れていた。民宿を出る時、水着を着けないで来ていたのを、すっかり忘れていたのだった。亜紀は満ち潮になると、今いる大岩も海面に沈む事を百も承知だった。その上、砂浜へ帰り着くまでに渡らなければならない小岩は、この大岩が沈むとっくの前に、沈んでいる事も知っているはずだった。 確かに、亜紀は満ち潮を知りながら、水着を着けているので、少々濡れてもいいぐらいに考えていたのだった。 「美絵、そろそろ浜へ帰ろうか」 と、亜紀はけろりと言った。
「そうね」 と言った美絵は、砂浜までの帰り道がないのに驚いた。
「帰ろうと言ったって、小岩が沈んでいるじゃないの」 と、美絵は泣きべそをかいていた。
「大丈夫よ、少々濡れても水着を着けているじゃない」 と言って、亜紀はまだ平然としている。
「少々じゃないわ。それに、水着なんて着てこなかったでしょう」 と言い、美絵は亜紀を恨めし気に見た。
「あら、そうだったわね。失敗、失敗、御免、御免」 と言って、亜紀は美絵に手を合わせた。
「もう、亜紀ったら知らない」 と言い、地団太を踏んで、後ろを向いた。
「このまま渡るしかないわね」 と言って、亜紀は美絵の肩をたたいた。
美絵は、亜紀のそんな楽天的なところが好きだった。亜紀は美絵の後ろ肩が、笑いで揺れているのが分かって、ほっとしていた。 二人のそんな様子を見て、浜から二人の男性が近付いて来た。振り向いた美絵は、微笑みながら言った。 「仕方ない、泳ごうか」
「うん」 と、亜紀が言うと二人はその気になっていた。
「待って、私たちを助けに来る男の子がいるわよ」 と、美絵は上気した声を発した。
「あら、本当。助けに来てくれるみたいね。でも悪いわね。彼らも洋服よ」 と言って、亜紀は濡れても構わないのに、もたついていた後ろめたさを感じた。
「もう、彼らは濡れてしまったのだから、助けてもらいましょう」 と、相変わらず美絵は嬉しそうに言った。
そうこうしている間に、二人の男性が大岩に近付いた。 「僕たちが来たからには大丈夫」 と、先に着いた安西卓也が言った。
「洋服が濡れるから僕たちの背中に乗るといいよ」 と、後に来た水島芳茂が亜紀に言った。
亜紀と美絵は驚いて、顔を見合わせた。亜紀も美絵も、背負ってもらえるとは考えていなかったからだ。美絵は手を引いてくれるぐらいだと考えていた。亜紀にしても、見守ってくれるぐらいだと思っていた。 「そんな、いいです」 亜紀は言って後退りした。
「大丈夫、僕たちに任せて」 と、卓也が言って美絵に背を向けた。
「よろしく、お願いします」 と言って、美絵は卓也に負ぶさった。
亜紀も、見詰める芳茂の目に応えた。 「すいません」 と言って、負ぶさった。
亜紀は、浅黒くたくましい男性に背負われながら、胸のときめきを感じていた。そんな一瞬も、あっという間に過ぎ去った。あまりにも、砂浜は目と鼻の先にあったのだ。 「どうもありがとうございました」 と、亜紀は丁寧にお礼を言った。
先に砂浜についた卓也と美絵は、もう親し気に会話していた。 「時々、大岩に取り残されるどじな女の子がいるんだよ」 と、卓也は美絵をからかった。
「いやだぁ、意地悪ね」 と、美絵はすねたように言った。
「満ち潮に気付かないぐらい、何に夢中になっていたの」
「貝採りよ。でも、亜紀は満ち潮を知っていたのよ」 後から来た芳茂と亜紀も会話に加わった。
「満ち潮には気付いていたわ。忘れていたのは、水着を付けていなかった事なの」 と言い、亜紀は照れ笑いをした。
「あなた達は、私たちの命の恩人よ」 と、美絵は二人を持ち上げた。
「大袈裟だな。単に水着を付けていなかっただけじゃないか」 と言って、卓也が笑った。
「僕は初めてだけど、卓也はいつも田舎に帰って来て、女性を助けていたんじゃないか。さっきは、見付けて海に入るのが早かったなぁ」 と言って、芳茂は卓也を見た。
「僕だって、初めてだよ。助けるのは何度も見たことがあるけどね」 と、卓也は真面目そうに言った。
「すいません。洋服を濡らしてしまって」 と、二人で謝った。
「僕たちは、海パンに取り替えるから大丈夫」 と、芳茂が言うと、卓也もうなずいた。
「一緒に泳ごうよ」 と、卓也が誘うと、美絵と亜紀はうなずいた。 4人は、海の家へ入って、水着に着替えて来た。その頃には、砂浜も大勢の人々でにぎわっていた。
卓也と美絵は、一夏の恋に終わってしまったが、芳茂と亜紀の恋は続いていった。芳茂は思ったより積極的で、亜紀を魅了していく。二人は、この時の出会いから交際が始まり結婚した。学者同士の結婚で、研究に追われる毎日だったが、二人の愛の炎はいつまでも消えはしなかった。二人の間の信頼関係がそうさせたのだ。そして、その愛は最期まで続き永遠の世界までも引き継がれるのだった。
「浜でも一回りしてこようか」
「ええ、そうしましょう」
二人は恋人同士に戻ったように、腕を組んで浜へ向かって行った。その途中には険しい崖もあった。崖の下はすぐ海で岩が切り立っているところもあったが、そこを目指して行ったわけではない。崖の下に砂浜が広がっているところを目指して歩いて行ったのだった。 芳茂は砂浜が見えて来るとその方向へ駆け出して行こうとした。しかし、亜紀は反対方向の海岸線の険しい崖を見て、一瞬の間を置いて大声を出しながら、そこにたたずむ女性の方へ駆け出して行った。
「早まらないで、生きるのよ」 と、叫びながら近付いて行った。
女性には、その声がまるで神の声のように聞こえていた。女性はその声に促されて思い止まり、後退りして来た。亜紀が近付くと女性は亜紀に倒れ掛かって来た。 「確りして下さい」 と言う亜紀の声もその女性には聞こえないようで、放心状態であった。後ろから追ってきた芳茂も近寄って来て、亜紀に代わってその女性を支えた。
「あなた、もう少しここで様子をみましょう。部屋に帰るより、外の方が事情も聞きやすいんじゃないかしら」
「そうしょうか」
「大丈夫ですか」
「はい」 と言いながら女性は泣いていた。
「もし良かったら、胸につかえた思いを話してみてください。少しは和らぐんじゃないかしら」 と亜紀が言い、女性を見守った。
亜紀は先程の一瞬のためらいを心の中で恥じていた。また、芳茂は見ていなかったが、仮に見ていてもあの一瞬をためらいと、見抜けなかったと思った。あの一瞬は驚きのあまり、息が詰まったのだと考えただろうと思った。 しかし、それは違っていた。明らかに、亜紀は自殺を止めるのをためらったのだった。これから生きる人々は全員が死と向かい合わせになる。長生きを考えるより、苦しまないで自然死する事を考える人々が多くなるだろうと思ったからだ。ここで、この女性が自殺を思いとどまったとしても、もう一つ苦しみを抱え込む事になるだけではないかと思ってしまったのだった。しかし、その事とこの自殺が別物だと咄嗟に判断が出来て、止める事が出来たと亜紀は思った。亜紀はその一瞬の戸惑いが取り返しのつかない事にならなくて、ほっとしていた。 人間は誰も限りある命の中で、精一杯生きるしかない。この人は死んで、あの人は死んではならないという区別があるはずがない。当然ながら青球消滅を知らずに死んでもいいという事にはならないと思えた。
その女性は大分落ち着きを取り戻したようで、芳茂の腕の中にいる事に恥じらいを見せて離れた。 「あそこのベンチに腰掛けようか」 と、芳茂が言うと亜紀は頷き、二人の間に女性を腰掛けさせた。
「私、結婚を約束した人の子供を身籠った事に気付いて、彼に話したんです。すると両親に話すのに、もう子供が出来たでは困るというのです。それで、医者に相談に行って初めて分かったのですが、私は子供が出来にくい卵管のようなんです。ここで胎児を下ろさないで済むのであればその方がいいと言われました。そんな事があって、彼と話をしているうちに彼の不実が分かったのです。もし、結婚しても彼は両親の顔色ばかり伺って、こそこそした人生しか送れないという事が分かってきました。
彼の両親の言う家柄とか親類や兄弟の出世とかで、彼は雁字搦めになっているみたいです。その息抜きが私だったようです。私を愛していたのではないのです。私も確かに彼に頼る可愛い女になりたい気持ちも起こって仕事を辞めたんです。彼が事業を畳んで結婚の準備をしろと言ったのを切っ掛けに、全て処分しました。しかし、彼はそのお金を何だかんだ言って私から引き出して、気が付くと私の手元にほとんど残っていませんでした。
彼は家で大きい顔をしたかったみたいです。お金を簡単に引き出せると知った途端、彼は人が変わったように優しさを売り物にしてきました。その時の私はその事に気付かず、愛が深まったと思っていました。それが、手元のお金が少なくなり、お金を出し渋ると急に態度が冷たくなりました。
私は彼だけでなく、彼の身内にも復讐しようと思いました。私は友人に私が変死したら、雑誌社に渡してほしいと書いて封書を送りました。そして、私のアパートにも遺書を置いてあります。それらには、彼の結婚詐欺まがいの証拠も入っています。彼が自慢気に話していた、父親の権力の裏話による政界のお金によるどろどろしたものを書きとめてあります。これらによって、政治家や大物財界人や高級官僚が逮捕や吊るし上げにあうことは確実です。
彼というのは悪い事と良い事の判断が麻痺しているようです。私は彼の話を最初に聞いたときは、裏には裏があるなぁぐらいに思っていたのです。でも、その話を彼が自慢げに、そして憧れるように話していることに気付いた時、恐ろしくなったのです。人を踏み付けにしても平気でいられる彼の人生に憤りを感じました。
そんな人たちによって動かされている人生を終わりにしたかったのです。そして、ただ死ぬのではなく、復習も兼ねたかったんです」
「自殺を後押ししたのは、やはり101秘密会議の発表ですか」 と、亜紀は聞いた。
「はい。楽しく旅行や娯楽で50年を費やす人たちもいる反面、復讐で暴露合戦をする人たちも出てくると思うのです。犯罪は論外ですが」
「今後、地下都市で過ごしたい人は良い人になる事を考えるでしょう。逃げ出せないのですから、みんなで協力する事が大事になると思うからです」 と、亜紀は言った。
「暴露派だった私ですが、あなたの声で私は死ねなかった。何か強く後ろに引き戻される力が働いたようです」 と話す30歳前後の女性の身体は小刻みに震えていた。
芳茂は、何事からも逃避してはいけないと言いたかった。 「あなたの憎む気持ちは、この人間社会に向けられていると思います。でも、死によって捨て去ればいいという選択はどうでしょうか。 人生は、元々限りがあるはずです。あなたにとって、現在が極限でしょうか。そうではないと思います。あなたは彼に会う前まで、仕事をバリバリやっていたと言うではありませんか。あなたなら彼との思い出だけを排除して、昔のあなたに戻れば、もう一度お腹の子供と一緒にやっていけると思いますよ」 と言って、芳茂は勇気付けた。
「どんなに他人に踏み付けられようと、単に他人が自分の人生に土足で入り込んでいるに過ぎないと思います。自分の人生を綺麗に掃除できるのはやはり自分自身なのではないでしょうか。 限りある人生を精一杯生きて、誰のためではなくて、自分が選んだ自分が切り開いた人生であると胸を張って言えるようにしたらどうでしょう。死ねば自分は二度と甦らない、甦るとしたら故人の生き様であり死に様ではないでしょうか」 と言って亜紀は少し黙った。
亜紀は死に様という言葉を言った後で、心の底から青球の最期を国民に告げた事でパニックによる悲劇が起こらないように願った。 青球が未来永劫不滅という事は、誰しも考えていない事だった。それゆえ、宇宙開発の意義も認めざるを得ない現実としてあった。宇宙開発というものは莫大な予算を持って計画されていた。これに対しての不満も数多く言われつつ、納得する向きもあった。しかし、青球の消滅と共にどのくらいの人間が、自分自身の余命と正面切って向かい合う事が出来るだろうか。そうして、失われし自分の命と引き換えに、一個人が種族保存や文明保存を冷静に考えられるものだろうか。
亜紀は人間が生まれてすぐに死を考えるわけがないと思った。しかし、次第に人間はいずれ自分に死が訪れる事を悟る。そんな亜紀も、祖父母の死を小学生の時に経験して、いずれ自分にも老衰から死がやってくるのだと知らされた。そんな時、亜紀は小さい心に死の恐怖を味わった。 「私は小学生の時に祖父母の老衰からの死を見て、自分の死に恐怖を覚えました。一時期、夕方にうたた寝をすると決まって死の恐怖を知らされる夢を見ました。それで、死は誰にでもくる試練なのだから乗り越えられると自分に言い聞かせました。すると、死の夢は見なくなったのです」 と、亜紀は言った。
「私も我にかえってから、急に恐ろしくなってきました。もう、二度と自殺など考えないでしょう。私は50年後には老衰を迎えるでしょうが、限りある人生を精一杯に生き、生まれてくる子には50年後の世界に打ち勝つ心を育てる覚悟です。もう大丈夫です。助けていただいてありがとうございました」 と言う女性には希望の兆しが見え始めた。 そこへ、彼女を心配し駆けつけた友達に、女性を託した。
亜紀と芳茂は安心し切った顔で微笑んでいた。 「明日死すとも今日を生きるべしと確信した日だった」 と言い、芳茂は亜紀に101秘密会議の発表を冷静に国民が受け止められると暗号を送った。 それから、二人は砂浜へ向かった。砂浜から断崖絶壁を眺めると、飛び込んでいたら一溜まりもなかったと思いつつ、二人は顔を見合わせて背筋が寒くなるのを感じていた。 「ねぇ、あなた」
「ううん」
「地下都市で宇宙船のように空気や食料があって、何十万年以上も代替わりして快適に生きられる良い方法があるかしら」 と、亜紀は芳茂に尋ねた。
「実は、旅行の前の日、政府に地下都市推進委員会の委員を承諾したんだ。10年間、101秘密会議メンバーとしてご苦労様。亜紀の提案した地下都市計画は僕が引き継ぐよ。後は、巨大彗星の動向を監視してくれ、接近が速まる事になったら大変だから。僕は心理学者として、地下都市生活の精神面の問題を解決する仕事を引き受けるよ」 と、芳茂は亜紀をねぎらい、力強く決意を語った。
もしかすると、この青球にも異星人が探査機を飛ばせて調べて行ったかもしれない。青球人よりも高度技術や文明を栄えさせた異星人達がいて、青球滅亡を予想して立ち去って行ったのかもしれないし、知的文明の中に入って争いを起してはいけないと思い、立ち去ったのかもしれない。 知的生命体が文明を持てば持つほど、争い事の醜さを知っているのだと思った。今までの異星人到来も我々が考えているような凍結受精卵で、機械により動かされていたのかもしれない。 我々もそうだが、人間を宇宙船に乗せて何百年すら飛ばす事は出来ない。人間は善き心も持っているが悪しき心も持ち合わせているからだ。高度技術を持っているとはいえ、この広大な銀河系宇宙を旅する間に、他の文明を持つ異星人と争っても着陸したくなるのが人情かもしれないからだ。また、自分の代に着陸したいという自我も生まれてくるだろう。そんな心を最小に防ぐには感情を持たない凍結受精卵に託して、機械を制御して穏やかに異星に着陸させ、青球の未来を切り開いてもらうしかないと亜紀は思えた。
星にも永遠がない限り、この銀河系や銀河群、銀河団、超銀河団という大規模な宇宙の泡構造の膜の中で、星の誕生と消滅により、幾多の星で故郷を追われる経験をしている異星人がいるであろう。それらの異星人が飛ばせた宇宙船がこの宇宙を飛び交い、まだ目覚めぬ凍結受精卵の間に、ニアミスを繰り返しているかもしれないのだ。異星人が立ち寄った形跡は青球にもいくらもあった。しかし、まだ確固たる証明がされていない。 亜紀と芳茂は浜辺を散歩しながら、他の星にもこんな美しい海というものがあるのかと考えながら眺めていた。私たちが住める星を探すのなら今までに見た光景と同じような眺めなのだろうと考えた。 そこを見られないのは残念であったが、そこまで欲をかく事ができないので、想像するしかなかった。
人間の命は限りがある。しかし、科学の進歩には限りがない。だが、限りある命の中で人間は愛を育む事が人生だと思って、亜紀は今更のように芳茂を見詰めて、家族を思いやった。 「帰ろうか」
「ええ」
「どんなに短い人生でも愛を忘れたら人間は駄目だね」
「あの女性は愛の被害者かもしれないけれど、また改めて愛を育てられる権利者でもあるのよね。生ある限り投げ出したりしないわね」 と言い、亜紀は青球の全国民に対しても同様の気持ちを抱いた。
二人は浜辺を後に、緩やかな崖の階段を上り、先ほどの女性が佇んでいた崖を一度振り返り安堵の気持ちから、にっこり顔を見合わせた。宿に着いて、家族で大浴場へ行き、命の洗濯をした。部屋に帰ると豪勢な料理が並べられていた。 「うわぁ、すごい料理」 と、言って信秀はご満悦だった。
「でも、こんなのもう食べられなくなるのね」 と、加菜は寂しそうに言った。
「いや、今でも淡水で海水魚を飼育できる技術が開発されているというから、50年後までには普通に食べられるんじゃないか」 と、お祖父さんが言った。
「大丈夫よ、まだ50年あるんだから、信ちゃんは美味しい物を一杯食べなさい」 と、お祖母さんが言った。
「今までの、国内外の問題が、自国だけの解決策になるね。海外からの押し付けがなくなる。自分たちで考えるんだ。環洋経済連携協定だって、昔なら我われが学生運動したように、500万人反対デモになっておかしくなかった」 とお祖父さんが言った。
「そうよね、私も安保反対のデモに参加したわ。町では、子供たちが真似をしていたわね」 と、お祖母さんも思い出を語った。
「私、昔のテレビで見たわ。安保!反対!安保!反対!というシュプレヒコールでしょう」 と言って、加菜は立ち上がって、腕を振り上げ真似をした。
「僕も見たよ、安保!反対!安保!反対!‥‥」 と言って、信秀もテーブルの周りを回りだした。
「もう座って。これからは、みんなの知恵と協力が国を救うのよ」 と、亜紀は言ってみんなの顔を見た。
皆で、時間をたっぷり取って和やかに食事を済ませた。 次の日は、海岸で貝や海草、ウニ取りそして魚釣りと盛り沢山に楽しんだ。浜辺では海水浴もして、お昼には獲り立ての魚介類で潮の香りを味わいながら食事をしてすごした。 帰りの日には遊覧船に乗って島巡りをして回った。青い海の中に海月が見えた。こんなものを見て異星人を想像したのかと思い、亜紀は可笑しかった。しかし、これからの受精卵の宇宙旅行は、知的生命体との接近をしないで済むなら済んでもらいたいと考えていた。メッセージや映像での遭遇にとどまればいいと願った。今日まで異星人と遭遇しなかったのも、異星人なりの倫理観があり、衝突を回避して来たものと理解したかった。 家族は楽しい思い出を土産に家路へついた。亜紀はその日ゆっくり床に就いた。
国内の経済は縮小したが、それと同時に人口も減少していた。建築土木が主流で、空調施設は地下都市では重要だった。また、通信、交通、医療、教育そして食糧と今まで同様に大事な事業が円滑に行われていた。食料は、光と水の農耕と淡水での海水魚の養殖が盛んになっていた。 もうすでに、我が国の原発は廃棄されていた。また、有害な核のごみも最終処分施設に封じ込んだ。そして、使われなくなった宇宙ごみ回収の手伝いを終えた。12都市で地下都市建設も終わり、人口も約1000万人までになっていた。後は、通信手段で地下都市を結ぶことになる。
しかし、人間は地下都市に何十万年以上も住めるだろうか。たぶん、英知の限りを尽くし、青球を捨て宇宙へ飛び出すか、放射能の除染技術を確立するかして地上に出るだろう。地下都市はそれまでの仮の住まいだ。しかし、それが、農耕を始めて以来、人間として1万年を過ごして来た歴史の何十倍、いや何百倍にもなろうとしている。それは、いつなのか誰も知らない。ビッグバンが起こった46億年前から、300万年前の人類の祖先が出現した遠い過去の歴史と同じぐらいをかけて、眠る青球から地上へ戻って来られるのだろうか。
凍結受精卵を乗せた宇宙船は、この銀河系の中心から3万光年に位置する美星の惑星であった青球から旅立った。この宇宙船から四方に発信している電波が恒星をキャッチしたのは10万個を越えていた。その中で探査機が選んで住めそうな惑星を調査したのは100個あまりであった。そして、我々が住める惑星が数個あった。しかし、知的生命体が文明を持っているために、いらぬ争いを避けて着陸はしなかったのだった。また、知的生命体のいる星の中に青球と似通った惑星があった。しかし、この星の環境は悪化の一途を辿って、再生不可能と探査機の調査資料は結論付けた。
そうして、いよいよこの宇宙船の旅をここで終了する時がきた。今までの探査の中で、一番安全性が高いという結論が出たからであった。探査機の資料から選ばれた大地に、宇宙船は今降り立った。ここまでの旅は、眠りについた青球から10光年先であった。 選ばれた大地は、大平原の中にあった。平原の中を横切る川は澄み切っている。天空も澄み渡り、視界が何処までも広がる。深い緑の森林も見えてくる。その手前には広々とした湖があり、満々と水をたたえている。大海までは10キロメートルと離れていない。この星の大陸は、80%が陸つなぎになっている。他の20%は小島ばかりであった。宇宙船の降り立った所の気候は温暖多湿な所であった。このような気候は全大陸の50%を占めていた。その他の気候を大雑把に言うと、ほぼ砂漠が10%、熱帯20%、寒帯が20%という割合だった。
これから始まる新世界は、穏やかな気候の中で出発しょうとしていた。大平原の中の広大な草原に、宇宙船から初めて精密機械が降ろされた。その精密機械の中から小さい箱がいくつも飛び出して来て、ひとりでに動き出し間隔を置いて、自動的に小さな建物に変貌していった。建物の中は、形状記憶合金で出来ていて、みるみる再生されていった。そして、その建物全部を外界から仕切るように強固な囲いが巡らされた。 建物のひとつに一際厳重に守られて保存されている建物がある。その建物は病院であった。凍結受精卵は、10光年先から眠って来たのだった。そして、その10万個もの凍結受精卵の中から100個が第一期に解凍されて、人工胎盤ともいうべきカプセルの中へ一個ずつ入って行った。こうして、100人がロボットを親代わりに育っていった。しかし、全員が両親のメモリーカードが渡されていて、いつでも懐かしむ事ができた。それらは、メモリーカードに記憶されていて、その子供の誕生と同時に渡された。
カプセルを管理しているのは人間の形をしたロボットであった。カプセルの中にいる時から、高度な胎教を受けていた。それでカプセルを出た時には、零歳からの幼児教育に始まり、6歳までに9年間の小中学校課程の教育は終わっていた。ここからは、個人の能力の差が出てくる。高校課程、大学課程そして大学院課程と進む中で生産活動を行い、高度な技術を受け継いで行った。ここから、どんな世界を築くかは協力社会の成功にかかっていた。
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