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作品名:宿主 作者:本条想子

最終回   1
「 宿主 」

                               本 条 想 子

 回虫は今日も鳥たちを誘っています。回虫は子孫を残すために、宿主であるでんでん虫の体内を移動し、触角へ向かいます。触角に入り込んだ回虫は、姿形が虫の幼虫のように見えるのです。そのような姿を鳥たちに見せ付け、さも美味しい幼虫のような動きをし、食べてくださいとばかりに誘います。鳥はそれに易々とはまり、でんでん虫の触角を目指し突進するのです。そして、回虫はまんまと鳥の体内に進入できるのでした。
 鳥の体内で回虫から飛び出した卵が、鳥の糞便と共に散らばり、回虫の思惑通りに事が運びます。飛び散った卵は、再び食物や飲み物からでんでん虫や他の動物たちの体内へ入り込み、宿を借りるのです。


 私はあまり競争心がある方ではありません。言わば、長い物には巻かれよとでも言いましょうか、虎の威をかる狐とでも言いましょうか、また寄らば大樹の陰とでも言いましょうか、自らの力だけで何かに挑むような冒険はして来ませんでした。ですから、トップに立つことは今後ともないと思われます。こんな具合に人の後ろに付いてきた人生でした。取り立てて優れたものを持ち合わせていない私としては、上々の結果だったと思われます。という風に自分を慰めるしか、闘争心のない私は、生きる道がなかったのです。私は経営者にはなり得ない存在なだけに、いかに上手く上司に付いて行くかが、私の最大のテーマでした。そこで、上司には逆らわないばかりでなく、自分より優れた部下を見抜く力もなければなりませんでした。追い越された時に、敵意を持たれないための予防策でもあるのです。
その点では、野崎社長は違っていました。それゆえ、栗栖前社長は株式会社ロード発足に際し、野崎現社長をロードの部長に据えたのでしょう。人一倍やり手で野心家の野崎現社長は仕事に燃えました。
 私は、現在のロードでも課長ですが、この役職は前社長から拝命されたものです。言わば、私は万年課長ということになります。このロードは、前任の栗栖社長が全額出資で設立した会社でした。そして、不可解な経緯で、現在の野崎社長へ引き継がれたのです。 


   ( 1 )  栗栖社長の宿主計画の始まり


 栗栖社長は、雑貨の卸商で若い頃から働いていて、ある程度ノウハウを持っていました。そんな栗栖社長が、前の会社から3人を引き連れて、発足したのが株式会社ロードです。発足メンバーは、栗栖社長、浦辺部長、野崎部長そして和田課長の4人でした。野崎部長の20歳代に始まり、他の3人も30歳代と若々しい会社でした。設立当初、銀行が見向きもしませんでしたので、栗栖社長は資金繰りが大変で自転車操業でした。資本金1千万円では、仕入が大変だったと思われます。しかし、社長は部長以下なうての営業マン揃いの布陣で臨みましたから、営業力には自信を持っていました。あとは、得意先と商品さえあれば完璧と思っていたのです。
 得意先開拓には、若い女性営業社員の電話攻勢を使いました。ある程度、得意先を増やしてからは、女性営業社員の辞めるに任せて、自然淘汰されて行きました。


 得意先が増えたところで、社長は仕入を強行しました。掛け仕入が出来る、以前から取引のあった仕入先に頼み込み、短期で販売できる商品ばかりを仕入ました。その商品はことごとく当たり、商品回転率が抜群でした。支払いは長期で、入金は短い回収で、資金の効率化を図りました。社長は主に仕入を担当し、大口の営業もこなしていました。そして、他の3人は営業の傍らで必要な仕入もしていました。大きな営業をこなすには、仕入も上手にならなければなりません。
 そして、1年が経過した頃には月間3000万円以上を売り上げ、1000万円もの粗利を上げるまでになってきました。これまでになるには、弱小資本の企業にとっての命取りになる、売れ残りをなくす事に全力を注ぎました。社長の寝る間も惜しむ頑張りには、3人とも高給取りですから利益が上がらないという事が許されない訳で、営業成績を上げるという事で応えてきました。


 そして、1年が経過した頃から栗栖社長がいなくても会社が動くようになって来ていました。そうした中、栗栖社長は浦辺部長と野崎部長そして和田課長の3人、つまりロード発足メンバーを社長室兼応接室に呼びました。

「ロードも業績が順調に推移している。そこで、私は当初から計画していた事業に着手しようと思う。それで、そちらの事業が軌道に乗るまで、3人に、これからのロードを任せたいと思う」

「突然で、何と答えたらいいか分かりませんが、今まで通り、職務を遂行するだけです」
 と、野崎部長は応えました。その返事は嬉しそうなのが誰の目にも明らかでした。

「浦辺部長はどうかな」

「ロードにしても、軌道に乗るまで1年が掛かっていますよね。その間、社長は不眠不休という感じで働いておられましたから、こちらにあまり来られないのですか」
 と、浦辺部長が尋ねました。

「そうだね。ほとんど出社できないと思うよ」
 と、あっさり答えました。

「私は、社長に付いて来たのですから、早くロードに戻ってこられる事を願うだけです」
 と、和田課長は寂しそうに言いました。

「あちらが軌道に乗ったら、私はロードに戻るつもりだが、それまでは月に1回出社するだけになるね。給料日だけは出てくるよ」

「ロードの経営は3人の合議ですか」
 と、浦辺部長が尋ねました。

「それでいいだろう。私は忙しいから3人で上手くやってくれ、問題が発生すれば私が出てくるから」
 と、安心させるように言いました。

「そうですか。分かりました」
 と、言ったものの、浦辺部長は野崎部長との攻防を心配していたのでした。

「では、みんなで協力して業績を上げていってくれたまえ」
 と言って、栗栖社長は会社を出て行きました。



 栗栖社長は、別会社設立に向け、体制が整ったロードを3人に託し、給料日と銀行からの借り入れぐらいでほとんど出社しなくなったのでした。社長の抜けた穴は、相次いで入社した浅沼君、荒木君そして藤井さんという人材で埋める事ができました。それは、営業課を編成し、競争システムにより営業成績を上げたのでした。募集で入社した3人は、順調に営業成績を伸ばしていき、新入社員も増え、相次いで昇進も果たしました。

 
 浦辺部長の営業1課と野崎部長の営業2課は最初、良い意味で競い合いました。しかし、主導権争いも起こり始めて、二人の仲は険悪になって行きました。営業1課は和田課長と荒木主任、そして新入社員3人がいます。営業2課は浅沼課長と藤井主任、新人の鳥居君ともう2人の新入社員がいます。
営業成績は次第に水をあけられて、浦辺部長の立場が危うくなって来たのです。その差の原因は、粗利成績順位に如実に現れました。1位は野崎部長、二位は浦辺部長という構図がはっきりして来たのでした。3位は浅沼課長、4位は荒木主任、5位が和田課長、6位が藤井主任、7位が鳥居君そして、新人が続いていました。もう女性営業社員はいません。
 浦辺部長と野崎部長の差は、仕入先の活用の仕方にあったと思われます。和田課長もその点では、浅沼課長に一歩も二歩も遅れを取っていました。仕入先を持っている部長や課長は、仕入先を大口得意先に繋げる事ができるのです。営業マンは、持ちつ持たれつの関係を築き、お互いの売上を伸ばしていくのです。そのためにも、良い商品を仕入れるセンスを持ち合わせなければなりません。


 栗栖社長が経営の圏外に退いてから、4年もすると粗利は優秀な社員が揃い急激に上昇して、月間2000万円にもなりました。問題は野崎部長と浦辺部長との収益力の差が顕著になって来た事でした。浦辺部長は、前の会社では野崎部長の上司だったというプライドが負けを認めさせなかったのでした。
 また、浅沼課長は、営業成績で和田課長に追い着き、遥かに追い越し、自分にも迫って来る荒木主任が目障りでした。それで、営業でも世渡りでも抜きん出ている浅沼課長が、荒木主任の追い落としに躍起になったのでした。まずは、自分とはライバル関係にないという事を印象付ける方法でした。それは、荒木主任より藤井主任を出世させ、ライバル心を駆り立てる手段でした。案の定、藤井係長が誕生してからの荒木主任のライバルは藤井係長へと変わっていき、大人しい藤井係長が荒木主任を目の敵にするようになって行きました。そして、浅沼課長と荒木主任の間には越えられない高い壁が張り巡らされているように見えました。
 浅沼課長は、藤井主任が荒木主任の営業成績を抜いた時に、野崎部長にそれとなく推薦して、栗栖社長に昇進を申請してもらったのでした。藤井主任の営業成績が上がったのは、多分に浅沼課長の後押しがあった事は間違いないのです。そのうち、会社発足メンバーの和田課長もその標的になると覚悟をして置かなければならないでしょう。


 そして、野崎部長と浦辺部長との意見の対立も際立ってきました。堅実路線を歩もうとする浦辺部長は、無茶な取引で多額の利益を出す、会社の仕組みに疑問を持ち始めたからでした。栗栖社長は、会社に出勤しなくとも当然のように月額350万円の役員報酬を受け取っていました。会社は何から何まで栗栖社長のものですから、誰がそれに対して口を挟めるでしょうか。しかし、浦辺部長は無理を重ねて利益を出すのには反対でした。そんな意見が栗栖社長に対する反逆と野崎部長に騒ぎ立てられ、浦辺部長は苦境に立たされました。それからというもの、会社運営は外部の会合で決まり、社内会議では結論が出ていました。浦辺部長はロードの取り決めからも外されていました。会社の運営は野崎部長の独断で決まり、和田課長を見方に引き入れ、いつも多数決で優位に進めていたのでした。

 和田課長にしても、栗栖社長の意向と言われては野崎部長に賛成するしかなかったのです。野崎部長は、我々は雇われている身なので、社長に逆らうつもりはないと言って、一笑に付しました。そして、栗栖社長に反旗を翻すのなら、自分で会社を興し独立したらと不穏分子のような扱いをするようになりました。それは、栗栖社長にしてみれば好都合だったのです。居場所のなくなった浦辺部長は、退職して行くしか道がなくなりました。


   ( 2 )  栗栖社長の追い出し計画


 もはや会社には、野崎部長に楯突く者は一人もいなくなったのでした。事実上のトップになった野崎部長は、業績を伸ばすべく営業課を編成し直しました。和田課長が率いる営業1課、浅沼課長が率いる営業2課、そして藤井係長が率いる玩具課という組織になりました。
 営業1課は和田課長と新人社員3人がいます。営業2課は浅沼課長と鳥居君と新人2人になりました。玩具課は藤井係長と荒木主任と新人1人です。この営業課の編成替えは、この後に待ち構えている奇妙な編成替えと違い、純粋に営業成績を上げるためのものでした。野崎部長は今まで通り大きい仕入先と得意先を担当し業績を伸ばして行きました。そして、待望の専務取締役に就任したのでした。


 それからというもの、野崎専務はロードを大きくすべく業績を上げ、銀行からの借入を増やし続けました。しかし、全ての陣頭指揮を取る野崎専務にも、いつしか割り切れないものが沸き上がってきたのです。そして、野崎専務は栗栖社長へ反旗を翻す気持ちを確信するのでした。ただ、30歳になったばかりの野崎専務には、ロードを飛び出して独立するだけの資本がありませんでした。それに、社員も付いて来るか疑問でもありました。そこで、ロードを引き継ぐ事を考えたのです。つまりは、ロード乗っ取りを考え始めたのでした。
 乗っ取り計画は野崎専務と浅沼課長そして和田課長の3人で話し合われました。和田課長は、浦辺部長が栗栖社長の援護もなく、ロード退職を余儀なくされたことが、栗栖社長に反旗を翻す計画へ加担した要因でした。そして、幸か不幸かそこには、荒木主任の入る余地はなかったのです。


 荒木主任は、藤井係長よりも和田課長よりも抜きん出た成績を上げていたにもかかわらず、野崎専務の構想からは外され、冷や飯食いにいつも回っていたのでした。浅沼課長と営業成績で張り合えるのは荒木主任ぐらいで、その事が浅沼課長の脅威になったのでした。しかし、荒木主任が玩具課に配属されたのは、ある意味制限がかかったと言えるでしょう。
 荒木主任は、新設された玩具課でも、この所のヒット商品やこれからヒットしそうな商品を考え、売上を伸ばして行きました。それは、一般雑貨の高級品を扱う浅沼課長に引けを取らない営業成績でした。会社としては、銀行からの借入金引き出しの最有力手段が、売上アップでしたから、素直に喜ぶところでしょうが、野崎専務と浅沼課長には受け入れられない、荒木主任でした。
 この業界は、電話で営業をして、宅急便で配送を済ませます。大きい経費としては、電話代と運賃そして人件費といったぐらいです。それで、順調な売上で安定した利益が見込めました。その事が、人材軽視に繋がっているのです。それは、会社に力が備わったからこそ、それほど営業マンに力がなくとも、売れる商品を揃えているので売れたと、野崎専務は思っているのでした。
 野崎専務の構想の中では、浅沼課長さえいれば、ロードが安泰と考えるようになって来ているのでした。野崎専務が最大の敵であった浦辺部長を排斥してからは、いよいよ人の意見を聞かなくなり、ワンマンそのものになっていきました。和田課長などは、意見を言う事が恐ろしくなってきていました。他の社員も、学習して野崎専務に何も言わなくなりました。しかし、ただ一人だけ相変わらず、自分の意見を臆面もなく言えるのが荒木主任でした。野崎専務は、苦虫を噛み潰したような顔で聞き流し、ワンマンと言っても表面はソフトなので、裏で画策するのです。その仕打ちとしては、どんなに営業成績を上げようとも出世の道を閉ざしたと言う事で、その回答を出していたのでした。それが傍らで見ている者は、誰しも専務に逆らう者は荒木主任のような憂き目を見ると思わざるをえませんでした。それからというものは、皆がイエスマンになって行くのでした。


 そして、野崎専務の究極の栗栖社長追い出し計画が実行されたのでした。これに反対すると言う事は、このロードにいられなくなるという事でもあるのです。それからは、野崎専務と浅沼課長が、頻繁に会合を開き、話を煮詰めました。野崎専務は、年下の浅沼課長を誰よりも信頼していました。

「俺は、専務では飽き足らなくなった」
 と、野崎専務がボソッと言いました。

「独立するのですか」
 と、浅沼課長は心配げに尋ねました。

「まだ、俺には資本がないので、独立は無理だよ。ロードならもう既に出来上がっている会社だ。その土台を築いたのは栗栖社長で、自分が独りで設立しようと考えても尻込みするぐらい大変そうだった。それは、発足から1年の社長の直向な努力に象徴されるように、一からの出発の大変さだろうねぇ。
 だから、社長が前の会社を捨て、よく俺たちを連れて出たと思う。そのバイタリティーには敬服していたよ。しかし、それも発足から1年だけだった。それからの4年間は、俺たちが育て上げたようなものだ。もう、社長はいらない。社長は別な会社を創ると言っているが、その実体がない。それに、社長のあの派手な服装からはどうみても遊び人としか映らない。もう、栗栖社長は以前のやる気のある人とは違がって来ている」

「では、譲ってもらうのですか」
 と、不思議そうに尋ねました。

「社長に会社を譲って欲しいと言ったら、譲ってくれると思うか」

「ただでは譲ってくれませんよね」

「2000万は用意できる。ロードは資本金1000万円だが、今から独立といっても皆はついて来ない
だろう」

「私も藤井係長も鳥居君もついて行きますよ。和田課長と荒木主任を必要とするかは別ですが」

「浅沼課長がいれば、荒木主任がいなくても会社を成功させることは出来ると思っている。それに、荒木主任の代わりは鳥居君が育って来ているのでカバーできると思う。やはり、災いの元は今のうちに断って置いた方がいいと思う。俺と意見が違えば、一緒には仕事ができない」

「そこまで買っていただいているとは、恐縮です。ただ、独立よりはロードを継承してもらいたいというのが本音です。ロードには私も4年間の思い入れがあります。出来ることなら、買収してもらいたいです」


「乗っ取りしかないか」

「野崎専務の経営センスには感服しています。今だって、社長は何もしていないのですから、いなくなっても何もかわらないと思います。しかし、ロードを創設したのは栗栖社長ですから、2000万で手放しますかね」
 と、専務の懐具合を確かめる意味合いを持って尋ねました。

「2000万は少ないかな。公認会計士は、営業権はそれぐらいと言っている。しかし、この業界は、不動産がなくても商品の回転率さえ上げれば賃貸でも出来るので、資産価値で表せない正に暖簾という部分が大きいとも言っている」
 と言って、考え込みました。

「はい、5000万ぐらいの価値があると思っていましたから」

「そのへんは考えてみるよ」
 と言って、憧れの大物社長の事を野崎専務は考えていた。


「確かにロードは、100パーセント栗栖社長の会社ですから、以前の栗栖社長なら私たちが口を挟む余地はなかったかもしれませんね。しかし、今の社長には私たちも付いて行けません。皆も違和感を持っていると思います。ただ、皆が望むのは新会社ではなく、ロードの社長交代だと思います。やはり、独立よりこのロードを譲渡してもらう方法を考えるのが早道じゃないですか」

「社主とはいえ、何もせずに月収350万はないよ」
 と、溜め息混じりに言いました。

「専務がいなければ、私はとっくにロードを辞めていましたよ。私が入社した時には、社長は仕事をしない人でしたから、いいイメージは持っていませんでした。社長は専務の頑張りに胡坐を掻いていますよね。そんな気持ちを社員全員が持っています。でも、みんなも急激な変化を望まないでしょうね。と言うのも、専務が社長の役割を完璧にこなしているからでしょう」

「社長と俺たちが辞めたら、前の会社は直ぐに倒産したよ。それは、栗栖社長の頭にも残っている事
だから、俺たちが出て行くと言ったら、条件次第では譲ってくれると思う」

「そうですね。条件ですよね」
 と言い、浅沼課長は野崎専務に腹案があるのか、5000万円もの大金をどうにか出来るのか興味津々でした。

「まあぁ、大丈夫だろう。俺は会社を大きくする自信がある。今のままじゃ、ただ栗栖社長に大きくなった会社を献上するようなものだ。それは割に合わないからな。社長が会社に出て来なくなった当初は、俺も無我夢中で頑張ったよ。今だって社長が何もしなくなってから、売上も粗利も2倍にはなった。確かに、俺の役員報酬も2倍になったが、それだけでは満足できない」

「勿論ですよ。すべて、専務の力ですから」
 と言ったものの、浅沼課長は営業成績を上げるよう無理を強いられていた時期を思い出していました。

「私が社長になった時は、和田課長を正式に抜いて、浅沼課長がナンバー2だからな。和田課長の向上心のないのんびりムードには閉口するよ。見ていて、苛々する。兎に角、浅沼課長の営業力が必要なんだ。和田課長との力の差は、皆の前ではっきりさせる。いくらロードの発足メンバーといえども、仕事の出来ない者は力のある者に抜かれるのが競争社会では当たり前の事だ。俺は浅沼課長を買っている。これからの私のチャレンジに必要な人材だから、頼むよ」

「はい、全力を尽くしますのでよろしくお願いします」
 と、神妙な顔で答えました。


 浅沼課長は、何時の間にかロードの中心にいる事が不思議でたまらなかったのです。競争社会とはいえ、ロードの発足メンバーを次々に粛清して行く遣り方に恐ろしさを感じる一方、それほど普通の人と変わりなかった野崎専務の変貌に、自分も近づいている事を感じているのでした。

 
   ( 3 )  栗栖社長の宿主計画の終結
 

 野崎専務は、浅沼課長と煮詰めた社長交代計画の了承を和田課長からも取り付け、3人で栗栖社長に挑む事になりました。和田課長はただ頷くしかありませんでした。ここで異論など挟む余地があろう筈もありません。専務は意見を聞く気などさらさらないのですから。いつも、最初から用意された回答を求めるだけです。和田課長は浦辺部長同様に、栗栖社長から見放された思いでいましたから、後はロードにしがみ付くしかなかったのです。


 野崎専務は、社長の出社日に合わせて準備をして来ました。その時までに、野崎専務は2000万の資金を用意できていました。野崎専務は和田課長と浅沼課長を引き連れて、社長室へ入って行きました。

「社長、お話があります」
 と、野崎専務が切り出しました。

「なんだね、3人揃って。まあ、3人とも座りなさい」
 と言って、3人をソファーにすわらせ、栗栖社長も座り、身構えました。

「このまま、社長が出社されないのでしたら、我々役職者はロードの経営を辞退させていただきます。つまり、もう栗栖社長に付いて行けないという事です。それで、我々が出て行くか、社長が私にロードを譲渡して、勇退していただくかしてもらいたいのです」
 と、専務は唐突に迫りました。

「君たち、野崎君と和田君のロード発足メンバーと浅沼君の三人で独立したいというのかね。構わないよ、私は。野崎君独りの力でロードを経営していると思ったら大間違えだ。銀行だって、野崎君には、1円も貸してくれないと思うな。つまりは、私が築いたロードの実績にお金を貸してくれているんだよ。だから、私も発足時に苦労したんだ」
 と、当初から用意してあった言葉を待っていましたとばかりに捲くし立てました。

「しかし、我々が出て行ったら、以前の会社のように経営が立ち行かなくなるでしょう」
 と、専務が自信有りげに言いました。

「前の会社は、我々4人が辞めて人材がいなくなったから倒産したのであって、今のロードとは大違いだ。君たち3人がいなくても私が戻って来れば、ロードは今まで以上に発展するよ。ロードには、荒木主任がいる。彼に部長を任せてもロードは今まで通りに成り立つと思うがね。それに、君たちが追い出した浦辺君を専務にする事だって出来る」
 と言って、社長はうそぶいて見せました。


 それを野崎専務が聞いて、顔には出しませんでしたが、一瞬たじろぎました。それに、浅沼課長も和田課長もまさかと思っていましたメンバーの名前が出て、心中穏やかではありませんでした。栗栖社長も事業をしている気配がなく、ぶらぶらしていて以前のような事業意欲がなくなっている様子と野崎専務から聞いていましたので2人は驚きでした。
 しかし、和田課長は荒木主任ならロードを率いられると思いました。それは、この5年間で経営システムがかなり確立されてきたからでした。そして、そうなった方がいいとさえ思いました。それは、同病相憐れむとでも申しましょうか、荒木主任と和田課長が野崎専務から虐げられているという思いからでしょう。和田課長には、浅沼課長との間に大きく水をあけられた思いがありました。そして、荒木主任の場合は、浅沼課長との争いもさせてもらえず、後から入社した藤井係長の下に置かれ、辛酸をなめてきたのでした。
 野崎専務が天下を取れば、ロード発足メンバーの和田課長が一般入社の浅沼課長に抜かれるでしょう。そればかりか、ロード発足メンバーが目障りで、和田課長の地位も風前の灯火なのです。もう少し以前に栗栖社長が荒木主任を買っている事を知っていたら、和田課長は栗栖社長と荒木主任へ寝返っていたでしょう。でも、もう遅いのです。

 
 野崎専務は心にもない事を強気で言いました。
「社長の会社ですから、我々に代わって他の役員を立てると言うのなら仕方ありません。我々は出て行きます」
 と、野崎専務は荒木主任に対抗意識を剥き出しにして言いました。

 しかし、専務は辞めるつもりなどさらさらなかったのでした。それは、浦辺部長が退職した時点から、栗栖社長が力量の差を分かっていたはずと自負していたからです。そして、専務は栗栖社長の経営者離れを察知している様子でもありました。それは、以前の社長のように栗栖社長も他人に会社を任せきりにしている間に、経営能力が落ちてきていると思っていたのでした。 


「私も忙しい身なので、あちらもこちらもと出来ないので、いろいろと考えているところだった」
 と、栗栖社長は歩み寄りを見せました。

 野崎専務は、ここを逃したら荒木主任にロードが渡ってしまうと焦ったのでしょうか、専務が甘いのでしょうか、当初の読みから一転して、かなり栗栖社長に有利な条件を出してしまったのでした。

「社長、ロードを私に譲渡してください。営業権として2000万円を用意します。しかし、数字では表せない社長への感謝として、5年間に渡り毎月50万円を顧問料としてお支払いします。社長、いかがでしょうか」
 と、間髪を入れずここぞとばかりに専務は条件を出しました。

「私も他の事業にかまけてロードを放置し過ぎたのは私の不徳のなせる業。そこまで言うのなら、野崎専務にロードを譲ろう。しかし、営業権つまり暖簾は5100万円だ。専務一人に譲るのだから、会社からの肩代わりは駄目だ。個人の出資でないと。最初に3000万円で、残りを半年の分割で月額350万円ではどうかな」
 と、栗栖社長は言い放ちました。

 浅沼課長と和田課長は、もっともな意見だと思ったのでした。自分独りの物にするのに会社の資金を当てるなんて、ずるいとも思いました。しかし、結果的には野崎専務自身の役員報酬を増やして支払うのだろうという事は分かっていたのでした。


 野崎専務は、憧れの大物社長にもう1000万の借り入れを頼む事にしました。
「はい、営業権は5100万円という事でお願いします」

「では、皆で頑張ってくれたまえ」

「はい、手続きは後日にしましょう。ご連絡します」
 と丁寧に野崎専務は言って、栗栖社長に握手を求めました。社長は含み笑い浮かべ、専務は満面の笑みで、2人が固く握手を交わしました。栗栖社長が社長室を出ると、浅沼課長が拍手をして野崎専務の社長昇進を祝福しました。遅ればせながら、和田課長も続いて拍手をしました。その音を聞き、栗栖社長は勝利の笑みを回りの社員に振り撒き、会社を出て行ったのでした。
 

 そして、後日、契約書が取り交わされました。営業権は5100万円です。それは、3000万円を頭金で支払い、月額350万円を半年間返済するという2100万円の借用書となりました。会社の借入は、栗栖社長が個人保証してきた分を全部はずし、野崎新社長に変更しました。栗栖社長は全く経営から退き、株式も100パーセント野崎専務に譲渡されたのです。
 

 栗栖社長は、このように全く自分に借金が残らないようにして、会社を去るのです。残った借金は野崎新社長に引き渡され、会社が成功すれば返せるのです。良い意味で、暖簾分けをしたと社員たちには挨拶をして、引き継ぎを終えました。つまり、頑張れば誰でも社長になれるというような事を言ったのでした。  



このように、栗栖社長は、何の問題もなく会社を去れたのです。しかし、日本の企業家の中には財産を残しつつも、有価証券報告書の虚偽記載やインサイダー取引、証券取引法違反、脱税、違法献金などの罪を犯して禍根を残すこともあるのです。果たして、政権を渡したからといって全く責任から逃れることができるのでしょうか、逃れても良いものなのでしょうか。



 ロードはかなりの粗利が出ているにもかかわらず、利益分だけ役員報酬が支払われ、内部留保が出来ない現実があるのです。運転資金は結局のところ、銀行から借り入れなければならなくなり、ますます借入額が増え続けるという具合です。つまり、商品でつまずけば、零細企業のロードなど跡形もなく潰れる事を栗栖社長は知っていて逃げ出したのです。鼠などが火事の前に逸早く逃げるように、借入責任から逃れるための潮時を見据えていたのです。そして、野崎現社長に自ら会社を乗っ取らすように仕向けたのでした。
 栗栖社長が以前の会社で考えた事は、このままどんなに働いても、年俸が800万円程度で終わるということでした。前社の役員は、島田社長の家族のみでした。役員報酬の合計が月額500万円にもなっていることを知り、独立を考えたのでした。彼が雑貨卸の会社に入社した時は、年収300万円にも満たなかった事から比べると大した出世にはなるのです。しかし、会社を動かしているのが自分だと考えると、彼は割り切れなくなったのでした。会社が軌道に乗ってからというもの、島田社長が彼に任せきりで、毎日顔を見せては早々に指示を出して出掛けて行くのでした。また、役員に連ねている家族は、顔を見せた事など一度もなかったのです。いくら利益を上げても、その分だけ役員報酬として外部に流出しているのです。利益が出ている時に内部留保しておけば、利益がでない時でも補てん出来るのです。


大企業のように雇われ社長であれば、次期社長へ借入を引き継げば逃れられるでしょう。また、天下り役人や地方自治の役人であれば、国民の税金を尻拭いに使えば無駄遣いも平気でできるのです。
そんな風潮が今では、大企業の倒産まで国民の税金が当てにされて、企業家のいい加減な経営に拍車がかかっているのです。


   ( 4 )  荒木主任と和田課長の追い出し作戦実行

  
 野崎専務は晴れて代表取締役社長に就任しました。これには、3000万円の大金が物を言ったのです。3000万円の貸主は自分にメリットがあるから貸したのであって、可愛がってもらっていると信じ切る甘さが社長にはありました。それは、早くも無理な買い付けとなって表面化して来るのです。社長は、一旦心を許すと妄信的になり、一旦不信感を持つたり用無しになると徹底的に排除しようとする性格でした。 
 

 先ず、野崎新社長は3課に分けた営業を強化し始めました。営業1課と2課は今まで通り、和田課長と浅沼課長が率いました。玩具課は藤井係長が率い、会社のイメージアップのため自社ブランドの商品開発を帯びた課になりました。社長は自社ブランド成功で、ビックな社長になる事が夢だったのです。
 そんな中、開発とは無縁な1課と2課はノルマに向かってしのぎを削ったのでした。とはいえ、勝負は課のメンバーの割り振りから決していました。1課は古株でしたが、体調不良や家庭のごたごたでトラブルを抱えている2人に、新人の青柳君でした。営業2課は荒木主任の後釜と思しき鳥居君と、それに続く入社3ヶ月でバリバリ営業成績を上げている2人でした。しかし、戦闘開始から1ヵ月の成績は、2課はノルマ達成でしたが、和田課長の1課はノルマを達成できずに敢え無く大敗しました。そこで、ノルマを達成出来た2課はご褒美の美酒を味わえたのです。そして、ノルマの達成が出来なかった和田課長は社長室に呼ばれ、間仕切りから聞こえるぐらいの声でお叱りを受けました。それは、後から入社した浅沼課長との力の差を延々と比較対照されるものでした。でも、和田課長は怒られる事は平気でした。それより、力がありながら野崎社長や浅沼課長から疎まれた荒木主任の二の舞になる方が恐ろしかったのです。今、ロードを動かしているのは、野崎社長と浅沼課長だったからです。
 荒木主任がロードに見切りを付け、退職する事になりましたのは、和田課長が2課としのぎを削っている真っ只中でした。和田課長は仕方のない結果だと思いました。何処へ行っても荒木主任なら直ぐに役職に付けるはずと思っていたのです。


 新入社員の青柳君は、まず商品を覚えるために、配送の仕事から始めました。しかし、営業で入社し配送なんてと1日で辞める社員や1ヵ月ぐらい配送の仕事をしていて色々会社の雰囲気が見えて来て辞めて行く社員もいました。いつも、1ヵ月以上は配送の仕事から入りますが、青柳君は同業種からの転職ですので、半月と早い段階で営業を始めました。普段、配送は年配の杉浦さんと若手の2人でやっていました。しかし、出入りが激しいので、誰か新人が配送の手伝いをしているというのが当たり前になっていました。しかし、この新人の手伝いがなくなると、配送の2人はてんてこ舞いだったのです。そこで、商品の大量入荷時と毎月の棚卸だけは、営業の課長以下が手伝う習慣になっていました。


荒木主任は経理部へ入って行きました。
「荒木主任、いつも良い成績ね」
 と、女性の経理事務員が声をかけました。

「僕の月次推移表を出して見て」
 と主任が言って、パソコンの前に立ちました。事務員がパソコンを操作して、担当者別月次推移表を出しました。画面には、3課全員の営業成績が表示されていました。

「ここまで、ただ働きのようなものだよ。仕方ないか、雇われているんだから」
 と、投げ捨てるように、荒木主任は言いました。

「何処かにヘッドハンティングされるのですか。それとも、独立でもするのですか」
 と、新入経理マンの川原君が興味深げに尋ねました。

「いや、もう日本とはおさらばだよ。海外へ行く予定さ」
 と、さばさばしたように言うのでした。

「来週の金曜日は、僕の送別会と河原君と青柳君の歓迎会だね。飲める口なの」

「えへへっ、あまり飲めないけど、お酒の席の雰囲気は好きですね」
 と、はにかみながら答えました。

「ふうぅん。あまり騒いでも目を付けられるし、好いんじゃないの」
 と、意味深な事を言って、出て行きました。


 野崎社長は、部長から専務そして社長になって変わっていきました。若いというだけで年上でも部下の荒木主任から意見されるのがかなり気に障っていたのでしょう。それゆえ、社員との差を付けるのに躍起になっていたのです。それは、他の役職者にもその傾向がありました。また、役職間の差を利用するところが、野崎社長にはあったのです。その際立ったものが、役職を意識させるために、名前だけではなく役職名を必ず付けて呼びます。社長はわざわざ大声で、昨日まで何々ちゃんだった主任を役付けで呼ぶのです。それで、社員もおのずと役付けで呼ぶようになるのです。そして、本人も会社側の人間になり、平社員側からは遠い存在になるのです。社長としては、織田信長の取った方式を狙ったものだったのでしょう。それは、領地を分け与えずに、草履を履く資格を与えたり、馬に乗る資格を与えたりする事で、出世を印象付けたのです。これを真似、あまり給料を上げずに、役職だけ与えている会社が増えています。これも不況のせいでしょうか、やたら役職で呼ばれて喜ぶサラリーマンの悲しい性なのでしょうか。


 宴会が始まりましたが、重苦しい空気が流れています。これは、いつもの事ですが、新入社員は気付かず、普通に話しました。
「新入社員が俺の前では寛げないよなぁ。かわいそうだよ。幹事、考えろよ」
 と、物分かりの良い社長のように言いました。

「はい、すいません」
 と、鳥居君が謝りました。

「いえいえ、えへへ」
 と言って、河原君はいつもの照れ笑いをしました。

「ヒット商品を開発するのは大変ですよね。子供のころ、『たまごっち』ってありましたがあんなのを開発できたら良いですね」
 と川原君が言いました。

「定価1980円の白の『たまごっち』を持っていたら、3万円でも譲ってくれと言われたぐらい、すごいブームだった」
 と社長が言って、玩具課の新商品開発に望みを託している様子でした。

「昔のヒット商品では、フラフープやダッコちゃんがすごかったなぁ。フラフープは大人向けで、270円かな。子供向けで200円だったかな。それから、ダッコちゃんは180円だったか。でも、倍以上の値段になっても買っていたなぁ」
 と、配送の杉浦さんが懐かしそうに言いました。

「1960年のダッコちゃんはキャラクターが変わって今も売っている。1958年のフラフープはまた流行り出したし、1980年のルービックキューブは公式大会もあるし、長続きしているねぇ。
 1980年代のスペースインベーダーも一大ブームになったが、ファミコンやゲームボーイの普及には勝てなかった。
 たまごっちは、1997年第1次の爆発的ブームに次いで、2004年から2007年の第2次ブームを経て、2009年以降の第3次ブームが起こっているね。
社長、でも大手玩具メーカーとの開発競争なんて無理だと思いますよ」
 と、荒木主任はこの期に及んでも、臆面もなく平然と言ってのけました。


 イエスマンが多い中、荒木主任だけがこのような事を言っていました。しかし、これが社員や取り巻き連中には煙たい存在だったのです。まるで、今度の新商品開発をあざ笑っているように思ったのでしょう。
荒木主任が退職して、一番清々するは、浅沼課長です。しかし、荒木主任は決定的な失敗をしたのでした。それは、この会社の最高権力者に取り入らなかった事です。その意味で、浅沼課長に負けたのです。でも、和田課長はあの物言いが根っからのもので、計算ずくでないところが羨ましいぐらいでした。

 それにしても、お酒に酔って終始にこにこ笑っている藤井係長からは、荒木主任にライバル心を燃やしている面影が見当たりませんでした。でも、二人の間には口を聞かないほどの、火花が飛び交っていたのでした。主任職は、荒木主任が先でした。しかし、係長になったのは、藤井さんでした。この時点で、浅沼課長と荒木主任の勝敗は決していました。野崎社長が選んだのは浅沼課長だったのでした。つまり、和田課長と荒木主任は浅沼課長の敵ではなくなったのです。そして、和田課長の場合は栗栖元社長を引きずる唯一の存在として疎まれるのでした。
 会社という社会も、一人の指導者で大きく変わります。また、その指導者に気に入られようと、社員も自分を押し殺して合わそうと繕うのです。それが、人間としての道に外れていようとも、その場にいる限り考える気力さえ萎えてしまうのです。これで、ロードは野崎社長と浅沼課長の万全なタッグが組まれたように思われました。


 次に、社長が和田課長に対して取ったやり口は、3人を2課に移動し、和田課長1人1課に残したのでした。そして、荒木主任が退職した後、浅沼課長の部長昇進と鳥居君の主任昇進が発表されました。
 これで、はっきりと栗栖社長に付いて来たメンバーの抹殺が完了した事になったのでした。また、和田課長ではなく鳥居主任のナンバー3も野崎社長の構想に入っている事は間違いないのです。鳥居主任は、ロードを訪れるビッグな社長方に次々と紹介されました。それを、鳥居主任も神妙な面持ちで受けていたのでした。それでも、和田課長は耐えるつもりでした。これで、野崎社長は心置きなく、和田課長を浅沼課長の配下に据える事が出来たのでした。営業2課は営業部と呼ばれるようになりました。しかし、営業1課は依然、和田課長1人という奇妙な形で残っています。


 和田課長が浅沼部長に抜かれる有り様は、面白いほどに野崎社長が描いたシナリオ通りで、奇妙な方法でした。不甲斐ないと言えばそうなのかもしれませんが、仮にそれを跳ね除ける力があったにしても、和田課長はしなかったでしょう。それは、無駄な抵抗をして会社を退職しなければならなくなった浦辺部長や荒木主任の例からも、損な選択だと思えたからです。


   ( 5 )  浦辺部長と和田課長と荒木主任たちの夢


 浦辺さんは、浅沼部長が誕生してから和田課長を食事に誘いました。そこには、荒木君もいました。

「やあぁ、和田さん」
 と、浦辺さんが懐かしむように親しみ深く挨拶をしました。

「浦辺さん、久しぶりですね。荒木君、海外へ行ったんじゃないの」
 と、和田さんは驚きの表情を浮かべて言いました。

「こんにちは。今、浦辺さんの手伝いをしているんです」
 と、打ち解けた様子で言いました。

「栗栖社長の会社ですか」
 と、和田さんは尋ねました。

「あの人とは、没交渉だよ」

「会社の乗っ取りの時、浦辺さんと荒木君の名前が出て来たから、繋がっているのかなと思ったんですが」


「あの人、特有のはったりだよ。あれは、乗っ取りではなく、乗っ取らされたんだよ。まるで、回虫が小鳥を誘うようにね。これから、野崎社長は大変だよ。営業権だって、野崎君1人で用意出来る訳もないし。借りたんだろうから、無理に無理を重ねて不良の仕入れが増えるよ。あの人は、きれいさっぱり借金もなく、資金を持って勇退した形だからね。笑いが止まらないんじゃないかな」

「和田さん、大丈夫ですか。かなり陰湿なやり方で、追い出しを食っているみたいですけど」

「追い出しね。それを否定しようと自分に言い聞かしているのだけど、やっぱり駄目か」

「和田さんは、よく耐えていましたよ。僕は、限界でした」
 と、呆れ気味に荒木さんは言いました。

「野崎君は、最初、可愛かったなぁ。ねえ、和田さん」

「そう、あんな人間でなかった。ああも、地位や野心で変わるものなのかな。それにしても、いろいろ、知ってるねぇ」
 と、同僚だった時に戻った言い様になっていました。

「いろいろ、話が入って来るね」
 と浦辺さんは言いました。業者や社員からの情報が豊富だったからです。


「僕、気になる心理実験があるんです。テレビで見てショックでした。それは、1971年8月14日から20日までの実験なんです。
 当初は2週間の予定でアメリカのスタンフォード大学心理学部で、心理学者フィリップ・ジンバルドー博士の指揮の下に、被験者を看守役と受刑者役に分け、大学の地下実験室を架空の刑務所としてその実験が行われたんです。
 普通の人が肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動をしてしまう事を証明しようとした実験なんです。
 その実験の中、囚人役による暴動と看守役による虐待が起こり、監獄で実際のカウンセリングをしている牧師に診てもらった際、牧師がこの危険な状況を家族へ知らせ、家族たちは弁護士を連れて中止を訴えて、早期に中止されたとされていました。でも、後遺症が残り、博士は実験終了から約10年間、被験者をカウンセリングし続けたという事です」


「そう言えば、米軍関係者によるイラク人捕虜に対する虐待の映像が世界へ配信されたね」
 と、浦辺さんは言いました。

「2004年ですよ。あの時も、この心理実験の事を伝えていました」
 と、荒木さんが言いました。

「私も、同じ立場なのかなぁ」
 と、言って和田さんはしょげました。

「肩書きで、人間は勘違いをするね。権力を持つと相手を気遣うと言う事がなくなるのかな。競い合うのと、蹴落としたり、足を引っ張ったりするのとは違うよ。逆らう者を粛清するようにもなるから、怖いね」
 と、浦辺さんが言いました。

「和田さんは、栗栖社長を引きずる唯一の人になりましたから、危ないですよ。僕は、浅沼課長に敵対されましたが。今は、浅沼部長か」


「動物の世界では、托卵というものがあるよ。卵の世話を他の固体に託すもので、一種の寄生らしい。カッコウなんて有名で、ずるいぐらいに考えている人が多いかも知れないが、怖いよ。カッコウの親は、卵の数合わせに本来のオオヨシキリなどの卵を巣から落としたり、カッコウの雛も先に卵からかえると餌を独り占めしたりするために、まだ卵からかえっていない本来の親の卵を巣から落とすんだ。また、後からカッコウの雛がかえると、自分より小さい本来の親の雛をこれまた巣から落とすんだよ。
 人間世界も、蹴落としたり、足を引っ張ったりは見聞きしていて、気持ちの良いものじゃないね」
 と、浦辺さんが言いました。

「私が弱いからかな」
 と、和田さんは言いました。

「相手側には、そう見えるかもしれない。しかし、強そうに見えても、人間の場合は、複数で攻めてくるね。一人ではできないんだよ」


「職場は、生計を支えるという大事な場所ですよね。ですから、みんな頑張って働いているんですよ。それを、経営者の自由気ままにされたんでは、社員はたまりません」
 と、荒木さんが言いました。


「私は、独立してからいろいろ考えたよ。経営者だから、経営を考えるというのは当然なんだが。職場というのは、荒木君の言うように、生活基盤を支えるという大切な部分があると思う。
 そのため、労働組合があるというかもしれないが、正社員のための組織で、そこに入れない派遣社員やパートタイマーやアルバイト社員は力がない。ワークシェアリングとは言え、待遇に問題があると思う。しかし、制度化されるのにも問題が残る。地位が固定化され、そこから抜け出せなくなるからね。
 雇用について、政治家は与党も野党も考えるべきだよ。グローバル化で、企業は世界規模の競争に勝つためと言って、海外生産でコストの低減を図ろうとしている。結局、雇用は減るし、購買力も減らす結果になってしまった」

「会社って、経営者の物と経営者は思っているでしょう。上場会社は、株主も所有者と思っている。会社を、社員の物と考える経営者がいたら、私はそこへ就職したい。まさか、浦辺さんはそんな考えを持っているの」
 と、和田さんは尋ねました。


「経営者だけの物ではないと思っている。別に、社会主義が良いとは思っていないし、福祉国家が良いとも思っていない。それは、人間そんなに聖人君子でいられないという事でもね。肩書きや野望や目先の利益で、意図も簡単に人間は変貌するからね。私はそんな事を指摘してくれる仲間が欲しい」

「僕も、浦辺さんと話していて、人間の弱さ、ずるさを知っていれば、協力できると思いました」
 と、荒木さんは言いました。

「浦辺さん、私も仲間に入れてください」
 と言って、ロードを辞める決心を明らかにしました。

「和田さんは営業より、社員の意見を聞いて、より良い会社にしていく総務部をやってもらいたいな」

「はい、よろしくお願いします」
 と言って、清々しい顔になりました。


「浦辺さんは、福祉国家に問題点を感じているんですよね」
と、荒木さんは尋ねました。


「欧州のように消費税を上げても、税収が減ったり、財政が破綻したりすれば、社会保障を意図も簡単に民営化頼みにするんだからね。日本だって年金を国民が信用しなくなって、納めない人が増えているでしょう。高い消費税になったらまた、旧社会保険庁のように無茶苦茶な使い道をするよ。大きな政府は、信用がならない。
 それに、福祉国家の問題点は家族の崩壊にあると思う。国が面倒を見てくれるから、親子の絆が薄れ、子供を早く独り立ちさせ、自由を謳歌して老後は国が面倒を見てくれるという幻影がある。実際は福祉の質の低下が起こっている。財政逼迫がどの福祉国家でも起こっているからね。福祉国家の神話の崩壊だね。ここまでの実態が明らかになっているのに、まだ高福祉社会を望むのかね。老人の自殺ばかりでなく、若者の自殺も増えている。そればかりか、犯罪も増えている」
と、浦辺さんは言いました。


「昔の日本は三世代の大家族だったですよね。現在は、核家族化が進んでいます。子供が2人いれば1人が核家族になるのは当然で、誰も親との同居をしないと、核家族が三世帯になりますね。そこなんだと思うんです。煩わしさが、親を捨て、国の福祉に頼る考えに行き着く人間の思考に問題があるんじゃないですかねぇ。介護保険料を支払っても、同居家族がいたら介護サービスが受けられないケースもあります。また、介護保険料を安くするために、世帯分離をするケースなどもあります。親の介護を助ける目的は何処にいったのでしょうね。二世帯住宅や同居に対しても税制上の優遇が必要ですよ」
と、荒木さんが言いました。

「三世代が当たり前のように暮らせたらねぇ」
と、和田さんは懐かしむように言いました。


「私は、寮や社宅を充実したいと考えている。家賃は安いが、煩わしいというのが一番の問題だね。家庭でも会社でも社会でも快適さばかりを望むと無理なんだと思う。それでも、そこに住むなら、そこを変えたらいい。それを、国家頼みにすれば解決するというのは幻想だね。まずは小さい所の家庭や会社から変えればいいさ。住みやすくするために、話し合うしかないでしょう。でも、何にもしなくても上手くいっているケースもあるよね。そこを見習えばいい。
 それは、会社の上下関係を持ち込まなかったり、困った時に助け合ったり、子供の安全をみんなで見守れたり、子供や親が友達関係を容易く作れたりなど、良い習慣が社宅に作れるように心がける事が大事だね。
 そして、家族は協力しかないと思う。誰かにしてもらうのではなく、自分に出来る事を、みんなで出し合う事で、相手の思いやりを感じる事ができると思う。そして、それが家庭教育になるんじゃないかな」
と、浦辺さんが言いました。


「煩わしさを、税金で賄うなんて出来ないですよ。コストが掛かり過ぎて破綻する事を、高福祉国家の失敗から分かっても良いはずなのに、甘い言葉に釣られ増税に託すんですかねぇ。この日本も」
 と言って、荒木さんは情報操作を見抜く力に賭けたい気持ちで一杯でした。



 私は家族を守るため、耐えに耐えてきました。でも、これからは浦辺さんや荒木君と協力して、働きやすい良い職場にするため力を注ぎます。会社は生活の基盤になるところです。社員がやる気が起きるような魅力のある所でなければなりません。社宅の問題も相談を受ける事になるでしょう。
 バブル時代は、大企業で盛んに立派な独身寮が建てられたはずなのに、景気が悪くなり雇用も買い手市場になりますと、寮や社宅が売りに出されました。しかし、大変な時代だからこそ、企業や家族が協力し合って、より良い日本にして行かなければならないのでしょう。
 私にも、生き甲斐というものが芽生えて来ました。この日本が、協力社会になって行けたらと願ってやみません。


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