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作品名:花街に生きて 作者:H・C・舟橋

第8回   一時の平穏
 破壊の限りを尽くされ、警察の介入まであった修羅場から拉致同然に攫(さら)われてきた篠崎の息子達は、真澄と娘達のいる家に馴染まなかった。
 特に五歳の割に大柄な次男の弘和は、いきなり現れた『母』と、『姉・嘉子』にひどく反発して、三歳上の嘉子を徹底的にいじめた。
 近所の女の子と遊んでいた嘉子に拳骨を食らわせて泣かせた弘和は、父親に殴られ、出て行けと言われると、振り向きもせずに出て行った。三日後に遠く離れた東海地方の駅で保護された息子は、その後も父親の拳を数多く受け、心を歪めていった。

 東京オリンピックの翌月、一家は本郷町に土地を求め、広い家を建て移り住んだ。小学生の息子二人は大砂土小学校に通ったが、姉二人は従前どおり学区違いの北小、北中に通っていた。
 姉の学用品に書かれた氏名の苗字が、石橋から及川に変わったが、一向に篠崎にならないことを不審に思った弘和が食卓で問うと、直ちに父親の鉄拳が振るわれた。
 そんな家庭だったが、真澄は家族が融和できるように心を砕いた。弘和の心の捻じ曲がりは酷く、全てに否定的で破滅的だった。小学二年まで勉強もできず心配させられたが、三年生の担任教諭の指導で、成績が急伸し、心もおだやかになってきて、真澄を安心させた。

 新居に移り住んでまもなく、篠崎はまた社長賞を得、副賞に年式落ちのライトバンを贈られた。これを短期間乗ってみたが、乗り心地が悪いので早々に転売したところ、篠崎の抜群な営業成績を妬んでいた者が、社長の取り巻きに注進した。金文字の社長贈が刻まれた車を売り払って、ライバルの高級車クラウンに乗る忠誠心の無い男だと。
 本社営業課長だった篠崎は、間もなく熊谷営業所長に出された。そこでも好成績を上げたが、酒の席で上層部を批判すると、今度は秩父営業所所長に転じられた。
 大宮の自宅から、毎日正丸峠を越して自動車で通勤する日々が続いた。体力に自信があったが、毎日五時間の運転はさすがに堪え、三ヶ月後に会社を辞めた。

 すぐに就いた外車ディーラーでも、抜群の営業成績を挙げたが、ここでも妬みによる嫌がらせを受け、半年で辞表を出した。サラリーマンは出過ぎると打たれる。篠崎は戦後二十数年で培った人脈を活かした中古車ブローカーで一家を養うことになった。翌年には大手ディーラー中古車部門の優秀協力店として表彰されるほど順調だった。

 キヨは相変わらず『リド』の経営者として振舞っていた。長火鉢にキセルを叩いて灰を落とす所作など、店が閉まるまで二階で待っている篠崎には遣り手婆そのものであった。
篠崎は毎日仕事を終えて夕食を済ませると、真澄を『リド』まで乗せ、閉店後にはホステスを近隣の自宅まで送り届ける。タクシー代を惜しむキヨの命であった。

 アポロ十一号が月に降りた日、真澄の実母が亡くなった。実父は戦後の混乱期に既に死去している。
 篠崎の息子たちと暮らし始めて間もない頃に、一家六人クラウンに揺られて里帰りして以来の、昭和十一年に故郷を離れて以後二度目の里帰りだった。
 兄弟姉妹が勢揃いした葬儀では、真澄は特に丁重に扱われた。葬儀後、高校教員をしている長兄から、遺産について説明された。屋敷や田畑は父の死後に相続が済んでいる。申し訳無いが母の遺産は無い。だが苦労したお前には兄弟で援助したいと申し入れられた。

 大宮を発つ際に、キヨから『リド』の冷暖房装置の更新資金を得てくるように言い含められているが、なかなか言い出せなかった。意を決し、店の改装資金を貸していただきたいと述べた。後日、兄弟で出し合った三百万円が真澄に送金された。全額を懐に入れたキヨに、これは借金である旨添えた真澄に対し、ここまで面倒見てやった恩は返せないのか、と返した。百万円弱は冷暖房機に投じられたが、残りはキヨの麻雀仲間に巻き上げられて消えた。


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