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作品名:花街に生きて 作者:H・C・舟橋

第9回   石油ショック
 篠崎は中古車ブローカーで稼いだ金で一家六人を養い、子供たちを学校に上げた。由紀子と嘉子たちの入学祝などで時折大盤振る舞いをするが、キヨは真澄に給料を払うでもないので、家計は楽では無かった。それでも篠崎は中古車店の店舗を構えるため、資金を蓄えていった。

 長女由紀子が短大を出た昭和四十六年、マンモス大学付属校から大学にエスカレーター進学をさせるつもりだった長男の尚弘は、生来勉強嫌いで、成績は推薦入学枠に遠く及ばなかった。
 篠崎は学校関係者を訪ねまわり、各方面に総額七百万円を贈ることで、大学進学を実現させた。その金額は、中古車センターを出店するために貯めた資金全てであった。崩壊させた家庭で育った息子に、せめて学歴で償おうとしたのだ。


 翌年の春先、前夫由紀夫の姉、征子が若い男のアパートで急死した。古鷹山は引退後、協会の九州場所専任巡業部委員として福岡に常駐していた。子供達は東京の学校に通っているし、世話をしている母親のセンも転居を拒むため、天沼の邸宅に残って『古鷹』のママを続けていた。ところが夫は福岡に愛人を作り、子供を生ませた。自尊心を傷つけられた征子は、復讐の意味もこめて『古鷹』の常連である男の家に寝泊りするようになっていた。週刊誌にスキャンダラスに取り上げられ、征子の子供達は酷く傷つき、荒んでいった。

 征子の噂話に持ちきりの『リド』店内で、真澄は巡査の言った花街に生きる人間の運命を考えずにはいられなかった。自分と、その娘達の運命も。

 昭和四十八年に次女嘉子は高校を卒業し、無事民間の研究所に事務員として就職した。

 その秋。第四次中東戦争に端を発した石油ショックにより、篠崎の稼業は突然不景気になった。翌昭和四十九年の初荷が返品されて以後、まったく注文が入らなくなったのだ。篠崎に限らず、自動車を商品とする者は在庫の山に喘いでいた。例外的に燃費の良く、値ごなれした中古の大衆車が売れた。その種の中古車を揃えた、新大宮バイパス沿いの中古車店は繁盛していたが、店舗を持たない篠崎は、そのブームに乗ることもできなかった。
 終日を家で過ごす篠崎は酒量ばかり増え、毎夜サントリーレッドの大びんを一本開けては、畜生、馬鹿野郎、と恨み言を言いながら酔い潰れていた。『リド』の送迎は、運転免許を取得した由紀子が代わった。


 短大生だった由紀子を見初めて交際中の東京青山にある薬店の御曹司は、志望の職種ではない不本意な家業後継のための勉強に身が入らず、薬学部で留年を繰り返している。八年の修業年限いっぱい学生をやりそうで、結婚は見えなかった。

 他方、昭和五十年に卒業するはずだった大学を、篠崎の長男尚弘は無断で退学し、それが発覚すると翌日出奔した。裏口入学したものの、生来の勉強嫌いで五分の一も単位を取得できず、卒業は無理と判断したのである。
 事業資金の全てを投じて大学に入れた息子に家出され、篠崎の生活は更に荒んでいった。その頃、篠崎の母方の実家の葬儀に真澄を伴って参列した後の清めの酒席で、酔った篠崎は実家に対して尊大に意見をし、それを咎めた一族の人間と、祭壇を破壊する乱闘騒ぎを起こして警察沙汰となった。


 篠崎家は荒んでいった。収入の途絶えた真澄は、毎月十五万円を生活費に欲しいとキヨに申し入れた。月に数十万円麻雀で負けているキヨであるが、これに難色を示した。生活のために止むを得ないので働きに出るから店は辞めると真澄が言うと、恩知らず、と罵られたが、篠崎が仕事をするまで期限付きでバーのママとして給料を貰えることになった。

 次男弘和は酒乱の父に愛想を尽かし、高校三年時に防衛大学を受験して家を出る算段をした。ところが、面接時の身上調書の家族欄に記入した母と姉達が、合格後入校手続の際に取得した戸籍謄本に記載の無い他人と判明したために、既提出書類の虚偽記載として入校辞退に追い込まれた。
 やむなく一般大学に進学した弘和だったが、幼い日、父母が罵り合う家庭で醸成した破滅願望の果ての戦死の道が絶たれたことで、次第に気力を失っていった。しばしば長男を探して夜の街を彷徨い、泥酔しては保護されている父親を、県南各地の警察署まで引き取りに行く日々が続いた大学二年の四月に弘和は自死した。


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